越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#10

中国・打洛

文と写真・室橋裕和

 

  中国とミャンマーの国境地点は、まるでテーマパークだった。巨大な市場やレストランが並び、中国人ツアー客で大賑わいだ。観光バスが殺到する国境ポイントに乗り込んでみた。

 

 

中国にいながらタイ語で旅ができるエリア

 ラオス国境からバスを乗りついでおよそ4時間。中国雲南省の最南部、シーサンパンナ・タイ族自治州の中心都市、景洪(ジンホン)にやってきた。州の名が示すとおりに、タイ族が人口の3割を占め、ほかにも多数の少数民族が暮らす場所だ。とはいえ、街並みはいたってチャイナ。雲南省のこんな僻地の山岳地帯でさえ、入植してきた漢民族がつくりあげた無機質な高層ビルが建ち並ぶ。あきれたエネルギーである。
 タイ族とはもちろんタイ王国の主要民族のことで、彼らはもともと、このあたりに暮らしていたらしい。11世紀ごろから一部のタイ族が、チベットやモンゴルに押されるように南下をはじめ、インドシナ半島に散っていく。
 一方、当地に残ったタイ族は、小国の連合体を形成し、これをシーサンパンナと呼んでいた。20世紀まで存在していたが、中国によって1950年に併合されている。
 ちなみに地名はタイ語でシップソン=12、パン=1000、ナー=田んぼ、「12000の田のある地」が訛ったものだという。
 景洪はともかく、地方に行くと素朴なタイ族の村が広がっている。時おり見えるのはタイのお寺だ。僕は長いことタイに住んでいたことがあるので、懐かしいのだ。一度、来てみたかった。
 言葉もシーサンパンナのタイ語と、タイ本土のタイ語ではだいぶ違う。それでも僕の下手なタイ語を理解してくれると嬉しいもので、「中国にいながらタイ語で旅をする」面白さに夢中になっていた。

 

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景洪は人口およそ40万人。けっこうな都会なのだ

 

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景洪の中心部を流れるのはメコン河。タイ族はこの流れに沿って南下していった

 

 

中国人観光客で賑わうミャンマー国境

 もうひとつの目的が、ミャンマー国境だ。景洪からは、シーサンパンナのかつての版図に街道が延びている。僕がやってきたラオスだけでなく、いくつもの道が国境を越えてミャンマーへと続いているのだ。
 多くは外国人の通過できない場所だが、国境市で賑わっている場所もあるようだ。そのうちのひとつ、打洛(ダールオ)にまずは行ってみることにした。景洪からはバスで3時間ほどだ。
 打洛のバスターミナルでは、何人かのバイクタクシーが出迎えてくれた。もちろん中国語なので、さっぱりわからない。
 そこでノートを広げて、「口岸」と書いてみる。国境を意味する中国語だ。彼らは仲間同士で頷きあう。ひとりがペンとノートを貸せとジャスチャーする。「口岸」から矢印を引き「2公里」と書き、バイクの後部座席をばんばん叩く。
〝国境まで2キロあるから、乗ってけや〟
 中国人はせっかちに見えて、意外に筆談に応じてくれる。そして誰しもが整った、きれいな漢字を書くのだ。

 

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バイクタクシーに揺られてミャンマー国境を目指す

 

 バイクにまたがり田園地帯を走っていくと、確かに2キロほどで建物の群れが見えてきた。右に左に商店やレストラン、土産物屋などが現れ、そぞろ歩く人々の流れを避けながら、バイクは低速で進む。大型の観光バスがずらりと並ぶ駐車場。交通誘導する係員。これ、本当に国境なんだろうか。
 しかし、促されてバイクを降りた目の前にそびえるのは、紛れもなく中国側国境ゲート。改修中ではあったが、立派な三角屋根を持つインドシナへの、ミャンマーへの門だ。
 イミグレーションを前にすると、中国人観光客たちが、いっせいに歓声を上げるのだ。マニアの僕よりも興奮気味にゲートを指差して目を丸くし、写真を撮りまくり、自撮り棒を構える。ツアーご一行の横断幕を広げて、国境の前で記念撮影だ。
「これが国境なのか」と感慨深げに眺める彼らを見て、そうか、と思った。いくつもの国と長大な国境線を接する中国だが、内陸部や、太平洋沿岸部に暮らす数億の人々にしてみれば、国境という存在はあまりに遠い。国土が広すぎて、その辺縁に暮らす人々以外は、隣国が地続きであることを意識しづらいのかもしれない。そんな彼らにとっては、僕と同様に、国境が観光ポイントになるほど珍しくて興味深いのだ。

 

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国境ゲートをバックに撮影。中国人はこんなスタイルのツアーが大好きだ

 

 しかし……はしゃぐのはわかるが、それにしたってこの国境のお祭り騒ぎはどうなっているのか。ゲートの手前にはミャンマー北部特産のヒスイを販売する高級宝石店が並び、その前では民族衣装に見えてちっともどの民族の服でもない格好をした従業員のおばさんたちが、フラダンスみたいな踊りを披露して観光客に大ウケだ。
 ヒスイ屋は大小さまざまな店が並び、呼び込みの雄たけびが勇ましい。日本人よりはるかに、金銀宝石を投資・貯蓄の対象とする中国人たちは、真剣な表情でエメラルドグリーンの石の山を探り、見定め、店員と怒鳴りあいの交渉をしているが、僕にはどうにも価値はわからない。
 体育館みたいな巨大なレストランがあったので入ってみたのだが、ツアー客専用のミャンマー料理ビュッフェだとかで、チケットのない僕は追い出されてしまう。その正面にはミャンマー風の寺院を模したヒスイ博物館があるのだが、ここもツアー専用。
〝緬旬一日遊〟
 ズバリ訳せば「ミャンマー・ワンデイ・トリップ」であろう。景洪市内や、雲南省各地では、こんな貼り紙のある旅行会社をよく見る。ホテルのフロントにも掲示されていたりする。
 観光バスでミャンマーぎりぎりまで迫り、ヒスイ市を見て、国境の前で記念撮影をし、ビュッフェのランチ。そんなツアーが人気になっている。個人で訪れていたのは僕だけだったようだ。「一日遊」は日本人でも参加できるので、中国人と一緒にバスツアーするのが正解だったかもしれない。

 

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意味不明のコンセプトだが、ヒスイデパートの呼び子であった

 

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この国境の名物はヒスイだ。ゴージャスな店から屋台までヒスイ屋がずらり

 

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オープンエアのヒスイ屋台でも大マジメな取引がなされていた

 

 なおこの国境は現在、特別な許可を受けた者しか通過することはできない。それは中国人も同様で、ツアー客の大半は国境前で写真を撮るだけだ。
 しかし中国国際旅行社で手続きをすれば、一時的にミャンマー側に遊びに行くことができる。中国企業が開発したテーマパークが国境を越えたすぐ先にあり、そこに行くツアーを組んでもらえる。旅行社のギャルたちが、かわいい民族衣装を着て「ミャンマーに行きませんかァ?」と誘ってくるのだ。中国語を話してはいるが、漢民族とは明らかに違う、丸っこく浅黒い顔立ち。きっとこのあたりに住む少数民族なのだろう。
 差し出されたパンフレットを見ると、そこにはミャンマー風の寺院があり、このあたりには暮らしていないはずの首長族(カヤン族)の村があり、どういうわけだかオカマショーが行なわれているという。
 そそられはしたのだが、日本のパスポートを見せてみるとギャルたちはハッとした顔になり「許可証を取るには、中国のIDが必要なの……」残念そうな顔でノートに書いた。外国人は訪問できないのだ。
 国境を越えた向こう側には、ミャンマー側からならば行くことができる。タイのメーサイからミャンマーに入り、チャイントンを経由、モンラーという街が、この国境ゲートのすぐ前に広がっている。
 その昔はゲートのこちらもあちらもシーサンパンナであり、自由に行き来ができたのだが、いまでは国そのものが違う。そしてミャンマー側では、シャン族の反政府グループの動きもあり、越境が制限されたままだ。
 しかしこの国境もいずれ、オープンするだろうといわれている。国を越えた人やマネーの流れはもう止められないところまで来ている。ミャンマー国境もいずれ、次々とオープンするだろうと僕は思っている。


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国際旅行社のギャルたちは一生懸命にミャンマーツアーの説明をしてくれた

 

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ヒスイ博物館は残念ながらツアー客しか入れてくれなかった

 

 

*国境の場所は、こちらの地図をご参照ください。→「越えて国境、迷ってアジア」

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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