ブルー・ジャーニー

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#102

アルゼンチン はるかなる国〈21〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「どこかすばらしい場所に身を落ちつけたい」

 

 悲鳴が牧場に響き渡った。

「わたしのかわいそうな子犬ちゃん」

 オーナーの愛犬を撃ち殺してしまった以上、留まるわけにはいかなかった。ゲバラとグラナードは大急ぎで荷物をまとめ「エンジンがかかるか、かかないかのうちに、バイクに飛び乗った。哀れな女の悔しさと嘆き悲しみの声に追われて、ものすごいスピードで丘を下った」

 グラナードはタイヤを修理するために近くの町に行き、野宿を覚悟していたゲバラは、道路工事夫の家の台所に泊めてもらうことになった。

 旅に出てから1カ月余り、ひとつ、たしかなことは、裕福な人間たちよりも貧しい人たちのほうが親切だということだった。

 翌2月8日、ナウエル・ウアピ湖に到着。

 対岸にサン・カルロス・バリローチェの町並みが霞んで見えた。背後にそびえるアンデス山脈の向こうでチリがふたりを待ち受けていた。

 

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 ──太陽が沈みかかると、湖の表面には銀色のさざなみが立った。湖の向こうにはアンデス山脈が壮麗にそびえ、青みがかった霧に包まれると、アンデスはさらに美しくなった」(グラナード記)

 

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 ──ここを描写しようとすれば、陳腐な言葉の繰り返しになる。刻々と変わる水と空の色、雪の山頂の壮大さ、風景の静けさをどんな言葉で語ればいいのか? おれたちは互いに言葉をなくし、道を外れて水際に走っただけだ。そうとしか表現できない。太陽の最後の光を浴びて湖畔に座り、目の前の荘厳な風景に驚嘆して、じっと見つめた。最後には岸辺の明かりはおれたちのキャンプファイヤの炎だけになった。かすかな明かりで、キャンプ地の下にアラヤンの花を見分けることができた。(グラナード記)

 

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 ──僕らはアサードを買って湖のほとりを散策することにした。自分の領域に無理矢理進入してくる文明に屈していない野生の宿る巨大な木々の下で、そこに旅の帰りに研究室を建てようと計画した。湖を望む大きな窓、冬には真っ白になる地面、湖を横切るためのオートジャイロ、舟釣り、ほとんど未開拓の山々でのつきない遠足、そんなものに思いを巡らせた。

 

 アンデス山脈の麓に点在する氷河湖を前に、ケバラは胸が痛くなるほど無防備な素顔を見せる。日記に書かれた文章は、モーターサイクル・ダイアリーズのほかの部分とはまったくと言っていいほど異なる。つねに事物の本質を見極めようとする緊張感はそこにはない。

 

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 ──やがて僕らはどこかすばらしい場所に身を落ちつけたいという欲求を強く感じた。

 

 思い浮かべた安住の日々。おそらく“チェ”になる前の、エルネスト・ゲバラでいられた最後のひとときだった。

 

 ──たぶんいつの日か世界を転々とするのに飽きたら、もう一度このアルゼンチンに居を定めるかもしれないし、そうしたら、最終的なすみかではないにしても、少なくとも別の見方で世界を見るための中継点として、山の中の湖水地帯をもう一度訪れて、住むだろう。

 

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 この南米大陸をめぐる「行き当たりばったり」の旅は、結果的に約9カ月2万キロに及んだ。1952年9月、ブエノスアイレスに戻ったゲバラは大学に復学。翌年6月に医師資格を取得して卒業すると、7月に2度目の旅に出発、グアテマラでCIA を後ろ盾とする軍事クーデターと遭遇し、安住とは無縁の戦士となった。

 

「少佐、ゲリラとしての人生で最も感動した瞬間は?」

 1959年1月、キューバ革命成功直後、記者の質問に応えてチェ・ゲバラは言った。

「電話で、ブエノスアイレスにいる父の声を聞いたときです。6年の間、国に帰っていなかったのです」

 母親が癌で他界したことを知ったのは1965年5月、キューバを離れたチェがコンゴで新たにゲリラ活動をはじめた矢先だった。

「おかあさんに、ここに来てほしい。そのひざに僕が頭を乗せたら、ただひたすら優しく『わたしのぼうや』と言って、そっとぼくの肌に触れてほしい。ぼくの体がそう求めている」

 銃殺されるまでの16年間、帰国はただ1度、わずか4時間の滞在だった。

 

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 ナウエル・ウアピ湖湖畔を走り、バリローチェについたふたりは国家憲兵司令部の片隅に寝場所を確保。監獄の台所で立ったまま冷たい肉をかじった。グラナード曰く“考えつく限りもっとも独創的で選り抜かれた人たち──脱走兵、卑猥な独り言をいい続ける女、常習犯、何も食べられないほど酒を飲んだ酔っぱらい、女の美徳とばかりに気弱そうな話し方をする女──” が饗宴の出席者だった。

 

 ──おかあさん、国境を越えるとき、胸をよぎるのは、いつもふたつの思いです。背にする国への郷愁と新たな国へはいる興奮です。

 

 翌日、ブエノスアイレスを出てから43日目、ふたりは汽船にポデローサⅡ号を乗せ、ナウエル・ウアピ湖北岸の町、プエルト・ブレストで下船。数キロ走ってふたたび汽船に乗り、プエルト・フリアスでアルゼンチン税関にたどりついた。『大いなる歌』でノーベル文学賞を受賞した詩人、チリのパブロ・ネルーダが、ふたりがたどったルートからそう遠くないアンデス山脈山中をチリからアルゼンチンに向かったのは、約4年前のことだった。

 

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 小さいころ、喘息のために家にいる時間が長かったゲバラは本の世界に浸った。アレクサンドル・デュマ、エミリオ・サルガリ、ロバート・ルイス・スティーブンソン、ミゲル・セルバンテス、とりわけ父が持っていた革の表紙のジュール・ベルヌ全集に夢中になった。(父、エルネスト・ケバラ=リンチはクラスメイトのホルヘ・ルイス・ボルヘスを平手打ちしたためにナショナル・カレッジを放校になった。「先生、こいつは勉強の邪魔をするんです」とボルヘスが教師に「告げ口した」からだった)

 詩にも傾倒、生涯に渡って書き続けた。

 ネルーダをこよなく愛し、15歳のとき『20の愛の歌と絶望の歌1編』をすべて覚え、ガールフレンドに口ずさんで聞かせた。

 

 ──おお チリよ 海と ぶどう酒と

   雪の 細長い花びらよ

   ああ いつ

   ああ いつ いつ

   ああ いつまたおまえに会えるのだろう

   また会うそのとき

   おまえは 白と黒の泡のリボンを

   おれの身にまきつけてくれるだろう。

   そしておれは おまえの領土に

   おれの詩を解き放とう(略)

          『ああ いつ ああ いつ いつ……』

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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