ブルー・ジャーニー

ブルー・ジャーニー

#100

アルゼンチン はるかなる国〈19〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

「ぼくらの胸に『自然』が触れた」

 ──道は、ようやく大アンデス山脈が始まろうとしている低い丘の間を蛇行し、村に出るまではかなりの下り坂だった。村は陰気で醜かったが、葉の豊かな植物の生い茂ったすばらしい丘陵に取り囲まれている。(28日目 ゲバラ記)

 

 コジョン・クラ川の急流を、流されないようにケーブルでつながれたフェリーで渡った(現在は架橋されている)ゲバラとグラナードは、昼食用の肉を求めて入った大牧場で「ナチと覚しきドイツ人青年貴族」と出会う。

 反政府運動に参加したグラナードを投獄したペロンの政府は、第2次世界大戦後、ナチス残党の受け入れを積極的に容認。数千人とも言われる戦争犯罪者は、都会の雑踏もしくはパンパやアマゾンの奥地に姿を隠した。

 

 ──ドイツ人のことや、妙な憶測など忘れて、釣りに没頭した。牧童の一人が道具を貸してくれ、マスを大量に釣った。途中で熟れたサクランボのある果樹園にぶつかった。ペラオ(ゲバラの愛称)はひと握りほどを食べただけだが、俺は欲張って食べすぎた。おかげで彼がバーベキューしたマスやリブ肉が食べられなかった。あの匂いはすごくうまそうだった。(28日目 グラナード記)

 

1901

1902

 

 パンパを抜け出ると、乾いた空気は木々の深呼吸と入れ替わり、景色は本のページをめくるように変わる。

「砂漠は何も語らない。まったくの受け身で、働きかけられることはあっても、自分からは決して働きかけない」。西部のヘンリー・デイヴィット・ソローと呼ばれたエドワード・アピーは言った。「(砂漠は)簡潔で、希薄で、禁欲的で、一切の価値を持たず、愛ではなく沈思黙考を誘う」

 砂漠とは正反対に木々は五感を刺激し、積極的に関わってくる。だからアンデス山脈に近づくと、べつの惑星から地球にもどってきたように感じ、森に分け入るとすぐ、その印象は打ち消される。

 ここの植生は日本の植生とはまるでちがう。パラレルワールドに迷いこんだようで、やがて沈思黙考に誘われることになる。

 

1903

 

 サクランボの食べ過ぎですっかりお腹をこわしたグラナードとゲバラを乗せたポデローサⅡ号は、まもなくルート40に入った。

 アンデス山脈に並行して南アメリカ大陸の内陸部を縦断するルート40。東海岸の道路は舗装され、ブエノスアイレスをはじめ、近代化された都市が点在しているが、このルート40は約3800キロに渡ってほぼ無人の荒野をひた走る。

 北はボリビアとの国境に始まり、インカの文化を色濃く残すウマワカ渓谷、虹色に輝く谷、巨大な塩湖を通過。南米最高峰アコンカグア(6962)を仰ぎ、標高3000〜4000メートルのアンデス高原から徐々に標高を下げ、パタゴニアと呼ばれる地域に突入。湖が点在する地域を走り抜け、強風のなか、大草原をかきわけて伸びる未舗装路を走り、氷河に見下ろされながら、南アメリカ最南端の町、フエゴ島に位置するウシュアイアに突き当たる。

 

1904

 

 ──カルウエ・グランデ湖(現在の表記はアルベホ・グランデ湖)は高い山に囲まれた美しい場所で、多くの山頂は一年中雪に覆われている。そこで山の一つに登ることにした。(中略)頂上を覆う雪原まで数メートルに迫った。先を行くエルネスト(※ゲバラ)が突出した岩をつかむと、岩が崩れた。彼は必死に岩を支えようとしたが、岩が落ちるとなれば彼も一緒に落下する。俺はあわてて彼のそばに行き、片手で支えたが、確かな足場がないために、二人とも岩とともに落ちかねない。力を振り絞り、彼が左に俺が右にと分かれ、二人の間に丸石を滑落させた。丸石がぶつかり、下に落ち、九〇メートル程下で粉々に砕けるのを見て、初めてどれほど危険だったかを悟った。(28日目 グラナード記)

「足下に広がる壮大な風景をうっとりと眺め」、記念写真を数枚撮り、雪の球をぶつけ合い、「ひとしきりふざけあった」ふたりは下山にとりかかった。

 滑る足下に時間を取られ、平地にたどりついたとき、とうに日は暮れていた。

 

 ──いきなり林が消えて平地に出た。大きな鹿の影が流れ星のように川を横切り、昇りつつあった月に銀色に照らされたその姿は茂みの中に消えた。ぼくらの胸に「自然」が触れた。この時僕らも共有していた野生の聖域の平和を邪魔しないように、おそるおそるゆっくりと歩いていった。(28日目 ゲバラ記)

 

1905

 

 翌日の昼過ぎ、森番の小屋で、借りものの羊のなめし皮の上で目を覚ましたゲバラは、ペンを手に取った。

「愛するお母さんへ

 僕の方からお母さんに全然手紙を書いていませんでしたが、でもお母さんからも何も便りを受け取っていないので、心配しています。僕たちに起こったことを全部お話ししていたのでは、この短い手紙の意図を果たせなくなってしまうので、簡単に話しておくと、バイーア・ブランカを出発して間もなく、実際二日後だったんですが、僕は四十度も熱が出て一日寝込んでしまいました。その翌日はどうにかこうにか起きあがって、チョエレ・チョエルの地方病院にたどり着き、そこに四日間入院して、ペニシリンというあまり知られていない薬を打ってもらって治りました。

 そのあとも山ほどの問題に悩まされましたが、いつも通り臨機応変に切り抜け、サン・マルティン・ロス・アンデスという原生林に囲まれた、美しい湖のある素晴らしい場所までやってきました。お母さんにも見て欲しいです。一見の価値がありますからね。僕らの顔はカーボランダム(研磨剤などとしても用いられる金剛砂)みたいな手触りになってきました。(厚かましいことこのうえなくなってきたの意)。

(中略)あなたを愛している息子から、愛を込めた抱擁をお受け取りください。

 

1906

 

 ルート40はパタゴニアに入って間もなく、“セブンレイクス・ロード”と呼ばれる区間に走りこむ。

 マチェウ湖(マチョニ湖)、エルモソ湖、ビジャリノ湖、トルメントソ湖(トラフル湖)、澄んだ水をたたえた氷河湖の横をゆっくり進んだゲバラとグラナードは、エスぺホ・グランデ(大きな鏡の意)湖でのポデローサⅡ号エンジンを切った。

 どこからともなく男が現れたのは、ふたりが缶詰の肉と古いパンとマテ茶の夕食をとっているときだった。

 グラナードがマテ茶をすすめると、男は座り、一方的に話し始めた。ポデローサⅡ号の排気量や値段をたずね、ふたりのリュックサックや革製の上着をほめ、このあたりにはチリ人の泥棒がいる、そんな場所で野宿するのは危険だと言い始めた。

 つがいのアヒルが岸の近くを泳いでいた。グラナードは適当な返事を返し、ゲバラは「スフィンクスのように無言のまま」マテ茶を沸かしていた。

 男がゲバラに答えをうながした。

 一瞬の沈黙をはさんで、ゲバラはブーツに隠し持っていたスミス&ウェッソンを抜き、ほとんどねらいをつけず引き金を引いた。ブエノスアイレスを出発するとき、父親から手渡された銃だった。

 アヒルが横向きで浮いているのを見た男は、マテ茶を落としながら立ち上がり、すがたを消した。

 

――またしても、エルネストは決断力の早さを雄弁に示したのだった。(29日目 グラナード記)

 

(つづく)

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

blue-journey00_writer01

時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『[増補改訂版]オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー 蹴球部中竹組』『オールアウト 楕円の奇蹟、情熱の軌跡 』『魂の在処(共著・中山雅史)』『ジュビロ磐田、挑戦の血統(サックスブルー)』、共著に『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

ノンフィクション単行本 好評発売中!

blue-journey00_book01

日本ラグビー 凱歌の先へ
編著・日本ラグビー狂会

     

ブルー・ジャーニー
バックナンバー

その他の辺境・秘境の旅

ページトップアンカー