日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

日本一おいしい!沖縄の肉食グルメ旅

#09

モーニングでいただくブラッドスープ~『池城ストアー』

文・藤井誠二  写真・深谷慎平

 

朝4時に集合して、血汁を食べに読谷村へ

 集合は早朝4時だった。日の出まではまだ数時間ぐらいあるし、真っ暗だから、むろん感覚的には「夜」なのである。24時間営業の『栄町りうぼう』(那覇市安里)の駐車場で、普久原朝充君と、友人のラジオディレクター&カメラマンの深谷慎平君と合流した。

 深谷君は、ぼくがかつて東京のTBSラジオでラジオのパーソナリティをやっていたころに──担当曜日ではなかったけれど──番組のアシスタントディレクターをやっていた。東京では話をする機会はほとんどなかったけれど、彼が数年前に沖縄に移住していて、那覇で再会したのである。見た目はサッカー選手のロナウド(坊主頭の)そっくりで、かなり体躯もゴツい。プエルトリコ系アメリカ人の米兵に見えないこともなく、じっさいよく英語で話しかけられるという。

 まあ、深谷君の話はそれぐらいにして、読谷村に「血汁」を食べにいくと深谷君に伝えたら、マイカーを出してくれるというので甘えることにした。ぼくたちは彼の運転する軽自動車で、国道58号線を北上、読谷村へを目指したのである。空がわずかずつ、うっすらと白くなり始め、交通量も少しずつ増えていく。街が目覚めていくのを感じながら、ぼくたちは読谷村喜名にある『池城(いけしろ)ストアー』というスーパーに向かった。同店の主は屋良朝盛さんで、名刺には「弁当、惣菜、精肉、鮮魚、バーベキュー、法事用一式」と刷り込んであって、「何でもこい。地元のことは任せろ」感がびんびん伝わってくるのである。

 この店こそ、おそらく沖縄で唯一の血汁を週末の土日だけ供す名店なのだ。血汁は豚の血で豚の赤肉やテビチ、腸、野菜など煮込む伝統料理だ。「チーイリチャー」は具材と血を炒める(イリチャー)のだが、この店は「煮る」のみ。血汁は沖縄方言では「チーウルシー」となる。が、普通に「ちーじる」と呼ぶ。

 その調理過程を、主の御厚意で調理過程を見せてもらえることになり、ぼくたちは早朝から読谷村を目指したのだ。じつは、ぼくは血汁を食べるために『池城ストアー』に平日に来たことがあったのだが、血汁はなく、そこで初めて土日しか供されないことを知った。それも土曜日の朝に店頭に出される、と。さらに、土曜日の朝に店頭に出ることを知っている地元の人たち――那覇からも買いに来るし、鍋を持って買いにきて、家で具材を足してオリジナルにアレンジする常連客もいるという――が我先にと買いにやってくることも教えてもらった。

 その後にぼくは日曜日の早い時間に行ったこともあるのだが、血汁を入れたトレイはほとんど空だった。ましても脱力。ぼくがいつも残念そうな顔をしていたせいなのか、特別に調理しているところを見せてあげるよ、というありがたい話を主からいただいたのだ。これぞ僥倖なり。

 

 

血汁の仕込は朝5時から始まる

 店に着いたのは5時手前ぐらいだった。まだ薄暗いが、もう店から明かりがもれていた。というのは、『池城ストアー』は朝5時の開店なのである。夜中から働くトラック運転手のドライバーらが飯を買いに集まってくる。ぼくたちが店に入ると、奥の厨房で数人のスタッフ──店を営む家族の方々だろう──が忙しく動き回っていた。何十種類もの惣菜を仕込んでいる。三枚肉を煮たり、大量の野菜を炒めたり、無駄なく、休むことなく動き回っている。いくつも並ぶ大ぶりの鍋から湯気が立ち上り、空間にはりつけた空気がみなぎっている。ぼくたちは厨房の中から店の裏口へと通された。

 

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まだ外は薄暗いが、お店からは明かりがもれていた。

 

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『池城ストアー』店主の屋良朝盛さんに、血汁の仕込みを見せていただく。

 

「お腹、へっているだろう?  まあ、これ食べて」

 そういって屋良さんが手づかみで、鍋から大きなボウルに盛った煮つけたばかりのソーキ(豚のあばら肉)を持ってきた。ボウルから好きなだけ取って食べなさい。ありがとうございます! ぼくたちはじっさい、腹ぺこだった。

 ぼくたちは遠慮なく、まだ湯気が立っている、それを口に放り込んだ。おいしい。肉が口の中でとろける。ぼくたちががっついてしまったため、それでけっこう腹がふくれたのだが、そのあとも、惣菜ができあがる度に主人がおすそ分けのようにぼくらにふるまってくれた上、途中で屋良さんのお母様も登場されて、フーチバーがたっぷりはいったジューシー(お粥)、ジューシーおにぎり、豚汁、等々。できたての自家製料理を、どんどん差し入れてくださった。ぼくたちはあっと言う間に満腹を超えたのである。

 

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できあがったばかりのソーキの煮つけ。旨い!

 

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お店に出されるお惣菜や自家製料理など、いろいろ差し入れをいただいた。写真はフーチバジューシーに豚汁、ソーキの煮つけ。

 

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豚汁も旨い!

 

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同行の普久原君もソーキに舌鼓。

 

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朝から満腹で幸せ! 思わずこの表情。

 

 そうこうしているうちに、血汁の仕込みが始まった。裏手の屋外スペースにしつらえられた大型の業務用ガスコンロに、大人が両手を回しても手が届かないほどの直径の鍋が二つ並べられていた。すでに湯が煮立っている。

 じつは血汁は5時からつくり始めて、8時に店頭に出す。いっしょに煮込む豚肉を軽くボイルしてカットしたり、ニンジンとダイコンも一口大にカットしておくのは前日の仕事で、鍋で煮るまでは冷蔵してある。仕込む量が半端なく多いので、手間隙がかかるのは当然だが、むしろ大鍋と格闘するような料理である。

 まず最初は煮立ったお湯に、ソーキ、テビチ(輪切りにしてある)、ミミガーを煮立った大鍋に投入。煮えるのに時間を要する具材だからだ。大鍋のことを沖縄では「四枚(シンメー)鍋」と呼ぶ。「枚」は江戸期の鉄塊の単位のことを指す。四つの鉄の塊を使った鋳造品だ。四枚鍋で直径1メートルだが、これから血汁を煮る鍋はそれより一回り大きい「五枚鍋」だという。餅を蒸したり、テビチを丸ごと煮つけるときも大鍋でやる。大は小を兼ねるのだ。ちなみに「八枚鍋」も見せてもらったが、存在感が別格だ。これから作る血汁は200食分だが、八枚鍋では350食分ができる。

 

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豚肉のほか、ニンジン、ダイコンなど、仕込みの量も半端なく多い。

 

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テビチの輪切りもこんなに入れる。右隣はいろいろお惣菜を出してくださったお母さん。

 

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シンメー鍋よりも大きい五枚鍋に次々と肉を投入していく。

 

 10分弱煮たら、次はこれもあらかじめカットしてある豚ロース、三枚肉、バラ肉、臀部の肉などを大ザルでさっと洗い、投入。ここまでで投入した肉の総量は重さにして約25キログラム。これらの肉は豚の枝肉(約80キロ)を3回分に分けた分量だ。もちろん切り分けた肉は、血汁も含め煮付け等いろいろな料理に使用する。枝肉には尻尾や腎臓(マメ)も付いていて、マメは野菜などと一緒に炒めものに使うし、尻尾も血汁の具として使う。「レバーは使わないのですか」と質問したら、煮ると臭いが立つのでほとんど使わないらしい。

 30分から40分ぐらい煮るうちに肉からアクが出てくる。屋良さんはそれを丁寧にすくい取ったあと、ダイコンとニンジンを入れ、塩やダシなどで味付けをする。ダイコンは20本分使う。ダイコンとニンジンを入れると、鍋の表面が一瞬鮮やかな野菜の色に変わる。そして、次に「中身」を投入する番だ。かるくボイルしてある豚の小腸、大腸、直腸をみんな入れる。ここでさらに40分ほど煮る。最後に醤油とみりんで味を調える。

 

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肉から出たアクを丁寧にとる。

 

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ダイコンとニンジンを入れる。

 

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豚の「中味」を入れる。

 

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大きなヘラで大鍋の具材を混ぜ合わせていく。

 

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煮込んだら、調味料で味を調える。

 

「小学校2年のときから豚をさばいているのを手伝ったよ。豚舎が家にあって百頭ぐらいいたけど、昔はどこの家でも豚小屋で豚を飼っていた。店は祖父の代から、つまり戦前からやっていて、創業80年ぐらいだね。血汁はこのあたりでは昔は盆と正月に作っていたけど、20~30年前ぐらいからだんだんと店で売り出すようになった。そう、ぼくの代から始めたわけね」

 屋良さんはぐつぐつと煮える大鍋を1メートル以上はある巨大な木製のヘラで攪拌しながら店の歴史を教えてくれた。ボートの櫂をこぐようだ。巨大鍋との格闘には慎重さと腕力が必要なのだ。鍋の表面に浮んでくる肉から出る脂はラードだから、すくっても捨てない。野菜炒めやジューシーを握るときなどに利用するのだ。ほんとうに豚は捨てるところがない。

「血汁は人気があって注文が多かったからね。(以前は血汁を)食べなかった人が多かったけど、いまはみんな大好きになってるよ。ベースの中からも買いにくることもある。今はだんだん血が手に入りづらくなっているけど、沖縄の伝統的な料理をなくすのはよくないからいろいろ努力してる。あとの世代にも伝えていかなくてはならないと思うしね」

 豚血は衛生上の問題等から自主規制して屠畜業者が出荷しないところも増えた。しかし、沖縄では一部の業者が伝統食を守るために努力や工夫を重ね、量は少ないが供給を継続しているのだ。(参照→シリーズ前連載『沖縄ホルモン迷走紀行』第14回

 

 

いよいよ豚血が登場!

 さて、そろそろ豚血の投入である。冷蔵庫にビニール袋に入れて置いてあった血の塊を流し場へ屋良さんが運ぶ。大人が一抱えはある真っ赤なビニール。ビニールからボウルにあけても崩れない。すでに固まっている。塩を入れて固めるものだとぼくは思い込んでいたが、血は何もしなくても凝固する。もちろん塩は加えない。ピンク色に近い真っ赤な巨大なゼリーのようだ。この量で豚30頭分。週に1回しか業者から手に入らない。

 

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ついに主役の豚の血の塊が登場!

 

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血はこんなふうに凝固している状態。

 

 凝固した血の塊に屋良さんはスーッ、スーッと包丁で切れ目を入れ、親指大になるように分離させていく。血は煮るとあっと言う間に煮凝りのように「ダマ」になるので、なるべくそうならないように、細かく包丁を入れるのだ。空気に触れた豚血は色を変化させ、本来のすこし黒みを帯びたような赤褐色になる。

「血を入れると肉がやわらかくなるんだ」。そう屋良さんは言いながら、包丁でやさしく巨大な血の塊に包丁を入れている。

 どうしても親指大の凝固した血は溶けずダマとして血汁の中に残るので、血汁を見るとレバーが入っているように見える。食感もレバーにすごく似ている。私が初めてここの血汁を食べたときにレバーだと思ったのは、ダマになった血の塊だったのだ。それが適度に残っていたほうが血汁は美味いと思った。

「前の夜に飲みすぎて体調がイマイチのときは、この血の塊に包丁いれる作業がすこし粗くなって、ダマができやすいんだよね」と屋良さんは大笑いした。

 

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血の塊を包丁で切り分けていく。これはまだ初期段階。レバーのように見えるが全部血の塊だ。

 

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さらに包丁を入れて、鍋に入れたときにダマにならないようにしていく。

 

 血を大鍋に投入する前に、大鍋から血の分だけ具材があふれないように、3分の1ほど具材を小型の片手鍋を使ってすくい出し、トレイによける。そして、いよいよ豚血と具材が混ざり合うときが到来した。

 大きなボウルから豚血がどどっと大鍋に入れられる。すぐに屋良さんが巨大ヘラで攪拌する。鍋の色がチョコレート色のような褐色に変化する。攪拌を怠らないのは、血が鍋の底で焦げつかないようにするためだ。そういった作業がまた数十分続く。

 

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大鍋の具が溢れないように別鍋に少し移してから、豚血を投入。

 

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血が混ざって、鍋がチョコレート色になっていく。鍋底が焦げつかないようにさらに攪拌。

 

 

仕込むこと3時間弱、ついに血汁が完成!

 そして、最初に大鍋に肉を投入してから3時間弱、ようやく血汁が完成した。屋良さんは四角いステンレス製のトレイに血汁を小型の鍋ですくい取り、盛った。そして、湯気が立っているそれを両手で持ち、急いで店頭に運び、ニラをふりかけた。

 待ってましたとばかりに初老の男性客が寄ってきた。トレイの横には持ち帰りをするための使い捨て用のプラスチック容器。そこに好きなだけ熱々の血汁をよそうのだ。

 

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3時間弱かかって、ようやく血汁の完成!

 

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トレイごと店頭に運び、仕上げにニラをふりかける。

 

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血汁の販売開始! さっそくお客さんたちがやってくる。

 

 屋良さんはすぐに鍋の前に戻ると、「さあ、ここから好きに取って食べていいよー」とぼくたちに声をかけた。ぼくたちはすでに満腹なのだが、できたての血汁を我先にと容器に盛った。屋良さんは、血を投入する際に鍋からすくい出して置いておいた具材を大鍋に戻し、また30分煮る。

 

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さっそく、できたての血汁を大鍋からよそわせてもらった。

 

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取り分けておいた具材を足して、さらに30分煮込む。

 

 ぼくたちはまず、スープをすすった。そして肉と野菜を口に放り込む。ああ、至福とはこのことだ。腕時計を見ると8時ちょうどだった。

 

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待ちに待った血汁、いただきます!

 

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美味しさについ顔がほころぶ普久原君。

 

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血汁の鍋の前で記念撮影。屋良さん&お店の皆さん、貴重な体験を有難うございました。そして美味しい血汁、お惣菜の数々、ご馳走様でした。

 

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大量の血汁をお土産に那覇へ持ち帰り、同行できなかった仲村さんに食べてもらった。

 

 

*『池城ストアー』/住所:沖縄県中頭郡読谷村字喜名478 営業時間:朝5時~夜23時・年中無休

 

 

*本連載は、仲村清司、藤井誠二、普久原朝充の3人が交代で執筆します。記事は月2回(第1週&第3週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

*本連載の前シリーズ『爆笑鼎談 沖縄ホルモン迷走紀行』のバックナンバーは、 双葉社WEBマガジン『カラフル』でお読みいただけます。

 

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仲村清司(なかむら きよし)

作家、沖縄大学客員教授。1958年、大阪市生まれのウチナーンチュ二世。1996年、那覇市に移住。著書に『本音の沖縄問題』『本音で語る沖縄史』『島猫と歩く那覇スージぐゎー』『沖縄学』『ほんとうは怖い沖縄』『沖縄うまいもん図鑑』、共著に『これが沖縄の生きる道』『沖縄のハ・テ・ナ!?』など多数。現在「沖縄の昭和食」について調査中。

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藤井誠二(ふじい せいじ)

ノンフィクションライター。1965年、愛知県生まれ。8年ほど前から沖縄と東京の往復生活を送っている。『人を殺してみたかった』『体罰はなぜなくならないのか』『アフター・ザ・クライム』など著書や対談本多数。「漫画アクション」連載のホルモン食べ歩きコラムは『三ツ星人生ホルモン』『一生に一度は喰いたいホルモン』の2冊にまとめた。沖縄の壊滅しつつある売買春街の戦後史と内実を描いたノンフィクション作品『沖縄アンダーグラウンド』を2016年内に刊行予定。

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普久原朝充(ふくはら ときみつ)

建築士。1979年、沖縄県那覇市生まれ。アトリエNOA、クロトンなどの県内の設計事務所を転々としつつ、設計・監理などの実務に従事している。街歩き、読書、写真などの趣味の延長で、戦後の沖縄の都市の変遷などを調べている。最近、仲村と藤井との付き合いの中で沖縄の伝統的な豚食文化に疑問を持ち、あらためて沖縄の食文化を学び直している。

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