越えて国境、迷ってアジア

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#105

タイ=ミャンマー国境を北上せよ〈1〉ミャンマー最南端コートーン

文と写真・室橋裕和

 コロナは収まらず、旅に出られない日々は続く。そのためこの連載も「日本国内の境界線」をネタにお送りしてきたが、書くほどに募るのはアジア旅への思いだ。日本もいいけれど、できれば広い世界を旅したい。それに「こんなご時世だからこそ、海外の話も読みたい」というありがたい声もいくつかいただいた。そこで今回からは再度アジアのお話に戻りたい。コロナ情勢次第で国内・アジアとさまざまに書いていければと思っている。ちなみに今回はコロナ前、昨年秋に訪れたミャンマーが舞台だ。

 

1日1便だけの超ローカル空港 

 曇天の下、小さなプロペラ機はジャングルの真っ只中に下降していった。緑の絨毯を切り取ったような、頼りなく狭い滑走路が見える。何度か旋回を繰り返して高度を下げていき、無事に着陸をしたのだが、もちろんボーディングブリッジもなければバスもない。飛行機を降りた乗客はばらばらと空港ターミナルまで歩くのだった。
 ヤンゴンからの国内線だが、外国人にはパスポートチェックがある。とはいえ適当にパスポートをめくる程度のもので無事に通過しターミナルビルに入ってみると、ほとんど廃墟なのであった。建物の半分は停電し、薄暗い。ターンテーブルは作動しておらず、職員や警備員が手作業で飛行機からスーツケースやリュックや段ボールを運んでくる。館内はあちこちで雨漏りしており、水たまりがあるので気をつけなくてはならない。もちろん店はぜんぶ閉まっていて、両替所もなければSIMも買えない。レストランもない。極めつけのローカル空港なんであった。
 それでも1日1便の到着に合わせて数台のトゥクトゥクが集まってくるようで、街まで5000チャット(約400円)と交渉はまとまった。やや高いような気もしたが、走りだすと濃密な木々の匂いが心地よい。曲がりくねった山道を登っていくと、やがて右手の視界が開け、海が見下ろせた。いくつもの島が浮かんでいる。アンダマン海だ。トゥクトゥクが少しスピードを上げる。だんだんと道の左右に民家や商店が増えていく。学校から駆け出てくる子供たちや、行きかうバイクや自転車でだいぶ賑やかになってくる。ここがミャンマー最南端の街、コートーンだ。

 

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小さな空港のひなびた感じが好きだ。バス旅のようなのどかさがある

 

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小さなボートが並ぶコートーンの港。ここが街の中心でレストランやホテルなども点在する

 

海を渡れば30分でタイに着く 

 岬の突端を切り崩したような街だ。斜面に家が並び、数軒のゲストハウスや市場や、アンダマン海を見晴らす寺院などがあり、そこから下っていくと小さな港だ。目の前に広がるのは海でもあり、クラブリー川の河口でもある。そしてこの川を渡った対岸が、タイだ。こんな小さな港だけど、立派な国際港なのだ。
 だから当然イミグレーションも設置されており、タイを目指す旅人たちはここでパスポートチェックを受けて、港にびっしりと停泊している木製ボロボートに乗り込んでいく。しかし海に面したイミグレーションは満潮になると波に洗われ、出入り口が水浸しになる。タイに行く前にまず足元がズブ濡れになってしまう国境越えなのであった。
 だが僕の目的はタイではない。このルートはだいぶ前、#18で通過・制圧済みだ。今回はこのミャンマー最南端コートーンから、タイ国境に沿ってひたすらに北上していく。

 

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潮の満ち引きの影響をモロに受けてしまう残念なイミグレーション

 

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コートーンの街の東側。対岸にはタイの大地が広がっている

 

国境を越えてタイに出稼ぎに行く人々 

 数年ぶりのコートーンだが、改めて歩いてみると国境の街だけあってタイの匂いが濃い。雑貨屋に入ればタイのお菓子やジュース、ビール、日用品などがむしろミャンマーの商品よりも多い。そういえば泊まっているゲストハウスはタイバーツでの支払いもできたし、タイ語もよく通じた。僕は以前タイに住んでいたことがあってタイ語がいくらかわかるので、これはだいぶ助かる。
 それだけ経済をタイに依存しているようだ。イミグレーションを見ているとよくわかる。次々とバイクに乗った若者たちがやってきては、駐輪場に愛車を停めて、イミグレーションで手続きをし、ボートでタイに渡っていく。
「みんな向こうで働いてるのさ。タイのほうが給料がいいし、職場もいろいろあるからね」
 ひまを持てあましていたボートの船頭が言う。タイ側は昨今リゾート地としても開発が進む街ラノーンだ。そこからバスで南下すればタイ最大の観光島プーケット、東に向かってマレー半島を横断すれば、サムイ島をはじめとした島々がある。そんなリゾートアイランドのホテルやレストランや工事現場や漁船で働いているのは、ミャンマー人が多いのだ。日本人観光客がタイ人だと思って接している人々の中にも、相当数のミャンマー人がいる。ミャンマーはイギリス植民地時代の影響もあって英語の素養がある人がいまでもそこそこいるので外国人観光客の対応に向いていること、タイも経済発展が続く中で飲食や肉体労働といった現場が避けられつつあることなどが理由だ。
 こうして国境では賃金が安いほうに労働力が流れていくんだなあ……なんてアンダマン海にこぎ出していくボートを眺めながら思いを馳せる。コートーン側の街並みが貧しいのもそのあたりが原因なのかもしれない。
 そんなタイはもしかしたら、国境近辺に住むミャンマー人からすれば「憧れの国」なんだろうか。ミャンマー領の最南端地点であるビクトリア・ポイントのそばには、海の向こうのタイを望みながら食事ができるタイ料理のレストランがいくつも並び、ちょっとした観光地になっていた。

 

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ボートは乗客でいっぱいになると次々にタイ側に出発していく。逆にタイから来るボートは少ない

 

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サカナの乾物を売っていたおばちゃん。ミャンマーの市場は昔ながらの味わいがあって楽しい

 

ミャンマーは文化の交差点でもある 

 境界という視点からミャンマーを見たときに面白いのは、アジアの食文化がまぜこぜになっているということだ。街のあちこちにある喫茶店に入るとそれを実感する。タイへのボートが発着する船着場のそばの店でひと休みしたのだが、お茶と注文して出てきたのは中国茶と、インドのチャイなのであった。歴史上ふたつの大国の影響を受け続けてきた国らしい。加えて、パンケーキやクッキーなんかのお菓子の皿もあれこれと運ばれてくる。これは食べたものだけ支払う。
 軽食も豊富で、ミャンマー独特のナマズ出汁を使った麺料理モヒンガーもあれば、蒸し器では中国風の肉まんやシュウマイが湯気を立てている。こんな店がどんな田舎町でもたくさんあるのがミャンマーで、そんなカフェ文化そのものを持ち込んだのはイギリスなんだろうか……なんて街角の小さな喫茶店でもミャンマーの地政学について学べちゃうのであった。
 こんなさまざまな文化を、ミャンマー人の穏やかさ、丸さが包み込んでいる。コートーンの街でも、どこに行ってもやわらかい笑顔に出迎えられる。何度来ても、ほっとする国だと思った。

 

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中国茶+チャイがミャンマーのカフェの基本スタイル。肉まんもいける

 

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ミャンマーは庶民的なカフェがたくさんある。歩き疲れたときにちょうどいい

 

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旅行会社のスタッフ。ミャンマーは控えめな笑顔が心に残る国だ

 

ホトケに見送られて旅は始まる 

 翌朝、バスターミナルに出向いた。いよいよ北上を開始する。どうせ年代モノのおんぼろだろう……と覚悟していたのだが、意外やメルセデス製の立派な大型バスで、こんなのが走れるということは道路もそこそこしっかりしているのだろう。未舗装ガタガタ道でのハードな旅は回避できそうだ。
 冷房ばっちり、USBポートまでついたバスに乗り込むと、すぐに前方モニターに映像が現れた。オレンジ色の袈裟をまとった坊さんが、なにやら説法をしている。隣の席の青年はありがたい教えに感謝をしているのか、それとも旅の無事を祈っているのか、モニターに両手を合わせている。さすがは敬虔な仏教国である。ひと通り説法が済むころ、バスは満車となり、コートーンを出発した。

 

(続く)

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

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