三等旅行記

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#03

林芙美子の人生Ⅲ

文・神谷仁

「 実らぬ恋…放浪はここから始まった 」

 

 

 

 芙美子は1922(大正11)年4月に上京した。頼りにしたのは、初恋の相手と言われる男性の岡野軍一。彼は地元から明治大学に進学しており、芙美子は彼を追って上京したのだ。上京後、芙美子は岡野と雑司ヶ谷に下宿して同棲した。しかし、岡野は就職のため地元へ戻ってしまう。ふたりは結婚の約束をしていたが、岡野の家族から強く反対されたため、婚約は解消となってしまった。

 下記に引用した文中に出て来る〝島の男〟とは岡野のこと。芙美子は東京に取り残されてしまった。

彼女の放浪はここから始まった。

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 戸外の暮色に押されて花屋の菜の花の前に来ると、初めて私は大きい息をついたのだ。ああ菜の花の咲く古里。あの女達も、この菜の花の郷愁を知らないのだろうか……。だが、何年と見きわめもつかない生活を東京で続けていたら、私自身の姿もあんな風になるかも知れないと思う。街の菜の花よ、清純な気持ちで、まっすぐに生きたいものだと思う。何とかどうにか、目標を定めたいものだ。今見て来た女達の、実もフタもないザラザラした人情を感じると、私を捨てて去って行った島の男が呪わしくさえ思えて、寒い三月の暮れた街に、呆然と私はたちすくんでいる。玉葱としょっぺ汁。共同たんつぼのような悪臭、いったいあの女達は誰を呪って暮らしているのかしら……。(放浪記より)

 東京でひとりの生活を始めた芙美子。彼女は、この後、カフェーの女給や工場の女工など職を転々としながら出世作となった『放浪記』の原型となる『歌日記』を綴り始める。1923(大正12)年にはジャン東大震災に被災するも芙美子は逞しく生きていく。

 そして、新しい恋もする。

 俳優で詩人の田辺若男と知り合い同棲を始めたのだ。しかし、この恋は田辺の浮気が発覚し数カ月で終わってしまう。その後も大学生や詩人などとの恋愛を経験する。

 この頃、本郷にあった南天堂書房の2階にあった喫茶店に出入りする様になり、辻潤、壺井繁治、壺井栄、岡本潤、平林たい子らの詩人や作家などとも交流を深めていった。

 その中のひとりであった詩人の野村吉哉とは、多摩川べりで同棲を始め、ついで渋谷区道玄坂、世田谷太子堂の長屋と転居を繰り返した。

 しかし、その生活は芙美子にとって幸せなものではなかった。同棲していた野村はしばしば暴力をふるい、生活は困窮していた。

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(六月×日)

 今夜は太子堂のおまつりで、家の縁側から、前の広場の相撲場がよく見えるので、皆背のびをして集まって見る。「西! 前田河ア」と云う行司の呼び声に、縁側へ爪先立っていた私たちはドッと吹き出して哄笑した。知った人の名前なんかが呼ばれるととてもおかしくて堪たまらない。貧乏をしていると、皆友情以上に、自分をさらけ出して一つになってしまうものとみえる。みんなはよく話をした。怪談なんかに話が飛ぶと、たい子さんも千葉の海岸で見た人魂ひとだまの話をした。この人は山国の生れなのか非常に美しい肌をもっている。やっぱり男に苦労をしている人なり。夜更け一時過ぎまで花弄はなあそびをする。(放浪記より)

 

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尾道・友人と

                                                                                                                                     尾道市で女学校4年に同級生らと。この後、同郷の恋人・岡野を追って上京。

 

 

 

25楠生季野と2
                                                                                                                                      関東大震災の直後に尾道に帰って親友の楠生季野と撮影。手前が芙美子。

 

芙美子は爪に火をともす様な生活をしながらも、詩や童話を売り込みに出版社を回るもなかなか採用されなかった。

 そして、また恋人だった男・野村に浮気をされてしまい同棲を解消してしまう。

 その後に出会ったのが画学生であり、芙美子の生涯の伴侶となる手塚緑敏だった。彼はいままでの恋人と違い、穏やかで包容力のある人柄で、芙美子を生涯支えた。

 手塚と結婚した芙美子は、昭和3年に雑誌『女人藝術』に『放浪記』を断続的に連載し始める。その連載は好評を博し、人気雑誌だった『改造』にも作品を発表。昭和5年には『放浪記』が書籍として出版されるやいなや大ベストセラーとなったのだ。

 芙美子が『放浪記』を出版した時のことを、姪の林文江さんはこう語っている。

「新宿の紀伊國屋に叔父の緑敏が売れ行きをわざわざ見に行ったそうなんです。向いの中村屋から見て〝何冊も売れていたよ〟と叔母に報告したそうですよ。そのときはアドバルーンを上げて『放浪記』を宣伝してくれたみたいで、叔母は大層嬉しかったみたいですね」

 『放浪記』は発売数カ月で60万部以上も売れた。第一次世界大戦後の不安定な社会の中で、たくましく生きる女性の姿を赤裸々に描いた作品は多くの読者を魅了したのだ。

 芙美子は一躍流行作家となり、精力的に作品を発表していった。

 そして翌年の昭和6年。芙美子は『放浪記』で得た印税を手にひとりパリへと旅立っていくこととなるーー。

 

96写真差替え分
                                                                                                      穏やかな画学生の手塚緑敏と結婚し、芙美子の恋愛事情は幸せなものとなった

 

★女人藝術

 

                                                                                                                   1928(昭和3)年、『女人藝術』に詩を発表した後、断続的に『放浪記』の連載が始まる

 

 


*この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は8/28(日)です。お楽しみに。           

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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