越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#101

中世のイミグレーション「箱根関所」を目指す(前編)

文と写真・室橋裕和

 僕は国境を目指して歩いていた。
 ゆるゆると登っていく山道だ。緑の匂いが濃い。ちょうど差しかかった一里塚を見ると、江戸から22里とある。まだまだ歩きはじめたばかりなのだ。
 川のせせらぎの音が届く。深い緑に覆われ、苔むした東海道は、梅雨どきとあってひどい湿気だった。坂道を歩いていると、なんだか息苦しくなってくる。ふう、と呼吸をつなぎ、思わず山塊を見上げる。さすがは音に聞こえし天下の険。この箱根の山の向こうに、国境がある。峠を越えた先の、箱根関所が目的地だ。

 

東海道の要害、箱根関所へ 

 コロナ禍により海外との行き来が阻まれて数か月。この連載の方針を意地でも維持すべく、僕は区境を越え、県境を巡ってきた。そしてとうとう国境である。「関所」を見てみたいと思い立ったのだ。
 江戸時代まで日本各地にあった関所とは、通行人を見定め、往来を管理し、ときに制限する役目を担っていた。治安維持と物流の要であり、通過するためには通行手形、現代でいうパスポートの所持が必要だったわけで、これはまさしくイミグレーション、現代の国境と同じではないか。
 数ある関所の中でも、とくに江戸幕府から重要視されていたのが箱根関所だ。当時の主要幹線道路たる東海道に立ちはだかり、旅人を厳しく検めたという中世の出入国管理所。ここがいまでは復元され、公開されているのだという。ならば当時のように東海道を歩き、箱根の山を越えて、関所を目指してみようではないか。

 

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出発点の箱根湯本駅のそばには観光用の人力車がいた

 

江戸時代につくられた石畳を歩いていく 

 ちょうど「関東地方」の西のはしっこにあたるだろうか。僕は箱根湯本のあたりを歩いていた。江戸時代は箱根「関」所の「東」側を「関東地方」と称し、それより西は江戸から見れば異国であったのだ。またこのあたりは、東の相模藩、西の駿河藩が接する場所でもある。まさに境界線。箱根の山を越えれば違う国、違う世界が広がっているのだ。江戸時代の旅人も、やっぱり高揚感を持って歩いていたのだろうと思う。
 現代の旅人はまず、神奈川県道732号線を歩いていく。中央分離帯もない狭く古びた道路だが、これが旧東海道なのだ。小田原から箱根湯本の駅まで電車で向かい、そこから歩きはじめたわけだが、中心部を抜けるとすぐに山中へと入り、静寂に包まれる。ところどころに湯治場が散らばり、林の中に紛れるようにホテルが点在するが、そうした建物もだんだん少なくなっていく。やがてどこからか鐘の音が響き、山肌にこだました。江戸から遠く離れたことを実感する。
 いまではこの732号線と交差するように、国道1号線のバイパスが走っている。ほとんどの観光客はそちらをドライブして箱根旅行を楽しむようだ。いまや「下道」に追いやられてしまっている732号線をとぼとぼ歩いていくのは僕くらいのものではあるのだが、それでも箱根湯本から旧東海道をめぐって関所を目指すルートは、ちょっとしたハイキングコースにもなっている。
 というのも、アスファルトの732号線から外れて、森の中へと伸びていく、ホンモノの旧東海道が現存しているのだ。江戸時代に整備された石畳の街道が、まるで古代遺跡のように残っている。これをたどっていく。

 

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旧東海道ではところどころで山道に入り、江戸時代から残る石畳の道を歩くことになる

 

340年前の道がいまでも残る 

 これが江戸の街道旅かあと、石畳連なる山道にわくわくしていたのはつかの間のこと、すぐに後悔した。想像以上に旧東海道は険しかった。軽いお散歩程度のつもりでやってきたのだが、けっこう本格的な山歩きなのだ。あっという間に汗まみれになり、息が上がる。やっぱりここは天下の険であった。
 だいたい、江戸時代の石畳は歴史を感じさせてシブくはあるのだが、つるつる滑ってこわい。湿度の高いいまの季節は雨が降っていなくても石は濡れ、コケそうになる。
 それでも、石畳が敷かれる前はとんでもない悪路だったようだ。雨や雪が降ったあと、この街道は人のひざまで埋まる泥沼と化したという。とうてい歩けるようなものではなかった。そこで竹を敷きつめていたそうだが、長持ちはしない。通行量が増えればもろい竹の道路は崩れてしまいし、腐食もする。だから毎年のように大量の竹を伐採し、買い上げて、敷き変えなくてはならない。人出も予算も必要だった。
 そこで1680年(延宝8年)、幕府は箱根越えの行程を石畳につくりかえた。すべて人力の時代、たいへんな苦労だったと思うが、そのおかげで東海道は格段に通行しやすくなったという。関東大震災などでたびたび被害を受けたが、いまでもその一部が残っており、現代のトレッカーを楽しませているわけだが、運動不足のおじさんにとってはなかなかにきつい。

 

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山歩きに慣れている人にとっては、たいしたことのないルートだろう

 

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山の中に突然現れる畑宿の集落。参勤交代の大名が休んだ屋敷跡も残っている

 

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畑宿にて。はるか京都まで続く東海道の、ここはまだまだ序盤にすぎない

 

厳しい坂をいくつも越えて 

 ひどい湿気の中732号線と山道とを交互に歩き、少しずつ標高を上げて、ようやく中間地点の畑宿に到着した。小さな村である。寄木細工の店がいくつもあるが、静かだ。
 そして、ここからが本番だった
 集落の西にある一里塚のわきから山道に入ると、ところどころに石畳が残るキツい上り坂が続く。こんな険しい道を、参勤交代の大行列だとか、お伊勢参りの人々も通っていたのだろうか。
 そんな坂のいくつかには名前がつけられ、説明のタテ看板が立っているのがせめてもの慰めか。それを見るに、道中一番の難所とされる橿木坂では、ある男が、
〝橿の木の 坂を越ゆれば 苦しくて どんぐりほどの 涙こぼるる〟
 と詠んだのだそうな。この句は1659年に浅井了意という坊さんにして作家が書いた『東海道名所記』に出てくるというが、確かにこれは涙こぼるる……と思いながら坂を上っていく。
 ようやくひと山越えたと思ったら、今度は「猿滑坂」なる、いやらしい場所が現れる。名前の由来の通り、苔に覆われた石畳の危ない急坂だ。慎重に歩を進め、息を切らして、少しずつ登っていくと、視界が開けた。ようやく登り坂が終わり、平坦な道になる。

 

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あちこちにウンチク看板があって読みながら歩いていくのはなかなか楽しい

 

しみじみと旨かった甘酒と黒ごま餅 

 解放されたような気分で歩いていると、不意に大きな茅葺き屋根が見えてきた。ほっとする。甘酒茶屋だ。江戸時代からずっと旅人たちを見守り、休憩所として親しまれてきた峠の茶屋だ。
 ひと休みしよう。
 名物の甘酒と、黒ごまの力餅をいただく。よく冷えた甘酒が疲れた身体に染み渡る。餅をひとつ口にするたびに、本当に体力が回復し、力が湧いてくる気がする。400年前の旅人の気分がほんの少しだけわかった気がした。
 さあて、もう少しで箱根の山を越える。関所まで一気に歩いていこう。

 

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これぞ街道の茶屋。昔ながらのたたずまいで旅人を迎えてくれる甘酒茶屋

 

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本当に生き返るようなおいしさだった。ぜひ、たっぷり山を歩いてからいただいてほしい。ちなみに甘酒はノンアルコール

 

(後編に続く!)

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発日本語情報誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを務め、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。おもな著書は『日本の異国』(晶文社)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)。

 

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