越えて国境、迷ってアジア

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#102

中世のイミグレーション「箱根関所」を目指す(後編)

文と写真・室橋裕和

 箱根湯本駅から旧東海道を行く、トレッキング小旅行。山道をひたすらに歩き、江戸時代に築造された石畳の道を越えて、目的地は現代に復元された箱根関所だ。
 

ついに「天下の険」を突破して芦ノ湖へ 

 甘酒茶屋での一服は実に効いた。よく冷えた甘酒が、歩き疲れた身体にじんわりと染み渡る。米麹と米だけでつくったノンアルコールだそうだ。栄養豊富で、江戸時代から箱根越えの旅人たちに愛されてきたというだけあって、確かに力が湧いてくるようだ。
 ようし、もうひとがんばり。
 僕はまた山中へと分け入った。足元に延びているのは江戸時代につくられた石畳の道だ。旧東海道である。1680年頃に敷設されてから350年近くが経ってもなお現存し、いまでは国の史跡となっている。往時の旅人もきっと踏みしめたこの石畳をたどり、箱根の山を歩いていく。
 甘酒茶屋のあたりがちょうど峠だったのか、きつい登り坂はいつの間にかゆるやかな下りになった。滑りやすい石畳の上、慎重に歩を進めていく。雑に石を並べたようでいて、実はけっこう手が込んでいるらしい。まず小石を突き固めて基礎をつくり、その上に大きな石を組み合わせ、さらに雨水が流れるよう排水路も設けられていて、その跡も現存している。旅人が涼をとれるよう、日陰をつくるための並木まで植えられているのだ。山の中でたいへんな難工事だったと思うが、そんな杉並木を見上げて歩いていると、視界が少し開けた。木々の間に大きな水の塊が見える。芦ノ湖だ。やっと天下の険、箱根の山を抜けたんだ。
 ほっとして最後の坂を下りきったとたん、いきなり賑やかな観光地になった。目の前に車が行き交い、レストランや土産物屋が並び、パワーストーンやら高原ソフトクリームだとか派手な看板が踊る。マスク姿の観光客がそぞろ歩く。元箱根の街の真ん中に出たのだ。つい数分前まで、深い山中で江戸時代の石畳を歩いていたものだから、なんだか頭がついていかない。タイムスリップしたような気分だ。
 それでも芦ノ湖のほとりまで来て、広々とした湖面を見渡すと、静かに達成感が湧く。昔の旅人もきっと、同じように石畳が敷かれた山道を延々と歩き、甘酒茶屋で休み、いくつも峠を越えてやっと芦ノ湖までたどりつき、この景色を見たに違いない。
 しかし当時、箱根から西へとさらに旅をする人々には、ひと仕事が待っていた。関所を通過しなくてはならないのだ。

 

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なかなか渋い山道が伸びる箱根旧街道。子供連れでも十分に歩けるコースだ

 

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芦ノ湖は釣り人も多い。元箱根には湖で獲れるワカサギ料理の店も

 

江戸時代のままに復元された箱根関所 

 旧東海道をさえぎるようにそびえ立つ箱根関所はまさしく国境の門。アジア各地の陸路国境でも見てきたイミグレーション・ゲートとよく似た造りであった。やはり旅人を検める施設は古今東西、同じような構造と威圧感を持つものなのかと感じ入る。
 500円の入場料を払って、東側ゲート、その名も「江戸口御門」をくぐっていざ勝負。
 まず旅人をひるませるのは、番屋の前に並び立つ槍衾だ。刺股、突棒と呼ばれる捕り物道具も立てかけられている。往時であればこうした武器を手に、足軽たちが行きかう人々にニラミをきかせていたのであろう。現代のイミグレーションでも兵士や警官が警備を固めているが、関所もやはり治安の要であったのだ。
 ものものしい警固に緊張しつつ、旅人は大番所に出頭する。小田原藩から出向した役人のお歴々が待ち構えているのだ。関所全体のボスである伴頭、業務の監視役である横目、それに実務を担う番士といった人々である。
 旅人が恐れながらと番士に提出するのは、パスポートならぬ往来手形。これは身分証明書であり、旅行許可証でもあった。江戸の昔、他藩に旅をするときには必ずこの書類を持っていなくてはならなかったのだ。
 手形に書かれていた内容は、住所氏名のほか、旅の目的など。それに各地の役人に対して旅の便宜を図るよう要請が記されてもいたそうな。このあたりも「日本国民である本パスポートの所持人を通路故障なく旅行させ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する」と外務大臣名で一文が添えられたパスポートとよく似ている。
 なお往来手形を発行したのは、自分の住む町や村の役人、それに菩提寺だ。寺は江戸時代、地域の個人情報を管理する役所のような機能も持っていたのだ。寺請制度によって、誰しも必ずどこかの寺院の檀家として所属することが義務づけられことによるもので、結婚や奉公に伴う引っ越しのときにも証文を発行したそうだ。
 往来手形のほかに、関所を通過するための通行手形が必要なこともあったようだ。あの「東海道中膝栗毛」の主人公「弥次さん、喜多さん」も、往来手形と通行手形の両方を持って江戸を旅立っている。パスポートとビザのようなものだろうか。

 

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旅人を出迎えるこのゲートが国境感たっぷりで実にいい

 

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パスポートならぬ往来手形をチェックする役人の皆さまのオブジェも展示されている

 

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こうした武具のほか、厩や井戸、台所、それに牢屋なども精緻に再現されていてなかなか見ごたえがある

 

とにかく似ている関所とイミグレーション 

 箱根関所の場合、男性旅行者は「ビザが免除」されることもあったようだ。通行手形が不要だったのである。身元のわかる往来手形だけでよかった。しかし女性はキッチリと通行手形を要求され、厳しい取り締まりを受けたという。とくに江戸から地方へ向かう女性だ。その中に、大名の奥方が紛れ込んでいないか、厳重にお調べが行われたのである。
 というのも江戸時代は、地方大名の家族が江戸に置かれた屋敷に住むことが定められていたが、これは体のいい人質だった。各地の有力大名に謀反を起こさせないための政策だったわけだ。ところがもし、江戸からその人質が脱出すれば、心おきなく暴れることができる……そう考える大名が現れても不思議ではない。そこで関所では、江戸からの「出女」を徹底的に調べたのだ。箱根関所でも女性専門の取調官である「人見女」や「改婆(あらためばあ)」が常駐していたという。
「出女」とともに警戒されていたのは、江戸に入る武器だ。鉄砲である。こちらは首都の治安を乱すとして、許可のない輸入は許されなかった。このあたりも現代でいうと税関や荷物検査を連想させて面白い。関所も国境も、その機能ひとつひとつが実に似通っているのである。
 ほかにも例えば、箱根関所は営業時間が決まっていて「明け六つ・暮れ六つ」(6~18時)までの開門だった。夜に着いても通行できないから、近隣の村で一泊してからの出直しだ。現代でも国境によっては通行できる時間が決まっていて(24時間通れるところもあるが)、江戸時代と同じように基点となる街に泊まり、翌朝イミグレーションに向かう、なんてこともある。
 また関所以外での通行は固く禁じられているのも現代と一緒だ。道の通っていない山や、芦ノ湖をこっそり渡って行き来することもできたが、これは「関所破り」となり死罪が科せられた。それも「磔、獄門」という極刑だった。人間の通行は厳重に管理されていたのである。
 ちなみにいまの日本で密入国をすると、「出入国管理及び難民認定法」の違反となり、「3年以下の懲役もしくは禁錮、もしくは300万円以下の罰金」だ。現代社会はやさしいのである。

 

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遠見番所から眺める箱根関所と芦ノ湖。遊覧船がなければ江戸時代の景色と同じかもしれない

 

 丘の上に復元された遠見番所からは、箱根関所とその向こうの芦ノ湖がよく見晴らせる。
 お調べを無事に済ませ、関所の通過が認められた旅人たちもやはり、こうして芦ノ湖を見たのだろう。箱根関所の西側ゲートは、「京口御門」と呼ばれていた。江戸口から入って京口に出る。なかなか粋なネーミングではないか。こうして江戸時代のイミグレーションを抜けて、人は西へ東へと旅をした。その頃の風景が蘇ってくるかのような、箱根の旅であったのだ。

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

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