三等旅行記

三等旅行記

#05

満州の長春へ

文・神谷仁

ヤポンスキーホテル・ホクマン

 

 

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< 1信 >

 

 

 満洲の長春へ着いたのが十一月十二日の夜でした。口から吐く息が白く見えるだけで、雪はまだ降つてゐません。ーー去年、手ぶらで来ました時と違つて、トランクが四ツもありましたし、駅の中は兵隊の波で、全く赤帽を呼ぶどころの騒ぎではないのです。
 ギラギラした剣附鉄砲の林立してゐる、日本兵の間を潜つて、やつと薄暗い待合所の中へはいりました。此待合所には、売店や両替所や、お茶を呑むところがあります。
 五銭のレモンティを呑みながら、見当もつかない茫々とした遠い道筋の事を考へたのですが、ーー「此間満鉄の社員が一人、ハルピンと長春との間で列車から引きずり降ろされて今だに不明なんですがね」とか、「チチハルの領事が惨殺されたさうですよ」なぞと、奉天通過の時の列車中の話です。あつちでもこつちでも戦争の話なのですが、どうもピリッと来ない。
 兎に角、何処に居ても死ぬるのは同じことだと、妙に肝が坐つて、何度もホームに出ては、一ツづゝトランクを待合所に運んで、私は呆んやりと売店の陳列箱の中を見てゐました。去年は古ぼけた栗島澄子(※1)(名前の漢字上に点)や高尾光子(※2)(名前の漢字上に点)の絵葉書なんか飾つてあつたものですが、そんな物は何も無くなつて、いたづらに、他席他郷送客杯の感が深いのみでした。
 こゝでは満洲人のジャパンツーリスト員に大変世話になり、妙に済まなさが先に立つて、擽つたい気持ちでした。こゝだけでも二等にされた方が良いと云ふ言葉をすなほに受けて、長春哈爾浜間を二等の寝台に変へました。不安でしたが、やつぱり金を出しただゞけの事はあるなんぞと妙なところで感心してしまつたりしたものです。
「内側からかうして鍵をかつておおきになれば大丈夫ですよ」
 若い満人のビュウローの社員は、何度となく鍵を掛けて見せてくれました。
 こゝからはロシヤ人のボーイで日本金のチップを喜ぶと云ふ事です。で、やれやれこれでよしと云つた気持ちで鍵を締めて、寝巻きに着かへたりなんぞしてゐますと、何だか山の中へでも来た時のやうに遠い耳鳴りを感じました。四囲があまり静かだからでせう。此列車からホームまではかなり遠いのです。
 列車が動き出しますと、満人のボーイが床をのべに来てくれます。此ボーイは次の駅で降りてしまふので、床をのべに来る時、持つて来た紅茶の下皿に拾銭玉一ツ入れてやりました。やらなくてもいゝと聞きましたが、大変呆んやり丁寧なので、やりたくなります。
 四人寝の寝台が私一人でした。心細い気もありましたが、鍵をかつて寝ちまふ事だと電気を消さうと頭の上を見ますと、私の寝室番号が何と十三です。それに哈爾浜に着くのが明日の十三日、私は何だか厭な気持ちがして、母が持たしてくれた金光さまの洗米なんかを食べてみたりしたものです。迷信家だなんて笑ひますか、今だにあの子供のやうな気持ちを私はなつかしく思ふのですが……。
 十三日の朝八時頃、何事もなく哈爾浜に着きました。折悪しく私の列車は、貨物列車の間に這入つて行つたので、北満ホテルのポーターに見つかりもせず、とてもの事に一人で行つてしまへと、四ツのトランクをロシヤ人の赤帽にたのんで、兎に角駅の前まで運んで貰ひました。
 冬の哈爾浜は夏より好きです。やつぱり寒い国の風景は寒い時に限ります。空気がハリハリと硝子のやうでいゝ気持ちでした。
「ヤポンスキーホテル・ホクマン」
 これだけでロシヤ人の運転手に通じるのですから剛気なものです。古い割栗の石道を自動車が飛ぶやうに走つて、街を歩いてゐる満洲兵の行列なんかを区切らうものなら、私はヒヤヒヤして首を縮めたものです。
 さて、一ツの難関は過ぎましたが、いよいよ戦ひの本場を今晩は通らなければなりません。

 

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※1 栗島澄子/正確には栗島すみ子。明治・大正・昭和期に活躍した女優。その美貌と日本舞踊を基にした美しい立ち振る舞いで人気を博した。「映画の恋人」、「日本の恋人」とも呼ばれた戦前の日本を代表する映画女優。

 

 

※2  高尾光子/大正から戦前にかけて活躍。日本映画史上最初の子役として大正10年にデビュー。昭和12年に満22歳の誕生日を目前に映画界を引退、その後は舞台演劇に進出。戦後は映画1本のみに出演。

 

 

 

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ファッショナブルな女性たちが寛いで平和な雰囲気漂うハルビン市街の写真

 
 

       

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 冬のハルビンの街角写真。当時の満州にはロシア人が多く居住していた

 

 

 

 この文章には二カ月前に勃発した満州事変の影響で、長春の非常に物々しい様子が描かれている。
 ハルピンに到着すると「ロシヤ人のボーイ」や「ロシア人の運転手」が出てくるが、実はこの地には当時多数のロシア人が住んでいた。
 1900年代初頭、帝政ロシアは、満州地域の資源や鉄道の権益を得ようと積極的に満州地域の開発を行った。そのため鉄道建設や街の建設に従事するロシア人も移り住んだ。ハルピンは当時、清国の領土であったもののロシア人が発展させた街だった。
 さらには、1917年の共産革命で、帝政ロシアはソビエトとなり、200万人ものロシア人が国外へ移民。彼らのうち20万人ほどは満州や日本にも逃れ、いわゆる白系ロシア人として満州や日本に住み着いた。1920年から1935年あたりのハルピンではロシア文化が花開き、他の都市とは一風違った異国情緒があったという。
 芙美子が出会った人たちは、そんな白系ロシア人だったのだろう。

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は9/11(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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