日常にある「非日常系」考古旅

日常にある「非日常系」考古旅

#07

考古学者になるって?

文と写真・丸山ゴンザレス

 

 

 前回まで3回にわたって、考古学とはどのような研究活動をしているのか話してきた。これによって考古学ファンタジーと現実のギャップを少し分かってもらえたのではないかと思っている。今回はその流れに乗る形で、地味でキツくてエンタメの欠片もない考古学者とは何者なのかについて私の経験を基に紹介していきたいと思う。

 

 

現実を突きつけた「黄色い本」

 

 

「地味で華のない学問だし、インディ・ジョーンズみたいなことはできないよ!」

 

 受験勉強をしていた頃、大学に行ったら考古学を専攻したいと思っていた私は、進路を聞かれると、いつも「考古学したいですね」と答えていた。すると、多少でも学問として歴史に触れたことのある大抵の人から返ってきた言葉は、こんな感じのものだった。言外に「夢見てんじゃねえぞ」感が漂っている。励まされたり、好意的な返事をもらったりしたことは、ほとんどなかった。

 

 正直、考古学志望と言うと否定される流れには慣れっこになっていたが、そんな中で印象的に覚えていることがある。仙台駅東口の予備校の世界史講師のG先生だ。先生は中国近代史の研究者として活動する傍らで予備校講師をしている人だった。

 

 「君もエジプトかマヤでもやりたいの?」

 

 先生は多少うんざりした表情を浮かべて、私にこう尋ねてきた。考古学者の吉村作治先生がテレビに出まくっていた影響や、オーパーツ的なブームがあった影響なのか、当時、エジプトやマヤ、アステカの勉強をしたいという学生が進路相談に来ることも多かったのだそうだ。

 

 (そりゃ、うんざりもするだろうな。)

 

 今になって思うに、寛大な先生だったんだろう。中国近代史の研究者が予備校で学生の進路相談に乗ったところで大した得はないだろうに。

 

 先生のその問いに、私は首を横に振った。地元にある雷神山古墳や遠見塚古墳を散歩するほど古墳が好きだった私は、日本の考古学をガチで学べる國學院大學に行きたいと思っていた(まあ、予備校で渡されたパンフレットの中に、上京せずに地元の仙台で受験できるとあったから選んだということもあるが……)。

 

 そのことを伝えると、先生は妙に納得してくれ、あれこれ話してくれた。そして最後に、

 

 「中国史も面白いよ。専門領域じゃなくても歴史学の勉強もしてみるといいよ」

 

 そう言って送り出してくれた。残念ながら、その後G先生は不慮の事故でお亡くなりになったので、それ以上の交流を持つことはなかった。

 

 その後、めでたく大学に合格して考古学徒となったわけだが、この段階では、駆け出しどころかアマチュア愛好家とも呼べないレベル。そんな状態から、いったいどうやって考古学者になるのか――ここからは、私の学生時代を通じて、学者になるプロセスを紹介してみようと思う。ちなみに、これはあくまで私の体験によるものだから当然、主観的な判断も加わっているはずだ。他の人(特に真面目でちゃんとした考古学者の方)とは違うかもしれないので、そのあたりはご容赦いただきたい。

 

 考古学者を目指すといっても、1年生のときには専門的なものはなく、考古学の入口となる授業を選択するだけだ(我が母校では『考古学概論』という名前の授業だった)。

 

 教科書として使われていたのは、『考古学入門』(東京大学出版会)という、そのまんまのタイトルの、考古学を学ぶ者なら誰でも一度は目を通したことのある超定番本。ちなみに著者は、貨幣の歴史の研究においては第一人者ともいえる慶應義塾大学名誉教授の故・鈴木公雄先生だった。

 

 そんな考古学の大家が執筆した本にもかかわらず、私が一番印象に残っているのは、本のカバーが黄色で目立っていたなあということぐらい。内容に関しては、考古学の方法論などを広く浅くという感じだったはず……。別に内容が面白いとか、面白くないのではなく、あくまで私の思考が追いつかずに記憶に定着せず、きれいさっぱりデリートされているだけなのだ。

 

 思うに、この授業には、単なる憧れだけで入ってきた学生に、理想と現実の違いを学ばせて、本当に考古学を専攻すべきかどうかのフルイにかける役割があったのではないかと感じている。だから、この黄色い本を読みながら「こんなの『インディ・ジョーンズ』じゃねえ!」と思って別の専攻に鞍替えする人もいただろう。ちなみに、大学の史学科では、考古学という分野の他に、日本史学、東洋史学、西洋史学などといった専攻がある。これらは文献史学といって、主に史料や文書(“ぶんしょ”じゃないよ、“もんじょ”だよ! by編集S)から歴史を検証する学問だ。大学2年でどこを専門にするのかを決めて、3年で所属する研究室を選び、4年で卒論を書くといったシステムになっている。まあ、黄色い本でギブアップした学生が文献に行ったところで、「こんなの『バガボンド』じゃねえ!」とか、「こんなの『ベルばら』じゃないわ!」となっていたに違いないと思うが……。

 

 私の場合、周囲の友人に恵まれていたこともあって、なんの疑問を抱くこともなく考古学を専攻するルートを歩んだ。

 

 

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『考古学入門』(鈴木公雄 東京大学出版会)

 

 

 

貧乏学生がぶち当たった“壁”

 

 

 2年生は何も起きなかったが、3年になって次の壁にぶち当たる。この頃になると、歴史を研究するとはどういうことかぐらいの覚悟はできてくる時期だが、実地的なことに関しては完全に素人。前回までお話したように、実際に「発掘」や「整理」をして「報告書」にまとめるのに右往左往することになる。現に私もそうだった。考古学をやるのだと決めているのであれば、1~2年のうちから発掘現場に行くとか、研究室に行って自分で勉強するなどをしておいたほうが建設的な3年を迎えることができると思う。私はなんもしなかったために苦労してしまった。

 

 さらに私の場合は、3年で研究室を決める前に、もう一つの壁にぶち当たった。それが「金(カネ)」だ。

 

 私が通っていた大学には当時、考古学(外国考古学を除く)の研究室は2つあった。ひとつは“考古学界のボス”ことK先生のゼミ。もうひとつは京大出身で見た感じ仙人っぽいY先生のゼミだ。ちなみにK先生は旧石器~縄文時代、Y先生は古墳時代以降全部という括りで、私はなんの迷いもなくY先生を選んだ。これまでの連載でもちょいちょい出てきた私の師匠だ。

 

 こういうとき、普通の学生なら自分の研究したい分野と先生の専門領域に合わせて選ぶが、私が選んだ理由は、実習にかかる費用が安いから。日本の考古学を専攻するなら、この2人のどちらかの『考古学実習』という講義を取らなければならなかったのだが、この授業では、半月近い発掘調査に行かなければならない。それに伴って当然、学生の持ち出し費用もそれなりにかかるのだ。

 

 K先生の実習先は北海道で、Y先生は三宅島だった。飛行機とフェリーを比べると、費用が段違いだったのだ。つまり、当時、万年金欠状態だった私に、それ以外に道がなかったというわけだ。もちろん、古墳時代の勉強をしたいというのも、あるにはあったのだが。

 

 発掘調査があるのは夏休み。それまでの期間の授業は発掘に必要な基礎的な技術を身につける内容になっている。写真、測量、発掘の手順などなど。このあたりから、ようやく考古学を勉強している感じになってくる。

 

 だが、それ以上にこの時期に学んだのは、先輩や先生方とのコミュニケーション(酒も含む)であった。

 

 ご時世的なこともあるので言い訳をさせてもらうと、飲みは決して強要されたわけではない。考古学専攻生といっても、いい年齢の大人である。上京組か実家暮らしかといったバックボーンはもとより、ライフスタイルは皆それぞれ違う。実習中は、そんな様々な立場の人間が合宿生活をしながら発掘調査をするのだから、前もって親交を深めておくという配慮もあったのだろう。考古学研究室の酒盛りはある意味、大学の名物になっていたようにも思う。

 

 「考古って酒ばっかり飲んでいるところでしょ」

 

 他の学部や学校職員の皆さんから、そんなふうに揶揄されたものだが、当時の私には、むしろその特別感&無頼感が誇らしかった。また、副次的な効果として、金が浮くのだ。ここでも金かと思うかもしれないが、本当に当時は金欠だったのだ(まさか、卒業後にそれ以上に貧乏になるとは思っていなかったが)。

 

 幸いなことに、先生たちは総じてコミュニケーション(酒も含む)が好きで、後輩に酒をおごってくれる人が多かった。ありがたい限りだったが、今思えば、かなり無理してくださっていた先生もいただろう。そんなことを知らない貧乏学生だった私は、調子に乗って、先生が来るまで学生たちで昼から飲み続けて、夕方になると先生を迎えに行くといった暴挙に出ることもあった(本当に死ねばいいのに、当時の俺)。

 

 そして、いよいよ三宅島での実習である。30~40人ほどの学生が共同生活を送りながら約半月ほど発掘調査をして過ごすのだが、私の代の実習では、ちょっとした事件が起きた。それが起きたのは初日の夜のこと。同級生が逃亡したのだ。

 

 夜中のうちに荷物をまとめて宿舎を出たようで、朝になってから「ヤツがいない」と騒ぎになった。島から出るには船を使わないといけないので、先生たちが追いかけて港で追いつくことができた。彼は「どうしても共同生活が無理だ」と言って、実習に戻ることを拒否。考古学実習の単位をここで諦めたのだ。必修科目であるこの単位を取れないと、留年どころか卒業もできない。「そう(退学)なってもいいから」と言って、彼は帰っていったのだ。

 

 前回も書いたが、考古学は、個人のスタンドプレーでは決して成立しない。それだけにコミュニケーションが苦手な人には厳しいところも少なからずある。だからこそ、こうした共同生活をこなすことが求められるのだ。個人的には、それが必須だとまでは思わないが、あるに越したことはない。好き嫌いは別にして、発掘調査と共同生活はチームワークを強めてくれたと思うからだ。いずれにせよ、これも考古学者になるための洗礼の一つと言えるだろう。他にも様々な経験ができた三宅島で、だいぶタフになったような気がしている。

 

 さて、「考古学実習」が終わると、考古学専攻生としての集大成である卒業論文の制作に取り掛かることになる。だが、卒論だけに集中できるわけではない。整理作業は並行して続けられるのだ。だいたいの学生は、整理作業をしながら「卒論のテーマ決まった?」みたいにダラダラと話す。その中で、なんとなく決めていて、少しでも具体的に「馬具をやる」とか「土器の編年をまとめる」などと同期に言えるぐらいの学生は優秀なほうで、大半の学生は先輩や先生に相談し続け、本当のギリギリになってから1、2年で習得するべき考古学史を必死に調べ出してテーマを決める。もちろん、私もその口だった。

 

 卒論のテーマが決まったら、参考資料探しに飛び回る。先生や先輩のコネを頼りに、各地の博物館や遺跡調査会を紹介してもらったり、博物館や図書館の奥底にある資料を借りに行ったりするのだが、実はここで役立つのが、実習で培った絆である。私もそうだったが、4年になるとそれぞれの調査にいったグループ同士でつるむことが多くなる。別に研究室同士が対立しているわけではないが、一緒に過ごした時間が長い分、無駄に仲良くなってしまうのだ。

 

 その仲間との絆を上手に使うことで、情報交換や論文コピーの共有はもちろん、将来の不安を話しつつの傷の舐め合いまでできてしまう。多分、この頃は大半の時間をそれに費やしていたように感じる。研究室棟の前にあるベンチに行けば、缶コーヒーを飲みながらタバコ吸っている仲間たちが、誰かしらいたものだった。まあ、そんなことしてる時間あったら、とっとと論文書けって話なのだが。

 

 

IMG_1929学部生時代には史料調査で各地の博物館に行った(人形っぽく写っているが、向かって左側が丸山氏)

 

 

 

岐路で選んだ“片道切符”

 

 

 考古学専攻生ライフもいよいよ大詰めの4年といえば、卒業後の進路を決めなければいけない時期だ。他の学部もさることながら、文学部であっても普通は大学を卒業したら就職をする学生がほとんどのはず。だが、史学科、特に考古学専攻の学生に関しては、就職など1ミリも考えずに大学院へ進学して研究者を目指す人が少なくない(=当時。現在は減少傾向らしい)。

 

 学問としての考古学は興味本位だけでは通じないし、ましてやエンターテインメントではないということを知り、実習を経て報告書や論文が書けるようになるまで、一応は成長できた学生たちだから、当然と言えば当然なのかもしれない。だが、ここまで読んでもらって分かるように、私の場合はそこまでの優等生ではなかった。そんな私がなぜ、大学院へ進んだのか。それについてお話ししたい。

 


IMG_1931進路をどうするか考えていた平成不況のど真ん中の時代に青葉城へ行った

 

 

 4年生の終わりが見えてくる頃になって、私は自分の考古学に対する知識の浅さから、先輩や先生に怒られることが増えていった。そうすることで、当然のように精神耐性は強くなってくる。

 

 ここで精神が図太くなったおかげなのか、就職しなくても大丈夫という妙な気持ちが湧いてきたのだ。

 

 時は平成不況のど真ん中。そもそも就活する意味がないほどだったので、どこか諦めて達観してたところもあった。ところが、自分と世間が許しても、親と就職課はそんなことを許してくれない。

 

 頑張って就職するか、考古学者への道(地獄への片道切符)を選ぶかという岐路に立たされた。ここで悩んだ学生の大半は就職に進む。考古学は大学のうちだけというのも、それはそれで間違いではない。ただ、こんな私でも考古学に対する未練があった。というか、考古学者への具体的な道がおぼろげながら見えてきたこのタイミングで、諦めることなどできなかったのだ。

 

 そこで博士課程前期(修士課程)に進むことで、考古学者になるための切符(片道)を手にするべく、卒業論文を提出後、大学院を受験したのだった。

 

 さて、試験がどうだったのかを説明する前に、思いっきり言い訳をさせてほしい。

 

 ここまでいかにもまっとうな考古学専攻生みたいな感じで客観視しつつ、自分の意見を挟んで説明してきたが、実際には、相当な劣等生だったと思う。とにかくダメな学生だったくせに挑んだ院試の内容がひどかったのだ。

 

 大学によって異なるが、私が受験した時は筆記試験(考古学、日本史、英語)と面接試験がメインだった。筆記試験が終わって、面接試験に進んだときに「お前さ、考古学やるんだろ? 英語の文献も読むことになるよね。分かってる?」と、K先生に言われた。

 

 「はい、もちろんです!」

 

 元気良すぎるトーンで答えたが、

 

 「じゃあ、筆記試験が考古と英語が赤点で、関係ない日本史が満点近いってどういうこと? 大学院で考古やる気、あるわけ?」

 

 まさか、石ノ森章太郎先生の『マンガ日本の歴史』を読破してきた(ちなみに全55巻ある)などとは口が裂けても言えない雰囲気だった。

 

 こうしてなんやかんやあったが、なんとか大学院に合格。それから2年かけて専門領域を掘り下げた成果を修士論文にまとめ、その審査が通って修士号をもらうことができた。いわゆる「マスター」である。

 

 唐突だが、ここで私の考古学人生は幕を閉じることになる。

 

 博士課程後期には進まなかったのだ。これがいかにも中途半端な状態であることは自覚していたが、続けることはできなかったのだ。ここから先は研究者として一人前になるための領域でもある。半端な知識で生き残れる世界ではない。

 

 さらに当時は、超がつくほどの就職氷河期(平成不況が継続していて、就職事情がより厳しい状況になっていた)。公務員人気が急上昇し、地方自治体の教育委員会や公立博物館の学芸員など、埋蔵文化財関連の就職先の倍率がおかしなことになっていたことも背中を押した。

 

 後期に進んで博士号(ドクター)を取得し、一人前の研究者になったところで、もはや考古でメシを食っていくことは限りなく不可能だと思ったのだ。

 

 ちなみに、考古学者を主人公とした漫画では異例のヒット作となった『MASTERキートン』のタイトルも、この「修士」に由来している。考古学の研究者であったキートンは、博士課程に進むことなく、軍隊を経て保険調査員となって世界を渡り歩く傍ら、そこにある遺跡を訪れる生活をしていた人物だ。私が後期に進まなかったのも、正直、キートンが大好きで影響されていた部分もあるだろう。

 

IMG_1930大学院時代の発掘の様子。三宅島を経て、いっぱしの作業ができる気になっていた

 

 こうして、私は中途半端に考古学を勉強した「考古学者崩れ」になったというわけだが、今振り返ってみると、この生き方も悪くはないと思っている。なぜなら、学者になっていたら今の仕事にはありついていないわけだし、そのジャーナリストとしての活動の根底には、考古学者としての矜持やノウハウが生きているからだ。

 

 現存する事物から、それがたどってきた経緯を検証し、それを世に伝えるために文章にまとめるということは、まさしく考古学者としての活動と共通したものがある。つまり、「ジャーナリスト・丸山ゴンザレス」の肩書きは、「MASTERゴンザレス」の上に成り立っているのだ。

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。お楽しみに!

 

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丸山ゴンザレス(丸山祐介)

1977年生まれ、宮城県出身。國學院大學大学院修了。考古学者崩れのジャーナリスト。フリー編集者。出版社勤務を経て独立。國學院大學学術資料センター共同研究員。TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く“危険地帯ジャーナリスト”として人気。2005年『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)で作家デビュー。以後、著書多数。【丸山ゴンザレス】名義:『海外あるある』(双葉社)、『闇社会犯罪 日本人vs.外国人 ―悪い奴ほどグローバル』(さくら舎)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)等。【丸山祐介名義】:『図解裏社会のカラクリ』『裏社会の歩き方』(ともに彩図社)、『そこまでやるか! 裏社会ビジネス』(さくら舎)等。近著『GONZALES IN NEW YORK』(講談社)が好評発売中。旅行情報などを配信するネットラジオ「海外ブラックロードpodcast」では、ラジオパーソナリティーとしても活動中。

双葉社の既刊本好評発売中!!

ISBN978-4-575-30635-4

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