韓国の旅と酒場とグルメ横丁

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#07

昔と言うには早過ぎる、2001年ソウルの旅

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 初めて韓国を訪れた時期がいつなのかによって、ソウルの街の見え方は大きく違う。アジアでは東京に続いて2度目の夏期五輪がソウルで開催された1988年前後。軍人ではない人が初めて大統領になった1993年頃。金融危機でIMFの管理下におかれた1997年頃。2002年のワールドカップ日韓共催の頃。そして、2003年頃からの韓流以降。同じ国でも街の印象はずいぶん違うはずだ。

 私のように韓国で生まれ、韓国で暮らしている者にとって、もっとも変化が感じられたのは、やはりワールドカップの前後と韓流以降だ。冬ソナやチャングムのロケ地に日本人観光客が押し寄せ、明洞では韓流グッズや韓国製の化粧品が飛ぶように売れ、訪韓する日本人の多くが韓国製のスマホを手にしていた。私が日本に留学していた1997年頃、日本の若者から「ソウルって中国のどこにあるの?」とか「パソコンとかあるんですか?」と真面目な顔で聞かれたことを思うと、まさに隔世の感がある。

 しかし、日本同様、韓国が低成長時代に入ると、経済的・文化的成長の陰で失われていったものに目が向くようになる。韓国に残る日本植民地時代の建築物や、マッコリという昔ながらの酒、おばあちゃんが切り盛りする大衆酒場などを好んで取材したのもその現れだ。

 年齢のせいもあるのだろうが、私はすでに失われたものを想像すること、失われつつあるものを目に焼き付けるのが大好きだ。韓国より先に成長・繁栄を経験している日本の人たちとはそんな感覚を共有しやいので、彼らが訪韓したときは、そんな場所に案内すると喜んでもらえる。

 今回は、ワールドカップ前年の2001年頃にはあったが、今はなくなってしまった風物を振り返ってみよう。

東大門市場の東、黄鶴洞コプチャン(モツ焼き)

 黄鶴洞のコプチャン横丁自体は今も健在で、清渓川と中央市場を結ぶ通り沿いに店舗が連なっているが、写真のような屋台はほとんどなくなってしまった。春や夏は歯ごたえのある豚のモツをかみながら、陽の高いうちからビールを浴びるように飲み、冬はビニールのカーテンから吹き込んでくる冷たい風に負けぬよう、唐辛子と生ニンニクとモツを口に放り込み、そこにガソリン(焼酎)を注ぐのが楽しかった(写真)。日本からやってきた友人女性2人と私の3人で姦しく飲み続け、女将から「アンタたち、酒はそれくらいにして帰りなさい!」と屋台を追い出されたのもいい思い出だ。

 

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鍾路、清進洞の路地裏

 鐘閣駅と教保文庫を結ぶ鍾路大通りの北側は今、高層ビルが林立するオフィス街になっているが、ほんの4、5年前までは都心とは思えないような路地が入り組んでいた。そこには大衆食堂や飲み屋、安旅館が軒を連ねていて、気ままな散歩にうってつけだった。韓国旅行のベテランの域に達している日本人旅行者のなかには、この辺りを常宿にしていた人が少なくない。

 写真のすすけた店は『南道食堂』といい、料理上手が多いことで知られる全羅道出身の女将が切り盛りしていた。2001年頃は4000ウォンも出せば、ご飯と汁ものに肉、魚、野菜など16品ものおかずが付く日替わり定食が食べられた。夜は女将が店先で練炭焼きする豚肉をつまみながら、マッコリや焼酎をあおった。

 

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 向かいにはやはり全羅道出身の夫婦がやっている『清進食堂』があり、ここでは2人前8000ウォンで、十種類もの材料を使った特製のタレに漬けこまれた豚肉を焼いて食べさせてくれた。その肉は牛かと思うようなやわらかさで、甘辛いタレの焦げ味が、冷えた焼酎とよく合った。

鐘閣駅の目と鼻の先にあったマッコリ酒場

 日本で人気のあったドラマ『深夜食堂』が韓国でリメイクされるというニュースを聞いたとき、私が真っ先に思い出した店がこの『南原チプ』だった。

 4人がけのテーブル4卓は常に満席。調理台を兼ねたタイル張りのカウンターには、立ったままマッコリを飲む男たちが群がっていた。特別変わったつまみがあるわけではないのだが、全羅北道・南原出身の女将が作る豆モヤシのナムルがやけに旨かった。店の外には席が空くのを待つ人だかりができていた(写真)。夏場だけは店の前に簡易テーブルが並べられ、庶民のビアガーデンの趣だった。この辺りの再開発で女将は2年前に店を閉めたが、他所で営業しているという話は聞こえてこない。

 

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『南原チプ』跡地の並びには、1950年創業のピンデトック(緑豆お焼き)の店『列車チプ』がある。2010年に教保文庫の近くから移転して来たのだが、この店が残っているのがなんともうれしい。こんがり焼かれたピンデトック(写真)と牡蠣の塩辛の相性は抜群で、マッコリが何本あっても足りない。

 

忠武路駅とホテルPJの間にのびる生活市場

 この辺りは東京で言えば、神田とか新橋に当たる都会だが、人とすれ違うと肩がふれそうになるほど狭い路地に、仁峴(インヒョン)市場という生活市場が残っているのはもはや奇跡だ。今も小さな食堂や生花店、刺身屋などが並んでいるが、飲み屋街として盛っていたのは20年近く前(写真)のこと。

 

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 当時は、私の連れの日本人に歴史認識について論争をふっかけるような酔漢が健在だった。その一方で、30歳過ぎの日本人男性の手を握りながら子守歌を歌って聞かせる母性あふれる女将もいた。今は飲み屋が多様化し、この市場で見かける酔客はお年寄りばかり。ホテルPJはかつては豊田(プンジョン)ホテルという名前で、日本からの格安ツアーの御用達だったので、歩いたことがある日本人も多いだろう。

大都会ソウルの陰にはまだこんな奇跡が……

 今回載せた写真のほとんどは、すでに失われてしまった風景だ。しかし、まだこれらの場所の近くに立つことはできるし、かろうじて痕跡をとどめているところもある。寒さが一段落したこの季節、ソウルを訪れたら、目に見えないものの気配を感じる旅を楽しんでもらいたい。

 いや、目に見えないものばかりではない。下の写真のような風景(上:乙支路3街駅近くの路地裏 下:ソウル東部の千戸市場)もまだ現役である。観光とは光を観ること。路地裏をくまなく歩いて、自分だけの光を見つけよう。

 

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*本連載は月2回配信(第2週&第4週金曜日)の予定です。次回もお楽しみに!

 

*来る5月14日(土)と15日(日)、名古屋の栄中日文化センターで、筆者の旅行講座があります。14日は13時~15時(ソウル編)、15日は10時~12時(ソウル+地方編)と13時半~15時(講師と雑談会)。お申し込みは3月1日(火)から、下記の栄中日文化センターのサイトか、お電話(0120-53-8164)で。

●栄中日文化センター http://www.chunichi-culture.com/programs/program_166125.html

 

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紀行作家。1967年、韓国江原道の山奥生まれ、ソウル育ち。世宗大学院・観光経営学修士課程修了後、日本に留学。現在はソウルの下町在住。韓国テウォン大学・講師。著書に『うまい、安い、あったかい 韓国の人情食堂』『港町、ほろ酔い散歩 釜山の人情食堂』『馬を食べる日本人 犬を食べる韓国人』『韓国酒場紀行』『マッコルリの旅』『韓国の美味しい町』『韓国の「昭和」を歩く』『韓国・下町人情紀行』『本当はどうなの? 今の韓国』、編著に『北朝鮮の楽しい歩き方』など。auポータルサイトの朝日新聞ニュースEXでコラム「韓国!新発見」連載中。株式会社キーワード所属 www.k-word.co.jp/

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