風まかせのカヌー旅

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#09

ウォレアイ滞在記2 地元高校でマイスの授業!

パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム

 

文と写真・林和代

 

 

 ウォレアイ到着の翌朝。なぜか私の予定はめちゃくちゃ立て込んでいた。

 10時前に診療所、その後、洗濯をこなして10時半には高校へ行かねばならぬ。

 果たして間に合うのか疑問だが、とりあえず診療所へゴー。

 

 10分歩いてたどり着いた診療所はコンクリート造りの平屋だった。

 扉を開けると、短い廊下の奥にドアが見えたが、人影は見えず。

 ハロー! と声をかけると、正面のドアが開いてドクター・カリストゥスがひょっこり顔を出した。

 招き入れられたその診療室は6畳程の広さ。古めかしい灰色の事務机とスチール棚に、たくさんの書類や薬が並び、壁には糖尿病や高血圧のポスターが貼ってある。

 昭和の小さな診療所といった趣だ。

 私が患者用の丸椅子に座ると、私の膿んだ足指をちらっと見たカリストゥスは、

「じゃあ抗生剤出すね。8時間毎に1錠ずつ7日間。ちゃんと全部飲むように」

 そういうと、同様の指示を書いたラベルを薬瓶に貼って私にくれた。

 これでおしまい。診察もお薬も離島はすべて無料なのだ。 

 

 自給自足の離島で、島民に支払い能力はないので無料は当然だが、我々よそ者まで無料にして頂けるのは大変ありがたい。まあ、よそ者自体、めったに来ないけど。

 ただ、医者がいない島も多く、電気がない島では薬の冷蔵保存もできないし、電子機器も使えない。

 島でできる処置は限られているので、重い病気になると船で10日かけてヤップまで行ったり、更にはヤップから飛行機でハワイやフィリピンまで飛んで治療を受けねばならない。  

 離島の医療事情は厳しいのである。

 

img_2560サタワル人のドクター・カリストゥスと娘さん。サタワルで数年医師として働いて来たが、ウォレアイのドクター引退により、去年からウォレアイ勤務になったとか。ちなみに彼は、どの島でも普段着で診察する。白衣を着ているのを見た事はない。

 

 

 さて、診療所を出た私は、大急ぎで歩き出した。

 目指すはローズのお宅。預けたままになっている洗濯物をやっつけようと、暑い中、根性で歩いたのだが、着いてみるとすでに彼女の庭では、大量の洗濯物が風にはためいていた。

 先に来ていたエリーが、ローズと一緒に私の分も洗ってくれたのだ。

 井戸水をタライに汲んで手洗いするという、結構な重労働なのに……ありがとう!

 ひたすら感謝を述べていると、背後から大声が飛んで来た。

「もう遅刻だぞ! 早くしろ!」

 迎えに来たミヤーノたちにせっつかれ、私はふたたび歩き始めた。

 今日は高校で、私たちクルーが航海についてお話をするという授業があるのだ。

 けれど、凶暴な日差しの中、朝から歩き続けている私はすでに疲労困憊。

 10分足らずで、もうイヤ〜! と私が日本語で文句を言い出したその時。

 ガタガタガタ。なんと、トラックが現れた! 自転車さえも目にせぬこの島に、車があったのか。

 しかも、その車は私たちを迎えに来てくれたのだ。

 ごきげんで荷台に乗り込んだ我々は、両脇の木の枝が頭や体にバシバシ当たるのをはしゃいでよけながら、でこぼこ小道のドライブを満喫、あっというまに高校に到着した。

 

%e5%ad%a6%e6%a0%a1高校のモニュメントと校舎。ウォレアイは伝統的文化の色濃い土地で、伝統的なふんどし、スーを身につけている男子生徒も多い。

 

 

 海辺に建つ高校の広々とした敷地の一角に、小さなカヌー小屋があった。

 ここでは普段、授業の一貫として、高校生たちがカヌー造りや航海術を習っているという。

 その小屋に集まった30人ほどの男子生徒たちに拍手で迎えられた私たちは、たくさんの花かんむりやレイを贈られて、生徒たちの正面に座った。

 まずは我々クルーが名前と出身地を名乗り、マイスでの役割やこれまでの航海体験を少しずつ話した。

 それが終わると、質疑応答タイム。

 航海中のトイレの仕方や釣りなどの質問にクルーが冗談を交えて愉快に話すと、場は和やかになった。

 ただ……。その会話から漠然と、航海術は彼らにとって、遠い存在であるような気がした。

 きっと近場には、年中カヌーで漁に出ていると思う。でも遠距離、島が見えないところまで出かけることは、あまりないのではないだろうか。 

 そんな印象に、ちと残念な気分になっていたところに、一人の生徒が手を挙げた。

「どうやって星で現在地を把握するんですか?」

 おお。これはまさに航海術の肝ともいえる質問だ。

 ただ、非常に複雑な話なので、セサリオが端折って答えると、その生徒は更にあれこれ質問して来た。

 もしかしたらこの子、航海術を本気で学びたいのかも。だったらいいのに。

 

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 授業が終わり、私たちが東屋でくつろいでいると、ふいにある男子生徒が私に駆け寄って来た。

「ハーイ、カッツ!」

 え、誰? 私がきょとんとしていると、

「覚えてる? クリントだよ! 」

 その瞬間、記憶が鮮明によみがえった。

 かつて私が滞在していたサタワルの村にいた少年で、セサリオの甥にあたる子だ。

 そういえば、彼が海で遊んでいて、おなかをサンゴ礁で派手に擦りむいた時、私が手持ちのガーゼと消毒薬で手当をしてあげた事もあった。

 あの時、泣きべそをかいていたクリントはまだ6、7歳で、ものすごーくキュートな男の子だったけれど、目の前にいるのは、見違えるほど立派に成長した若者だ。

  

 ミクロネシアはアメリカ式の教育制度をとっているが、多くの離島には日本でいう小中学校しかない。

 そこを卒業した子の多くは、クリントのように故郷の島を出て、ウォレアイかユリシー、あるいはヤップやポンペイ、ハワイなど、より大きな島の高校へ進学する。

 高校を出ると、カレッジや大学に進学したり、働き始めたりして、なかなか故郷の島には戻らない。

 本来、航海術は学校で習うものではなく、島で、しかるべきナビゲーターから長い時間をかけて学ぶものだが、今ではこうして学校で教えないと、消滅しかねないものになりつつある。 

 

 クリントに、卒業後の進路を尋ねたところ、ヤップのカレッジに行って電気技師になりたい、という。     

 さっきのクラスにいた子のうち、一人でもナビゲーターになる少年は出てくるのだろうか。

 

img_1288手斧を使って、少しずつパンの木を削り、新しいカヌー作りに挑んでいる生徒たち。気が遠くなるような作業だが、彼らは何時間でも飽きずに、もくもくと作業を続けていた。

 

 さて。ウォレアイ到着間もないこの時点で、これから巡る「離島」という特殊なエリアについていくつか紹介しておきたい事がある。

 とりあえず今回は、地理的なことと、民族や言葉についてお話ししてみたい。

 

*太平洋全図

yashidai01_img05
「やしの実大学」HPより

 太平洋には、ギリシャ語で「たくさんの島々」と言う意味のポリネシア、「黒い島々」と言う意味のメラネシア、そして「小さな島々」と言う意味のミクロネシア、3つの地域がある。ポリネシアは広大だが、民族も言語も同一。一方、ミクロネシアとメラネシアは、島ごとに民族が違い、言葉も互いに通じない。

 

*ミクロネシア全図

??????????「母系社会の構造」(須藤健一著)より、抜粋編集
ミクロネシアは、東西6000キロ、南北3000キロという広大な海域に、3000もの小さな島々が点在する地域だが、 人が住んでいる島は200にも満たない。その陸地面積は海域の面積の0,03パーセントほどと言われている。
 

 

 ミクロネシアの中央にある国、ミクロネシア連邦は、ヤップ、チューク、ポンペイ、コスラエの4つの大きな島を中心とする4州から成り立っている。

 その4島にはそれぞれ違う民族が暮らし、固有の言葉があって互いに通じない。

 今回、私たちが立ち寄る離島はすべて、ヤップ州に属しているが、民族的にはチューク州の離島やパラオの離島と同じ人々で、互いに言葉も通じる。

 要するに、大きな島はそれぞれ固有の言葉を、離島は州や国に関係なく同じ「離島の言葉」を話す。

 

 我がクルー、ムライスやロッドニーはパラオ人なので離島の言葉は分からない。

 でも、以前マイスに一緒に乗ったパラオのクルーは、普段パラオ語を喋っていたが、サタワルでは離島の言葉をぺらぺら喋っていて驚いた事があった。

 聞けば彼はパラオの離島、ソンソロール出身だった。ソンソロールの母語は離島の言葉なのだ。

 ちなみに、離島の言葉はチューク語に近いらしく「チューク人とは大体通じる」とはサタワル人の弁。実際あちこちの離島では、チュークの流行歌が流行ったりしている。

 逆に、ウォレアイやサタワルはヤップ州に属し、多くの離島人がヤップに住んでいるが、ヤップ人とは言葉が通じない。互いに英語ができないと意思疎通ができないと言う事態に陥る。

 という具合に、言葉はかなり入り組んでいて、ややこしい。

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 次回以降も、私たちの離島巡りと併せて、離島の情報も少しずつご紹介して行きたいと思う。


*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/


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林和代(はやし かずよ)

1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。

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