ブルー・ジャーニー

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#04

水の国、バンクーバーアイランド〈4〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

長老たちのまなざし

 

 年間三千ミリの降雨量に育まれたコケと地衣類の天国。天国に根差した針葉樹の森。その中を縫うトレイルを、ほんの少しでいいから歩いてみたい。アラート・ベイを出て午後五時にバンクーバー島にもどったぼくは、西海岸のパシフィック・リム国立公園に向かって車を走らせた。約六〇〇キロ。バンクーバー空港から出る帰りの飛行機の出発まで残り二四時間。

 

 

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 先住民の伝統的な工法で立てられた平屋の大きな建物に入ると、海の底のように暗い空間にネイティブの音楽が流れ、数々の作品がスポットライトの中に浮かんでいる。どれも色鮮やかだけれど、しんと静まりかえっている。

 バンクーバー島西海岸の町、トフィーノの片隅、ロイ・ヘンリー・ヴィッカーズの作品が展示されているイーグル・エアリー・ギャラリー(鷲の高巣ギャラリー)。

 ロイは、セリグラフ(シルクスクリーンの一種)をはじめ版画、彫刻を手がけるカナダ先住民のアーティストで、トーテムポールに降る雪、雪を抱いた山の連なり、降りしきる雪の中を漕ぎ進むカヤックなど、雪景色が描かれた作品が少なくない。

 

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 世界で初めて人工雪の作成に成功、雪博士と呼ばれた中谷宇吉郎が、雪の結晶を採取するために北海道・十勝岳の山林監視人用ヒュッテにこもったのは一九三三年(昭和八年)、バンクーバー島・ビクトリアで新渡戸稲造が客死した年のことだった。

 ――闇の中を頭上だけ一部分懐中電灯の光で区切って、その中を何時までも舞い落ちてくる雪を仰いでいると、いつの間にか自分の身体が静かに浮き上がって行くような錯覚が起きて来る。

 中谷の手もとに記録された結晶の数は、わずかひと冬で、海外の学者が半世紀がかりで集めたものを超えた。

 日本に降る雪の結晶の表情の豊かさは、日本語の雪を表現する言葉の豊かさと無縁ではないだろう。

 ロイの“森とトーテムポールに深々と降りしきる雪”の前に立つ。ふわふわと舞い降りるのは、SNOWではなく、きっと牡丹雪。

 

 

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 真冬から春の匂いをたっぷり含んだ日差しの下に抜け出る。

 バンクーバー島の中でもとりわけ雨がたくさん降るエリア、パシフィック・リム国立公園の一画に位置するトフィーノ。一時間も歩けばおおよその様子がわかるこの町は、夏になるとサーファー、シーカヤッカー、トレッカー、そしてクジラを見に来る人びとでにぎわうが、季節はずれのいまは、静かでのんびりとしている。

 コーヒーショップに入り、焼きたてのクロワッサンをかじりながらデイパックの底で眠っていた資料に目を通す。

〈パシフィックリム国立公園はここトフィーノと南のポート・レンフューという町のあいだに広がる一二五キロに及ぶエリアで、北から順にロングビーチ、ブロークン諸島、ウェストコースト・トレイルの三つの地域に分かれる。

 ロングビーチは約一六キロの海岸線、ブロークン諸島は約一〇〇の小さな無人島が密集し、アザラシやセイウチをはじめ、数多くの野生動物が生息する場所。ウェストコースト・トレイルはかつて難破船の乗客を助け出すために使われていたトレイル。七七キロに渡って、レインフォーレスト、湖、荒々しい海岸線が連続する〉

 ウェスト・コーストを歩いてみたいが〈無人島でも一〇日間くらいは生きていける装備と計画が必要〉。四時間後にトフィーノを発たなければ帰りの飛行機に間に合わないので、往復六・五キロ、ロングビーチに沿ってレインフォーレスト(温帯雨林)の中を伸びるヌー・チャ・ヌルト・トレイルに向かう。“ヌー・チャ・ヌルト”は、先住民の言葉で「山のふもとにくらす人びと」を意味する。

 彼方の空に切り取られるまで木々が連なり、足下にもうひとつの森が広がっている。

 両ひざをつき、カメラのファインダーをのぞきこむ。あまりに瑞々しい色彩と曲線の無限の変化に、視線をたぐり寄せられて、身動きが取れなくなる。

 もうひとつの森は樹木の幹や枝にも広がっている。幹を覆うコケの重さは、ときにその木のすべての葉の重さを上回り、枝に揺れる“魔女の髪(witch's hair)”と呼ばれる地衣類は一〇〇歳を超える木を選んでからみつく。

 水分を含んだコケは針葉樹の若木の苗床となり、地衣類の窒素が土地を耕す。日照量が少なく、痩せた土地に樹木が育つのは、このもうひとつの森のおかげだ。

 見上げると一羽のハクトウワシ。二メートルを越える両翼は、最高速度一六〇キロを生み、金色の両眼は一マイル(一・六キロ)先の水中を泳ぐ小魚をとらえる。

 そのどきりとするほど優雅な飛行曲線につかまって、もうひとつの森から抜け出す。

 

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 計三度の航海で地球約八周分にあたる三二万キロを航海。世界地図の空白の三分の一を埋めたジェームス・クックが、腐ったマストの交換と食料の補充のためにバンクーバー島西海岸に立ち寄ったのは一七七八年(安永七年)、さいごの航海の途中だった。

 クックの投錨を境に、バンクーバーにやってくるヨーロッパの人間の数は加速度的に増え、宣教師や言葉や酒や天然痘が上陸した。熊や狼や鹿が乱獲され、太古から自生していた木々はつぎつぎと切り倒された。数カ所設けられた保存地域は形ばかりで、原生林の大半は切り放題。クック以降、約二〇〇年間でバンクーバー島全体の約四分の三が姿を消した。

 西海岸はバンクーバー島でももっとも豊富に古い森が残るエリア。豊かな降水量のおかげで、トウヒは六〇メートルから九〇メートルもの高さに成長し、ヒノキの根本は大きな家の居間ほどになる。

 一九七〇年代の後半から、いくつかの製材会社が西海岸の原生林の本格的な伐採を計画。一九九三年(平成五年)、数千人の市民が道路の建設とブルドーザーの進入を阻止するためにこの地に結集し、八五〇人が投獄された。カナダ建国以来、最大規模にふくれあがったこの抗議運動が契機となり、パシフィック・リム国立公園を含む西海岸のレインフォーレスト、約三五万ヘクタールがようやくユネスコの生物圏保存地域に指定され、保護されることになった。

 

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 トレイルの向こうにフローレンシア・ベイの光りが見える。流木のジャングルジムを通り抜け、腰を下ろす。砂が温かく、水面がきらきらとまぶしい。

 デイパックから水とイーグル・エアリー・ギャラリーで買い求めたロイの作品集『長老たちのまなざし』を取り出す。

 綿雪を縫って言葉が響く。

 ――彼らが私に言うには、自分たちの分をわきまえているというあなたがたの言葉を信じていたと。

 あなたがたが自然の摂理を知っているものと思っていたと。

 あなたがたが大地を敬愛するものだと思っていたと。

 

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(バンクーバーアイランド編、終わり)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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