越えて国境、迷ってアジア

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#07

タイ・スリーパゴダパス~ミャンマー・パヤトンズ

文と写真・室橋裕和

 

 

 モン族が多く暮らすタイ西部の国境地帯。

 旧日本軍がつくった鉄道跡も残る場所で、外国人は通行できない国境を、どういうことか越境してしまった。

 

 

タイ・ミャンマー間でひとつだけ国際国境にならなかった街

 国境のなかには、外国人の通過は認められていないものの「イミグレーションのある街だけ限定で、ちょっと遊びに来てもええで」という場所がある。例えばインドとブータンのプンツォリン国境や、中国とミャンマーの瑞麗(ルイリー)国境だ。
 とりわけ有名なところが、タイ・ミャンマー間にある4か所の国境だろう。国境の街限定、1日限定という条件でイミグレーションにパスポートを預け、観光することが許可されていたのだ。
 しかし2013年、ミャンマー政府はこのうち3か所を外国人でも通過できる国際国境に格上げした(さらに1か所を新設)。つまり限定入国は廃止された。
 民主化の進展により外貨が流入するようになったこと、2015年末からアセアン経済共同体が発足し、域内でのモノとマネーの流通が盛んになると予測されたことで、陸路での貿易の需要が高まってきたのだ。「閉ざされた国ミャンマー」というイメージの払拭にも役立ったことだろう。これらの地点についてはまた紹介させていただくとして、問題はただひとつ国際国境にならなかったポイント、スリーパゴダパスである。
「3つのパゴダ(仏塔)のある峠」という名を持つこの国境、外国人の通過どころか、限定入国すらも取りやめてしまったのである。いったいどんな場所なのか、行ってみることにした。

 

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旅の出発地カンチャナブリにあるクウェー河鉄橋は、いまや一大観光地だ

 

 

泰緬鉄道の跡に沿って、観光客で賑わうモン族の村へ

 スタート地点は『戦場にかける橋』で有名なカンチャナブリだ。日本軍が、徴用した地元の人々や連合軍の捕虜をコキ使って建設した「泰緬鉄道」の跡が、ミャンマー国境に向かってえんえんと残されている。日本人としては居心地の悪い、負の遺産であるのだが、タイ人観光客はその呪われたクウェー河鉄橋の上で大ハシャギで写真を撮り、列車が通過すれば歓声を上げ、とっても楽しそうなんであった。欧米人観光客の沈鬱な表情がやや心苦しいが、タイ人の大らかさには救われる。
 この街から泰緬鉄道のルートに沿うように、バスで西に進む。日本軍が苦闘した山岳地帯に入っていくと、幹線道はいつしか頼りない細さとなり、車窓には途切れることのない深い森が広がる。ときおり、木造家屋が並ぶ山村を通り過ぎる。モン族だろう。このあたりから国境を越えてミャンマーに至るまで、広い範囲にモン族が住んでいる。
 およそ3時間のドライブで到着するサンクラブリーは、国境まで20キロ程度の場所にあるモン族の街だ。高床式の木造家屋が並び、中心部には、バンコクではもう目立たなくなってしまった伝統的な市場が健在だ。むきだしの肉塊が血まみれで売られ、目の前で鶏がさばかれていく。山菜やきのこ、昆虫など山の幸も豊富だ。
 ホホウ……モン族の文化に思いを馳せつつ街を散策していると、タイ人の若い男女の一団がキャッキャと騒いでいるではないか。自撮棒を構えるわ、リア充写真をインスタに投稿するわ、静かな山村にあるまじき杯盤狼藉の数々。けしからん。だが、よく見れば似たような集団があっちにもこっちにもいるではないか。孤独な中年男は唇を噛んだ。
 聞けばサンクラブリーは、すぐ南にカオレーム貯水湖があるのだが、そのほとりにいくつものバンガロー形式のホテルが点在しており、若者たちの間で人気になっているらしい。モン族の料理を出すレストランも併設されているとかで、モン飯に興味はあったのだが、さすがの僕も若いカップルやリア充に囲まれて単騎で飯を食う度胸はない。恥ずかしながらナイーブなのである
 サンクラブリーの名物である木造の巨大な橋もやはりテーマパークのごとく若者どもで賑わっていたが、僕はここからさらに西へ向かった。

 

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サンクラブリーの「モン・ブリッジ」は全長850メートル、世界で2番目に長い木造橋なのだとか

 

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サイドから見ると怖い。2013年に台風で流されたが、その後に再建された

 

 ソンテウ(乗り合いジープ)の荷台にモン族の人々とともに揺られること30分。タイの西の果てのひとつ、スリーパゴダパスには、確かに3つの小さなパゴダが並んで立っていた。
 この周囲がちょっとした市場になっており、ミャンマーの産品が並ぶ。酒やタバコ、お茶、ヒスイなどの宝石に、タイ人観光客が群がっている。小さな国境マーケットだ。
 しかし肝心の1日入国はやはり中止されたままだった。イミグレーションはあるが、もちろんタイ人とミャンマー人以外は通過することもできない。
 そばには泰緬鉄道の線路が残されているが、これは後から設置したものらしい。しかし戦時中に実際にこのルートで鉄路が伸びていたことは確かだ。また16~18世紀、たびたびタイに侵攻したビルマ軍は、決まってこの峠を通過したという。そして現在、限定入国が中止されているのは、ミャンマー政府と敵対するモン族の反政府組織の存在があるからともいわれる。停戦合意はしたのだが、火種はまだ燻っている。いまも昔も、この国境は戦略上の重要拠点のようだ。

 

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ソンテウはタイの田舎でもすみずみまで走っている

 

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インドからミャンマー経由で、この峠を通って仏教がタイにもたらされたという伝説もあるそうだ

 

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イミグレーションは残念ながら外国人は通行不可

 

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イミグレのわきにある泰緬鉄道跡は当時のものではない

 

 

外国人は通過できない国境のはずだが……

 ミャンマー側に行ってはみたいが、閉じているものは仕方がない。国境は見たし、サンクラブリーに帰るべえか……と思ったそのときだ。
 市場は土産物屋がズラリと並んでいるのだが、その店と店の間、壁になっている木の板が割れて穴が空いている向こうから、浅黒い顔をした男が顔をのぞかせている。目が合った。じっと見つめてくる。あごをしゃくって思わせぶりな目線をして「来い、来い」と誘いかけている。
 近づいてみる。男はうなずいている。穴から手がのびてきた。手招き。
 指で矢印をつくる。あっち、あっち。いったいどういう展開なのか。促されたほうに行ってみると、市場のはずれに人ひとりが通れるだけのトタンの破れ目があった。その向こうから、先ほどの男が全身を現した。
「パイ(行こう)」
 きわめて断片的な言葉に乗ってしまい、トタンをまたぐ。
 ぱっと世界が明るくなった。高い空の下に、緑のみずみずしい畑が広がっていた。草原の前に、屋台の食堂が一軒。
「ウェルカム、ミャンマー」
 男は英語で言った。市場の店の列は、すなわち国境線だったのだ。思わぬ密入国にうろたえる。1日入国は禁止ではなかったのか。
「ちょっと見て回るくらいなら大丈夫だよ」
 モン族らしき男はタイ語で自信満々に言った。彼はバイクタクシーの運転手で、ミャンマー側の街パヤトンズをガイドしてやると言う。「200バーツ(約600円)でいいよ」
 は、早くタイに戻らないと……スタンプなしに越境する罪深さを、マニアは誰より知っている。問答無用の密入国なのである。
 そこにバイクが走りこんできた。後部座席に乗っていた男は、運転手に礼を言って、トタンの裂け目からタイに消えた。どうも、この「裏1日入国」を楽しんでいる人はけっこういるようだ。思いきって、僕もバイクにまたがった。

 

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手前がミャンマー、正面のすきまの向こうがタイ

 

 タイ側と、なにが変わるわけではない。パヤトンズも、同じモン族の住む街なのである。寺の造作は差があったが、家屋の様子や、人々の表情は、国境もあちらもこちらも同じなのであった。
 それでも、こっそりと国を越えてミャンマー側に入り込んでいるという事実が、僕を高揚させた。バイクの後部座席に揺られて、市場を巡り、寺を訪ね、丘から街を望み、2時間ほどかけてパヤトンズをひと回りした。
 出発地点の市場裏に戻ってきて、草原の前の屋台に立ち寄った。サンクラブリーで食べられなかったモン飯だ。いくつも鍋が並んでいるが、片っ端から容赦なく真っ赤っ赤。タイで言うゲーン(カレー)だろう。豚肉や野菜の入ったものを飯にぶっかけて食べてみたが、タイのゲーンよりも重さがなくさわやかな辛さで、なかなかおいしかった。
 再び市場の切れ目をまたぐ。タイである。なにごともなかったように市場は活況だ。夢から現実に戻ったような気分だった。

 

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托鉢行列モニュメントはミャンマー独特のもの

 

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モン料理はなかなか鋭い辛さだが後を引くのでおかわりしてしまった

 

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パヤトンズには穢れた中年の心を洗ってくれるような景色が広がっていた

 

 

*国境の場所は、こちらの地図→「越えて国境、迷ってアジア」をご参照ください。

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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