日常にある「非日常系」考古旅

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#10

東京遺跡探し~潜伏キリシタンGO!(後編)

文と写真・丸山ゴンザレス

 

 

 

 太郎さんにヒントをもらった「私の得意な場所」にある潜伏キリシタンの遺跡を探すべく、私が向かったのは新宿だ。馴染みのある場所といえば真っ先に思いつくのがここである。今となっては、私のホームタウンと言ってもいいだろう。

 

 その新宿で、古くからある建造物や遺跡はいくつもあるが、キリシタンと聞いて何となく思い当たる場所があった。ただし、かなり記憶が曖昧だったので、あれこれ想定するよりも確かめたほうが手っ取り早いと思い、実際に行ってみることにしたのだ。

 

 副都心線の新宿三丁目駅を出て四谷方面に少し歩く。そこには、日本どころか世界的な観光地となっている「新宿二丁目」がある。いまさら説明するのも野暮なほど、ゲイバーが数多くある場所として知られている。一部、観光地化しているので、訪れた人も多いことだろう。

 

 私はこの街には縁があって、何度となく来ている。仕事をしている出版社があり、馴染みの飲み屋もある。それに、その昔、サブカル雑誌の企画で、二丁目には魔が集まる的なオカルト記事を書くときにあれこれ探ったことがあったのだ。その際に耳にしたのが、太宗寺にある歴史文化財のいくつかの逸話である。

 

 この寺は二丁目のど真ん中にあるのだが、歴史は古く内藤重頼によって1668年に創建されている。内藤家は新宿の語源である内藤新宿の内藤である。もともと新宿は内藤家の屋敷があり菩提寺となったのが太宗寺だ。

 

 その太宗寺には、閻魔像・奪衣婆像といったオカルトファンには馴染みのある像が収められている。特に閻魔像はいわくつきで、子どもを食べるという伝説も残されているのだが、その逸話の中に、キリシタンに関するものがあったと聞いたのを、おぼろげながら思い出したのだ。

 

 

隠れキリシタンの痕跡見~つけた??

 

 

 境内に入り敷地を奥まで進む。事務所らしき建物の前にある看板が見えて、その横にある灯籠の存在はすぐにわかった。それこそが「切支丹灯籠」である。1952年に太宗寺にある内藤家墓所から出土したのだが、現在のような完形ではなく、脚部だけが出土したそうだ。そのほかのパーツは、推定復元されたものだ。

 

 それほど大きいものではないが、竿部の下にはマリア像を思わせる彫刻がある。つまり、これはマリア観音なのである。ただ、仏像として、はっきりと顔があるというわけではなく、造形も甘いような気がする。

 

 妙な引っかかりはあるが、シルエットでぼかしているからこそ、信者たちは思い思いの神像を心に描きやすくなったのかもしれない。もちろん迫害から避けるというのは第一義ではあっただろうが……。

 

 もう一つ、想像を掻き立てられたのは、このマリア観音が彫られた切支丹灯籠が内藤家の墓所から見つかったと伝わっていることだ。今となってはわからないが、もしかしたら、内藤家にその信仰があったのかもしれないと思わせるのだ。

 

 こうした遺物や歴史の断片的な情報から、仮説を組み立てる想像力こそが、考古学を楽しむために必要な力なのだと思う。

 

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実証史学の本質を痛感!

 

 

 ということで、江戸のロマンに浸りながら、太郎さんに「太宗寺の切支丹灯籠、発見!」の連絡を入れた。

 

「おつかれさん。たどり着いたことは褒めとくけど……」

「なんか引っかかりますね。はっきり言ってくださいよ」

 

 太郎さんが妙にタメてくる。

 

「灯篭の由来は、ほぼマユツバだかんな」

「え!?」

 

 完全に言葉を失った私に、太郎さんが畳み掛ける。

 

「ありゃ、心の目でしか見えないのよ」

「つまり?」

「だから、マユツバだって言ったろ。根拠としては、まず、この燈籠とキリスト教信仰を結び付ける裏付け資料が残ってない。おまけに昭和に入ってキリシタンブームみたいなのもあってな。石にやたら十字架を刻んじゃったりとかした時期があったから、偽物だったりとかが多いんだよ。太宗寺の燈籠が近年の偽物と決めつけるわけじゃないが、本当にキリシタンの信仰の対象だったかどうかは、正直わからんどころか、かなり胡散臭い」

 

 この言葉を聴いた瞬間、私は過去にインドのスラム街を訪れた時のことを思い出した。以前、別の本にも書いたことだが、スラムの子どもたちに“プレゼント”をするツアーに同行した際、子どもたちが集まる広場の裏側で、iPhoneをいじっている裕福そうな現地の大人を見かけたのだ。つまり、物事を一側面から見ただけでは、それが真実なのかどうかを見分けることはできないということ。これは歴史学にとっても、そうである。たとえば、司馬遼太郎氏が描く坂本竜馬や塩野七生氏が描くカエサルが本当に“英雄”であったかどうかは、彼らの小説から窺い知ることはできないのだ。作品として成立させるために都合のいい史実だけを取捨選択していることは否めない。本当の歴史を追求するならば、そこを疑いながら実証して仮説を立てる必要がある。これは大学2年の時に史学概論という講義で学んだことだ。そしてこれこそが、学問としての考古学の本質なのだ。そんなことまで記憶に蘇ってきて頭の回転がおかしくなっているところに、太郎さんが重ねてきた。

 

「いい勉強になっただろ。歴史学の基礎は史料批判。そして考古学はモノが見て研究する学問。ロマンを重ねるのもいいが、実証史学の基本を疎かにしちゃなんねえってことだ」

 

 住居や貝塚のような生活の痕跡ではなく、祈りという形のないものを考古学で証明することは難しい。だが、不可能ではない。それは、都内のキリシタン遺跡を見てきた中で明らかにできるところもあった。だが、最後の最後に気を抜いたというか、自分の詰めの甘さを思い知らされた気分だった。

 

 少しばかりリハビリの成果に浮かれていた自分が急に恥ずかしくなった。

 

 考古学者が研究をして論文を書くためには、遺跡を発掘して出土したモノがなければいけない。それがなければ、想像力の答え合わせにならないからだ。モノがあってイメージする。そのためにモノが本物かどうかを検証する。その積み重ねこそが考古学者としての力の根源なのだ。

 

 私はこれまで考古学とは違った道、ジャーナリストとしての道を歩いてきた。そのために学者としての勘が鈍っていたところがあるのかもしれない。しかし、それだからこそ、私ができる、というか、私にしかできない考古学があるはずだ。そう思って始めた考古学への再チャレンジである。そのスタート地点に立つにあたって、先輩からこれ以上ない餞別をもらった気分になった。

 

 進むべき道と新たな課題が見えてきたことで、私の次なる調査がいかなる方向にいくのか、先々の展開をお待ちいただきたい。

 

 

IMG_2020奇食イベントでタランチュラを頬張る筆者

 

IMG_2021ちなみにタランチュラは、揚げたてのほうが美味しいらしい…(by筆者)

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。お楽しみに!

 

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丸山ゴンザレス(丸山祐介)

1977年生まれ、宮城県出身。國學院大學大学院修了。考古学者崩れのジャーナリスト。フリー編集者。出版社勤務を経て独立。國學院大學学術資料センター共同研究員。TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く“危険地帯ジャーナリスト”として人気。2005年『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)で作家デビュー。以後、著書多数。【丸山ゴンザレス】名義:『海外あるある』(双葉社)、『闇社会犯罪 日本人vs.外国人 ―悪い奴ほどグローバル』(さくら舎)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)等。【丸山祐介名義】:『図解裏社会のカラクリ』『裏社会の歩き方』(ともに彩図社)、『そこまでやるか! 裏社会ビジネス』(さくら舎)等。近著『GONZALES IN NEW YORK』(講談社)が好評発売中。旅行情報などを配信するネットラジオ「海外ブラックロードpodcast」では、ラジオパーソナリティーとしても活動中。

双葉社の既刊本好評発売中!!

ISBN978-4-575-30635-4

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