風まかせのカヌー旅

風まかせのカヌー旅

#05

ウォレアイへ(その3) 嵐でも、パンケーキを焼くのだ

 

パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム

 

文と写真・林和代

 

 

 ぽりぽりぽり。

 私がおしりを掻いていると、やっぱり足を掻いてるセサリオが言った。

「お前も痒いのか?」

「ワーキニ クート(すんごく痒い)」 

 するとセサリオは、ミクロネシアの伝統的な衣装、スーというふんどしをクイッとあげて、内股をあらわにした。そこには気の毒なほどの湿疹が広がっていた。

 程度の差こそあれ、誰もがあちこちを掻いていた。

 それもこれも、ちっとも止まない嵐のせいだ。

 

 嵐に突入して7日目。

 今や、服もタオルもパンツさえも、なにもかもが濡れていた。

 そして、決して乾かない。

 濡れた布がべたつく肌にへばり付くと、そこに湿疹ができる。

 ただでさえ濡れてて気持ち悪いのに、その上痒いのだ。

 ホームシックにかかったことなど一度もない私の脳裏に、なんども東京の安アパートが浮かんだ。

 帰りたいのではない。あそこにある乾いた衣類が恋しくてたまらなかった。

 

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雨がやんでも、風が強くても、湿気が多くて洗濯物がちっとも乾かない。

 

 スプラッシュも日ごとに激しくなっていた。特にバンク内はひどすぎてとても眠れる状態じゃない。

 そこで私とエリーは、ねぐらを変えることにした。

 後部ビニール屋根の下、デッキから1メートルほどの高さにある、網張りベンチのような場所である。

 ある晩、そこで寝ていたエリーが交代の時間に起き出すと、辛そうに言った。

「ああ、全然眠れなかった……。カッツ、よかったらこの寝袋使ってもいいけど、かなり濡れてるわよ」

 そう言われ、おそるおそる寝袋に潜り込むと……もわーんと、生温かい水蒸気が全身を包んだ。

 しばし目を閉じてみたが、底知れぬ気色悪さに耐えきれず、思わず寝袋をはいだ。

 すると、今度は冷たい風がびゅう。

 ここは濡れる心配こそないが、下も横も網、要は吹きさらしなのだ。

 逃げ場なし。

 観念してまた寝袋に包まると……そうだった。

 ここはビニール屋根のすぐ下。それが風に煽られるバサバサという激しい音がまさに耳元で鳴り響く。

 恐ろしげな轟音の中、濡れた服のまま、濡れた寝袋で眠る。

 すると案の定、また見てしまった。

 深緑色のぬるぬるした沼に沈んでいく夢を。

 溺れる所で目が覚める。そして眠るとまた沼に沈む……。

 嵐というのは、このような恐ろしさを秘めているのである。

 

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吹きさらしのナビゲーター席で眠るキャプテンも、フル装備で寒さに耐える
 

 

 その翌朝、ついに雨が止んだ。

 よし、パンケーキを焼こう!

 まずは、使わない鍋釜を集めて、フライパンの周囲に積み上げる。

 こうして押さえないと、揺れでフライパンがスライドしてコンロからずり落ちるのだ。

 続いて大きなタッパーにどでかいパンケーキの素1箱分をすべて入れる。

 で、水を注ぎつつ、へなちょこのプラスチック・フォークを3本重ねにしてぐいぐい混ぜ、準備完了。

 キッチンペーパーで油を敷き、お玉がないので取手付きのカップで液をすくってフライパンに流し込む。そして待つこと数分。表面にぷつぷつと穴が空き始めたら、しゃもじでひっくり返す。

「ワーオ! ソー キュート!」

 きれいな焼き色を見てディランがはしゃぐ。

 私はほくそ笑みながら、どんどんパンケーキを焼く。

 シロップ取って! 俺はピーナツバターだ! 俺は桃缶あけてピーチパンケーキ!

 ようやく活気が戻ってきた。

 嵐続きで沈みがちだった気分に、パンケーキは効果抜群だ。

 1時間以上かけて大量のパンケーキを焼き上げた私は、午後1時過ぎ、寝ていたエリーに声をかけた。 「少しは眠れた? 」

 すると彼女は絶望的な表情で首を振り、真っ赤なその目から大粒の涙をぽろぽろとこぼした。

「こんなことで泣きたくないの。カヌーに乗るならもっと強くなくちゃって何度も言い聞かせてるのよ。

寝袋とかジャケットとか、私は誰よりもいろんな装備を持ってる。他の人よりもずっと恵まれてるって。

でも、でも、全部濡れてて、全然眠れなくて、すごく辛いの〜。こんなに弱い自分が許せない〜!」

 身長185センチの泣きじゃくるアメリカンガールはちと可愛らしい。

「だよねー。苦しいよねー。泣きたいなら泣けばいいじゃん。少しでも気が晴れればいいってものよ。

ところで、パンケーキ食べる?」

 このひと言で泣き止んだエリーは、ピーナツバターをたっぷり付けてパンケーキを3枚平らげた。

 

imgp1277エリーも泣き止ませたパンケーキはみんなに大人気。このあとキャプテンの指令により、3日連続焼かされたのであった。


 

 

 海はまだ荒れていたが、空はにわかに明るくなって来た。

 灰色の雲間からのぞく、ひとかけらの青空が輝いて見える。

 私は久しぶりに海をゆっくり眺めた。

 ちなみにこれは、ウォッチ=周囲を見渡し、他の船や漂流物、海鳥や飛行機など、目にしたものを報告する見張り、という役目でもある。

 とは言え、私ごときの視力で海の男たちにかなうはずもなく、これまで一度も何かを発見した事はなかった。

 水平線というのはきれいな直線ではなく、ほんのわずかだがデコボコしているように見える。

  そのナチュラルなデコボコをじっと見ていると、ちらっとナチュラルじゃないデコが見えた。

 うねりでマイスが高い位置に上がるのを待ってもう一度確認すると……。

「あそこになにかある! 船っぽい!」

 私がそう叫ぶと、ミヤーノがそばに来てどこだと尋ねる。

 ほら、あそこ。私が指差す方を見たあと振り返った彼は、にんまり笑って言った。

「たぶん貨物船だ。よく見つけたな」

 テストでよい点を取って父親にほめられたような気分である。


imgp0330私が発見した貨物船は、長い時間をかけてこんなに近くまでやって来た。

 

 

 ううっ!! 突然、右足に激痛が走った。

 エリーに踏まれたのだが、みんな裸足なので本来なら多少踏まれてもどうってことはない。

 しかし、この頃、私の右足の薬指は大変な事になっていた。

 このあたりの風土病で、パラオで蚊に刺されてちょっとひっかいたところが、じわじわと化膿して巨大化しつつあった。歩くだけでじんじんするし、ちょっと触れただけでも悶絶ものの激痛が走る。

 平謝りするエリーをよそに、私は座りこんでひたすら痛みが引くのをじっと待った。

 と、反対側のデッキでウォッチしていたミヤーノが叫んだ。

「クジラだぞ!」

 ディランがバンクをよじ登って、ワーオと叫ぶ。

 謝っていたエリーも慌ててカメラを持って駆け寄る。

 私も立ち上がったが、まだ足がじんじんして、のろのろとしか歩けない。

 なんとか反対側にたどり着くと、一瞬、くじらのごつごつした背骨がすべるように波間をすり抜けるのが見えた。

 おお。確かに見たぞ。ちょこっとだけど。

 7年前の航海の時、夜中にクジラだぞとミヤーノに起こされバンクから飛び出したが、暗くて何も見えなかった事があった。ぷしゅーっという呼吸音は聞こえたが、姿が見えず非常に残念だった覚えがある。

 だから、今回はちらとでも目撃できて喜んでいたが、聞けばディランとエリーはしっぽも見たという。

 やはりクジラの醍醐味はしっぽだ。実に悔しい。

 するとミヤーノが来て、また見逃したな、と意地悪そうに笑いながら話し始めた。

「ウォレアイとユルピック(北側にある島)の間では必ずクジラに出会うんだ。必ずね」

「そういえば前に、夜中にクジラが出たのも……」

「ウォレアイの手前だったろ?」

 ということは……ついに、近づいて来たかも!?

 ングルーを出てかれこれ二週間あまり。

 タバコも切れた。コーヒークリーマー(粉末ミルク)も切れた。

 それに何より、すべてを乾かしたい!

 ようやく嵐が治まりつつある中、マイスは真白な帆をめいっぱい広げて、一路ウォレアイをめざして走り出した。

 

 

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*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/canoe_routemap5マイス見取図
クルー1クルー2

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林和代(はやし かずよ)

1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。

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