ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#08

日本茶の可能性を伝える2−地元・吉祥寺で

ステファン・ダントン

 

                                                                                         

 

 

日本茶の魅力を吉祥寺から発信して

 

 

   「日本茶の魅力を、日本茶の可能性を伝える」ために、吉祥寺におちゃらかという基地をかまえたのが2005年。店に来てくださるお客様一人一人に日本茶を楽しく味わってもらいながら直接日本茶の魅力を語りつづける毎日。店頭でのイベントや産地ツアーで日本茶への興味から産地や生産への理解も深めてもらう日々。
 2008年のサラゴサ国際博覧会がきっかけになって、そんな私の努力が少しむくわれ、メディアにとりあげられる機会が増えると、おちゃらかに来てくれるお客様の多様性も増していった。近所の方はもちろん、遠方からおちゃらかをめざして来てくれる方が日を追うごとに増えていった。若い人も年配の人も、辛党の人も甘党の人も、アジア人もヨーロッパ人も。さまざまな人がそれぞれのシチュエーションでお茶を楽しむ様子を思い描きながら開発したフレーバー茶は、2009年ごろには開店当初の6種類から20種類近くにまで増えていた。
 同時に、スタンダードな日本茶の種類も各地の上級煎茶、茎茶、ほうじ茶、国産紅茶を多数揃えて紹介するようにもなっていた。「日本茶の入り口としてのフレーバー茶。そこから気軽に日本茶の魅力的な世界へ入って、気負いなくスタンダードな日本茶を楽しむ方を増やしたい」という願いが実現しつつあった。
 

 

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世界各国から訪れるお客様に日本茶を紹介している様子。
 

 

 

 

 

吉祥寺で日本茶の魅力を語る

 

   

  そんなある日、おちゃらかのカフェスペースでお茶を飲んでいた女性が私に名刺を出しながら「武蔵野市勤労者互助会のイベントとして、ワインと日本茶の講座をしていただけませんか?」と切り出してきた。それまでも、おちゃらかにフランス料理のシェフを呼んで、フランス料理とワインと日本茶のマリアージュを楽しむ会をしたり、日本茶講座を開いたりしていた。
「地元のみなさんが日本茶を中心に楽しむ場を提供したい。そんな場としてのおちゃらかを吉祥寺に根付かせたい」
という想いがあったからだ。だから、「武蔵野市で働く人を対象にした講座だったら、喜んでお引き受けします」と即答した。にこやかなその女性と、どうしたらみなさんに楽しんでもらえるのか相談しながら、「ワインと日本茶の講座」を計4回行った。日本茶にもおちゃらかにもそれまで積極的な関心を持っていなかった人たちもいたけれど、実際にワインを飲みながら、日本茶を飲みながら、その文化や歴史も含めた話をすると、講座が終わるころには「ワインの生産方法や産地別の特徴についてわかると楽しいね」とか、「煎茶の種類とかほうじ茶のつくり方とか考えたこともなかったけどおもしろいものだね」なんて感想も聞こえるようになるのがうれしかった。
 その後、武蔵野市民を対象とした食文化講座を武蔵野市の施設でするようにもなった。「香りで広げる日本茶の愉しみ」というタイトルで行った講座では、フレーバー茶を自宅でつくる方法や古くなった日本茶の活用方法もお話ししてみた。
「日本茶っていろんな楽しみ方があるんですね」
「帰ったら早速試してみます」
そんな声を聞きながら、「地域へ、地元へこんな形で少し貢献ができたんだったらうれしいな」と思ったものだ。
 

 

 

 

武蔵野市勤労者互助会での講演風景1

 

 

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武蔵野市民に向けたワイン講座をおちゃらかで

武蔵野市勤労者互助会での講演風景/下・武蔵野市民を対象としたワイン講座をおちゃらかで。

 

 

 

産地とのつながり、地域への貢献(叶わぬ夢もあったけど)

 

 

  

   吉祥寺という街から広く海外にも「日本茶の魅力と可能性を発信」することを目指した私の仕事が、さまざまなネットワークをつくり始めていた。
 生産者と消費者とをつなぎ、さらに行政ともつながって、産地と東京、さらに海外へと関係性を広げていた。
 日本茶の新たな魅力を発信することで産地に貢献したことは認められつつあったし、地元・武蔵野市にも貢献していきたい、という想いは常にあった。講演をすることも一つの方法だった。
 講演を担当したりして武蔵野市との関係が深まっていた2011年当時、ある計画を目指して市役所の担当者や市長と相談していた。
 「武蔵野市をお茶のまちに」という計画だった。
 静岡県は茶産地として有名だが、中でも山間地で生産される茶葉はすばらしい。ただ、以前にもお話ししたように山間地の茶農家の労働は過酷で、後継者が不足している。廃業を余儀なくされる農家に捨て置かれた茶樹も増えているのだ。茶樹は、苗木を植えてから収穫できるまでに5年かかるが、その後数十年収穫を続けられる。その茶樹が手入れもされずに放置されることが問題になっている。
 その茶樹を無償でゆずってくれるという話を聞いた私にアイディアがひらめいた。

「武蔵野市の街路樹、施設あるいは住宅の植え込みとして活用してはどうだろう?」

 そう話すと、武蔵野市のある行政担当者は、「現在は少なくなったが武蔵野市を含む多摩エリアの植え込みには茶樹が多く使われていた」と教えてくれた。
 「単に植栽として利用するだけではなく、初夏にはこどもたちを中心に茶つみイベントをして、静岡から茶生産のプロを呼んで茶づくりの実演をしてもらったらどうだろう。日常的に身近に茶樹の成長を観察し、収穫し、生産の工程を知ることで、子どもたちへの食育にもなるんじゃないだろうか」
 このアイディアが実現すれば産地と消費地のつながりもできるし、産地にとっては廃棄茶樹の活用も将来の消費者育成もできる。東京の子どもにとっては自分たちの口に入れるものが生産される様子がわかる。それぞれが持っている問題が解決できると考えたのだ。
 実際、ある施設の改修にともなって植え込みに茶樹を利用できる可能性も出てきていたが、当時のさまざまな事情で残念なことに計画は頓挫してしまった。
 
 私が広げた夢、
「日本茶の新たな可能性の模索と、産地と消費地の本当の意味でのつながりづくりへのチャレンジ」
は、ときには失敗しながらも続いていた。
 

 

 

 

武蔵野市民を対象とした講座のポスターを掲げて

武蔵野市民を対象とした講座のポスターを掲げて。

 

      

 

 

 

 

                      

                         

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回公開は8月7日(月)です。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。2017年路面店オープン予定。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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