三等旅行記

三等旅行記

#04

東京出発

文・神谷仁

「昭和6年の11月4日、東京を出発

 

 

 ベストセラーとなった『放浪記』の印税を手に林芙美子は、昭和6年11月、いよいよパリへと旅立つこととなった。
 その道のりはまず東京から特急桜号にて、下関へ行き、関釜連絡線で朝鮮半島の釜山へと向かい釜山からシベリア鉄道を経由して巴里を目指すというものだった。
 実は戦前は日本からヨーロッパまでの直通切符を買うことができたのだ。
 明治36年、満州(現在の中国東北部)北部を横断し、ハルビン(哈爾浜)などを経由する東清鉄道が開通。シベリア鉄道がこの路線と結ばれ、アジアとヨーロッパが一本のレールで結ばれた。そして、明治43年には日本から外国への鉄道切符が発売されることとなり、その大正2年にはパリやロンドンまで1枚の切符で行くことが可能となったのだ。
 芙美子は旅行業者の「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」を利用して日本からパリへの切符を購入した。

 

 

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東京から巴里までーー三百十三円二十九銭也。(『巴里まで晴天』より)

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 『三等旅行記』に収録されている「巴里まで晴天」の章には旅の細かな費用が残されている。東京ーパリ間の片道切符313円29銭という金額は現在のお金に換算すると、どのくらいになるのだろうか?
 いささか乱暴な計算ではあるが、当時の小学校教員の初任給5円50銭、現在の小学校教員の初任給を調べて見ると約20万円ほど。この数字から当時の1銭の価値を計算すると現在の約36円ほどとなる。この数字を東京ーパリ間の運賃に当てはめてみると110~115万円くらいだろう。
 ちなみにこれは三等車を利用した場合の運賃で、現在でいうところのエコノミークラスを乗り継ぐ格安航空券を使って海外行くような旅を思い浮かべてもらえば分かりやすいかもしれない。
 そんな旅を芙美子はこう書き残している。

 

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伯林から巴里まで三等の寝台券なしだ。二週間の汽車旅、案外気楽であった。(『巴里まで晴天』より)

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昭和5年発行の時刻表『汽車時間表』

 
 

       

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 東京から陸路と海路を含めた巴里までの時間が掲載

 

 

 

東京駅見送りの人とweb


東京駅で見送りの人たちと一緒の林芙美子/写真提供:新宿歴史博物館

 

 

 しかし、当時の朝鮮半島から満州にかけては気楽な状況ではなかった。
 出発の2カ月前の9月には、列車の経由地にもなっている奉天(現在の瀋陽)の柳条湖で、満州に駐留している日本軍(関東軍)が南満州鉄道の線路を爆破。これが引き金となって満州事変が勃発。日本と中華民国は戦闘状態に突入していた。
 まさに日本、そして世界には次第に戦争の影が忍び寄っていた。
 芙美子が旅立ったのはそんな時期だったのだ。

 昭和6年の11月4日に芙美子は東京を出発。名古屋、大阪、門司などに泊まりながら11月9日に下関から釜山へと渡海。11月10日に釜山から奉天行きの鉄道に乗車。11月12日に奉天へ到着。そこから鉄道を乗り継ぎ長春からハルピン(哈爾浜)へ。
 ここからさらに11日間かけて彼女はパリへと向かうのであった–。

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は9/4(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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