三等旅行記

三等旅行記

#06

北満ホテルにて

文・神谷仁

哈爾浜から西比利亜へ行く日本人は私一人

 

 

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 < 2信 >

 

 

 全く何度も云ふやうですが、私は哈爾浜が好きです。第一に物価が安いせゐもあるのでせうが、歩いてゐる人達が、よりどころもなく(「よりどころもなく」に傍点)淋しげに見えるからでせうか……。

 北満ホテルへ着きますと、皆覚えてゐてくれました。去年のまゝの顔馴染の女中達でした。「こつちは大丈夫でしたか!」まづこんな事から挨拶を交はしたのですが、哈爾浜は日本で考へてゐた以上に平和でした。「こつちは何でもございませんよ」長崎から来た女中なぞは、哈爾浜は呑気なところだと笑つてゐます。窓から眺めた風景だけでも戦ひはどこにあるのだらうと思はせる位でした。

 

 日本の茶漬も当分食べられないだらうと、朝御飯には味噌汁や香のものを頼みました。

「此間も日本の女の方が一人でお通りになりました」

「その方も無事に西比利亜へ行かれたやうですか?」

「はい、御無事で行かれたやうです。お立ちになります時、やつぱりかうして日本食を召し上りながら、死んでしまふかも知れませんなんかと、淋しさうに云つていらつしやいましたが、……」

 音楽学校の先生でショウジさんと云ふ方らしい。東京の列車から御一緒に巴里まで道連れにして貰はうなんぞと思つたのですが、何しろ二等で行かれるのでは、ケタ(「ケッタ」に傍点)が違ふので、私は六日遅れてしまつたのです。

「その方、運が良かつたのですね、私なんか無事に越せますかしら……」そんな事を話しあつてゐますと、チヽハルから、今婦女子だけが全部引上げて来たと云ふニュースがはいりました。

 女中達は、二三日泊つて様子を見てみたらどんなものかと云つてくれますが、様子なんぞ見てゐたら、まづ困つてしまふので、どんな事があつても、午後三時出発にきめてしまひました。

 哈爾浜から西比利亜へ行く日本人は私一人です。エトランゼも居るにはゐましたが、ごく少数で、ドイツの機械商人と、アメリカの記者二三人と、まあ、その位のもので、あとは支那の人ばかりです。

「日本人の方でドイツへ行かれる方がいらつしやるんですが、二三日様子を見るとおつしやてゐますよ」

 だが、どうしても様子を見てゐる軍用金が切り出せないので、私は列車に乗る事にきめて、街へ買物に出ました。

寒さに向つてではありますし、又、西比利亜の食堂車で、一々食事をとつてゐた日には、とても高くかゝると云ふ事でしたので、まづ毛布や食料品を買ひ込む事にしました。

 哈爾浜で買つた紅色の毛布、これはもう大変な思ひ出ものです。巴里の下宿で、いま蒲団がはりに使用してゐます。

 初め、安いあけび(「あけび」に傍点)の籠を買つて、それへどしどし買つた食料品を詰める事にしました。何しろ初めての西比利亜行きなので、ーー用心して買物をしたつもりでも、沢山抜けたところがあるんです。

 まづ、葡萄酒を一本買ひましたが、ケチをして「ケチ」に傍点)哈爾浜出来を買つたので、苦味くてとても飲めたものではありません。外に、紅茶、林檎を拾個、梨五個、キャラメル、ソーセージ三種、牛鑵二個、レモン二個、バターに角砂糖一箱、パン二個、ゼリー、それからヤカンや、肉刺、匙、ニュームのコップなど揃へました。

 また、アルコールランプや、オキシフルや、醤油や、アルコール、塩などは、溝口と云ふ商品陳列館の人に貰つて、これは大変役に立ちました。

 

 それこそ、風呂に這入る暇もなく停車場行です。大毎の小林氏が、チヽハルとモスコーへ、誰か迎ひに出てくれるやうに電報を打つてあげませうと云つて下すつて、一人旅には一番嬉しいことでした。

 こゝでも私は二等の寝台に買ひかへて、乗る事にしましたが。ーー大分番狂ひで仕方もないのですが、二三日哈爾浜で様子を見てゐたと思へば良いと、腰を落ちつけて何気なく、窓硝子を見ると、何と頬の落ち込んでゐる自分の顔を初めて見て私は驚いてしまひました。

 ところで、荷物の事なのですけれども、小さいトランクを四つ持つより、大きいのを一ツと、手廻りの物を入れるスウツケースと、その方が利巧だと考へました。

 同室者は、海拉爾(ハイラル)で降りる、露西亜人のお婆さんでした。髪の毛は真白でも帽子を被ると、赤いジャケツを着てゐますので、三十歳の若さに見えました。晩の九時頃が、命の背戸ぎはなのですがーーこの、露西亜婦人に大丈夫だと云はれて少しは落ちつきが出来ました。

 

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<解説>

芙美子はハルピンに滞在しているときは北満ホテルに滞在をしていた。文中ではホテルの女中たちと懐かしげに会話している場面が描かれている。これは前年の昭和5年に芙美子が、2ヶ月間の中国旅行をした際にこのホテルに宿泊していたからだ。

 

 

 

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 こゝは日本人の宿なので、宿代は勿論日本金の三円、露西亜人のホテルだと、二ドルも出せばいゝ部屋が借りられると云う事だ。すると日本金に換算して、壱円いくら、何とよい時に来たものだらうか、此ホテルの階下はキャバレーで夜明けまで歌声がきこえる。

 ホテルで御飯を食べる位馬鹿らしい事はない。二三十銭も出せば、キタイスカヤあたりで、素晴らしいアベード(昼食)が食べられる。辻々には可愛らしい小店があって、酒も煙草も売ってゐるし、煙草は数え切れない程、豊富な種類がある。日本の切手一枚で買える安煙草さへ、内地のバットとはヒカクにならない。(『哈爾浜散歩』より)

 

 

 

 上記の文は昭和5年に書かれた、芙美子の随筆だ。この旅で芙美子は哈爾浜内を気ままに歩き回り、現地の滞在する日本人、そしてロシア人や中国人と交流をしている。時には少し危なげな貧民窟へ行ってみたり、露店で買い食いしたりと実に楽しげだ。

 

 

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 満州では北がいゝ、勿論その中にはハルピンがあるから、又来年は冬を見に行こうかと思ってゐる。(『哈爾浜散歩』より)

 

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 よほどこの街が気に入ったのだろう。

 そして芙美子はこの文章に書いたとおり、次の年のパリ行きの途中にも立ち寄ったというわけだ。

 

 

 

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時刻表に掲載されている北満ホテルの広告。宿泊料金は1泊6円

 
 

       

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 北満ホテルの絵葉書。欧風の優美なホテルである

 

 

 

 

*本文は、書かれた時代や社会情勢などを考慮して原文のまま表記しております。

 

 

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は9/18(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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