日常にある「非日常系」考古旅

日常にある「非日常系」考古旅

#03

富士山が遺跡!?(後編)

文と写真・丸山ゴンザレス

 

樹海で祈りの意味を探る

 

 

 富士山の信仰はバリエーションがある。浅間神社のように富士山そのものを御神体に見立てている場所はある。従来の信仰とは違うが、パワースポットとして人をひきつけたりもする。いずれにせよ今も続く信仰の対象である。

 

 


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写真:東京・秋葉原にある富士講(富士山信仰のための社)

 

 信仰の対象としての富士山の全容を解明するために、山頂に行けば分かるというものではない。別に山に登るのが負担になるとか、そんな言い訳がましいことを考えていたわけじゃない。いや、本当に……。高い山に対して祈る側のポジションに引っかかっていたのだ。

 

 私は学生時代に専攻していた祭祀考古学(神道の成り立ちと発展を様々な角度から研究する國學院大學が提唱している学問)の中でも、「祈り」というものに興味があった。英語では「Pray」と表記して、どういう行為なのかは世界中で通用するが、対象や環境は異なる。神やそれに準じるものに手を合わせたりすることもあれば、お供え物をするために、普通は行く必要のない場所にまで赴くこともある。別にどこで祈ってもいいだろうに、小笠原諸島・北硫黄島(石野遺跡)のような絶海の孤島(しかも火山島だったりする)から祭祀の遺構が見つかった事例もあれば、北アルプス・剱岳の山頂(2999m)に残された錫杖のような祈りの痕跡だってある。いったい祈るとはどういうことなのか。祈りの意味をいつも考えていたのだ(こういう真面目なことだって考えるのだ!)。

 

 そして日本の最高峰である富士山やその周辺からも、先史の時代から信仰の対象とされてきた遺構がいくつも発見されている。いったい富士山は、日本列島に住む人間にとって、どのような「祈り」の対象だったのだろうか。それを知ることこそが、考古学の原点であると、山梨県立考古博物館の学芸員・小林さんの「富士山は“遺跡”」という言葉から、直感的に思ったのだった。

 

 そんなことを考えていたタイミングで、旧知の仲であるルポライターで漫画家の村田らむ氏から連絡が入った。

 

「例の件、どうしますか?」

「はて……何かありましたっけ?」

「樹海っす」

 

 樹海とは、富士山麓(上から見ると北西あたり)にある青木ヶ原樹海のことだ。山梨県富士河口湖町と鳴沢村にまたがった一帯の巨大な森林の通称である。

 

 ここは、富士山が噴火(864年の貞観大噴火)して流れた溶岩の上に自生した森林で、「自殺の名所」としても有名な場所だ。実際問題、自殺に適している地形になっている。起伏があり、周囲から見えにくい窪地も多いし、樹木の背も低いものがあるのでロープもかけやすい。都市伝説的に方位磁石が狂うといわれ、この樹海に入ったら出ることはできないという俗説まで広まっているが、実際はそんなこともないし、スマホでもGPSを利用した位置情報を把握できるため迷うことはない。それよりも、溶岩地帯という複雑な地形が認識を狂わせてしまうために広まった噂だろう。

 


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 村田らむ氏は樹海のエキスパート。『樹海考』(晶文社)という本まで出版するほどだ。内容はかなり濃いめなので、これ一冊で樹海を知ることができる。そんな彼と何か月も前からグループで取材をしに行くことを計画していたのだ。

「ああ、樹海ですね。行きますよ。あったり前じゃないですか! めっちゃ楽しみにしてましたよ」

 

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村田らむ氏(左)×丸山ゴンザレス(右=筆者)

 

(やっべ~~~)

 実はすっかり忘れていた。2018年の秋頃は、南米やらタイなんかを飛び回っていた時期。国内の取材については、すっかり忘却の彼方だ。予定の一つや二つ、覚えてなくても仕方ないのである。許されるでしょ? そうでしょ? お願いします。許してください!!

 

「もちろん準備万端ですわ……」

 準備などしているはずもない。ので、慌てて準備に取り掛かる。

 

 樹海歩きというのは、何度かやったことがある。先ほどから、ちょいちょい知ったふうな言い方をしてきたのはそのためだ。当時はろくな準備もしないでアタックしていたため、手酷い失敗もした。そのときの経験を踏まえて用意したのは次の通りだ。

 動きやすい服、タオル(汗拭き用)、着替え、トレッキングシューズ、雨具(ポンチョ的なカッパ)、軍手、飲料水、食料(おにぎりやサンドイッチなど。弁当箱は不可! 歩きながら食べるか、立ち休憩がほとんどのため)、ライト、樹海地図といったところ。

 シューズについては、遺跡発掘調査での経験から導き出した。現役時代、履きつぶす前提のボロいスニーカーか、ソールの厚いトレッキングシューズを愛用していた。山梨の発掘現場に行って記憶もリニューアルしたので間違いないはずだ。

 遺跡の発掘現場は、足元が不安定なこともあれば、土だったり岩場だったりと、とにかく様々。何にでも対応しないといけないうえに、土を運んだりするので、足の指のグリップが効くものがいい。樹海でもその感じで選んだ。

 ちなみに、発掘現場では長靴の愛用者も多いが、靴底が安定しないので、個人的にはオススメできない。ラバーソールでクッション性も高いものなら、一見するといいように思えるが、その一方で長距離を歩くのに向いていないのだ。長靴は、雨の日や、ぬかるみでの作業など、天候面に左右されるときのチョイスになる。

 

 取材当日、朝8時に東中野の駅前から2台に分乗した我々は、青木ヶ原樹海散策の入り口とされる富岳風穴駐車場に入った。そこで現地集合のメンバーとも落ち合う。総勢で8名。パーティとしては大所帯。安心感はあるが緊張感に欠ける。

 軽くストレッチをしてから、ドライブインを横目に遊歩道へと進む。いよいよ樹海探索のスタートだ。その瞬間、私の脳裏に、樹海に関する恐ろしい記憶がよみがえってきた――。

 

 

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 今から10年ぐらい前になるだろうか。当時、出版社に勤務していた私は、休暇を利用して、通っている格闘技ジムの仲間たちと樹海探索に赴いていた。その前年にも計画していたが、積雪のために失敗していたので、リベンジするつもりだった。そのときの樹海探索中に不思議な場所を見つけたのだ。

 その場所で風に乗って漂っていたのは、何かの焦げついた臭いだった。生理的に受け付けない、思わずえづくような臭い。それをたどって歩を進めると、そこには有機物を燃やしたカスのようなものがあった。部分的に炭になるほど燃えていたので、燃焼剤やオイルをかけたのだろう。周囲には銘柄の違う複数のタバコの吸い殻や、5~6組のゴム手袋が落ちていた。黒く焦げた“何か”と、鼻腔にこびりついた嫌な臭いの記憶は今でも残っている。

 

 その後しばらく樹海とは縁遠い生活をしていたのだが、思わぬところから再び樹海の話を聞くことになった。当時、裏社会の取材をしているときに知り合った裏稼業の人に、新宿の外れにある喫茶店に誘われたのだった。名目は同業者の会合ということだったので、部外者である私は、彼の友達ということで同席したのだが、集まってきたのが見るからにワケありな感じの人たち。まあ、そういう人たちなんだろうと思って、ニコニコしながら話を聞いていた。

 

「じゃあ、北関東でいいかな?」

「渋谷から運び出すにしても何に入れるんだ?」

「ゲーム機の中を空にした箱があっただろ、あれでいい」

「でもよ、北に行くのはまずくないか。あのときもあそこだったし」

「じゃあ樹海で良くないか?」

「あ~そっちね。すぐに腐るし放置すればいいんじゃないかな」

 

 雲行きの怪しい会話の中で、樹海に何かを運んで腐らせるという内容だけは覚えているものの、それ以後のはっきりとした記憶はない。むしろ忘れ去ろうとしているだけなのだ。あの当時の記憶をすべて発掘していいことなんてほとんどないからだ。

 

 さて、そんな過去の記憶をよぎらせながら歩くこと約10分。装備万端なうえに、遊歩道は歩きやすかったため、別段疲労を呼ぶことはないと思っていたが、早くも足裏が悲鳴を上げ始めた。体重が足裏の一点にかかって膝下の負担が半端ないのだ。

 

「休憩、まだっすか?」

 

 思わず口走ると、チーム全体から笑いが起きる。どうやら本気だとは思われていないようだ。それもそのはず。メンバーには女子(20代)もいる。彼女たちが平気なのに、体力自慢なはずの私が音を上げるなんて、ありえないことだった。

(いったいどうして?)

 

 理由はすぐに判明した。

 足元はすでに道ではなく、富士山が噴火した際にできた溶岩の大地になっていたのだ。土がなく岩場が続く。そのうえ、落ち葉で覆い隠されていて見えないが、あちこちに窪んだ場所があり、体重が重いと、その自然のトラップにかかって、膝までズボっと落ちる。遺跡調査の一環で地形を読むことには慣れているはずなのに、溶岩地帯は不規則すぎてまったく読めない。集中して一歩ずつ踏み出すしかなく、これを何度も繰り返すことで着実に体力が削られていった。

 一方、彼女たちは体重が軽いので、足にかかる負担が少ない。格闘技とバーベルで鍛え上げた筋肉は、樹海歩きにおいては単なる“錘(おもり)”でしかなかったのだ。

 

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樹海探索時の筆者

 

 青木ヶ原の樹海は、繰り返し述べてきたように溶岩が固まったところに森ができている。貞観大噴火は1000年以上も前のことだが、それ以前に、この地に文明があったとする“トンデモ説”や、樹海内に暮らしていた集団の痕跡という遺跡のようなものがあるという説もある。このあたりの都市伝説を楽しむのは別に悪いことではない。アマチュアであれば、そこにとやかく言われることもないだろう。だが、仮にも研究員の立場を拝命している身としては、そのような説に乗ることはできない。

 歴史的遺物として樹海で見られるのは江戸時代の富士講(富士山信仰の一種)の石碑ぐらいで、古代はもちろん、縄文時代のものが見つかることなんて、まずないだろう。特に土の少ない火山地帯の森の中で標識土器(時代を特定できるような遺物)が見つかるとも思えない。土にパックされていなければ遺物は風化するからだ。そもそも、このあたりが溶岩に飲み込まれたとされる貞観年間は平安時代なので、特定の勢力が存在していたならば、文献にも登場しているはずである。その資料から特定するほうが現実的だろう。

 もちろん、考古学的なフィールドワークをするうえで、ジャーナリストとして先入観が致命的なミスリードを呼ぶ可能性があるものだということは重々承知しているが、1000年以上も前に溶岩に沈んだ場所に遺跡があったとしても見つかるわけがないのだ。

 

(超古代文明とか、そういうのはオカルト側の話なわけで、正直、こんなところに遺跡なんて……)

 そう思って歩いていると不思議な場所が視界に入ってきた。石が積み上げられて石垣のように見える。

 

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石垣風の溶岩。目の錯覚と苔むした感じが人工物に見せてくる

 

(人工物か?)

 さすがに遺跡とは思わなかったものの、少し観察する必要があった。というのも以前、樹海の中に風穴という天然の冷蔵庫の跡があるという話を聞いたことがあったからだ。それかもしれないと思って近寄ってみるが、人工的に組み合わせたものではないと分かる。接地面に無駄な空間があり、人の手によって積まれたものではなかったからだ。中世の山城や城郭を見たことがあればすぐに分かるだろう。だが、まったくの素人ならどうだろう。これが人の作ったもので、遺跡だと思い込んでも不思議ではない。案外、さきほどの樹海に飲まれた超文明説はこういったところから生まれたのかもしれない。一つの都市伝説に終止符を(自分的に)打つことができた気がした。

 

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青木が原樹海にある富士講石碑=村田らむ氏撮影

 

 人の痕跡といえば、現代人が残したもののほうが目についた。このときの探索で見つけたものは、木の枝にぶら下がった輪っかに結ばれたロープ、朽ち果てたカバンや靴、それに、テントが2つ。そのテントを覗き込んでみると、食料が置かれた状態であった。

 テントを見つけた際に、同行メンバーの一員である生粋の樹海マニア・Kさんが、いかにもマニアらしいことを教えてくれた。

 

「こういうところにいる連中は何をするか分からないので、一人で歩いているときに見つけたら、いつも催涙スプレーを構えるんです」

 

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写真左側、木に結ばれたロープが下がっている

 

 ……その付近で、なんとなく足を止めて休む流れになった。ようやく訪れた立ち休憩の時間。悲鳴を上げていた足を労わりたいところだが、もっと優先しておきたいことがあった。先ほどから私の頭に引っかかっていた、裏社会にまつわる危険な記憶の謎について、Kさんに話してみた。

 

「火をたいていたのは、マニアな連中だと思うよ。死体で遊ぶヤツらもいるからね」

「そんなヤツ、本当にいるんですか?」

「いるよ。何人かで行動しているんだ。どんなことに巻き込まれるか分からないから、僕は見かけても近寄らないけどね」

 

 樹海には死体で遊ぶマニアだけでなく、死体の遺留品から金目のものを盗み出す輩までいるそうだ。

 

「じゃあ、喫茶店での会話についてはどう思いますか?」

「クリエイターじゃないかな」

「といいますと?」

「死体&樹海マニアの間じゃあ、死体を生み出す人たちのことをそう呼ぶんだ」

「上手いこと言いますね……とは言い難いですね」

 

 思わず苦笑い。

 

「俺が見聞きしたようなことって、ありえることなんですか?」

「どっちもあるし、そういう死体なら、むしろお目にかかりたいよね」

 

 死肉を漁るスカベンジャーも真っ青になるタフなマインドを持つKさんだった……。

 

 樹海のプロの凄みを体験とすると同時に、富士山が遺跡だということにも納得がいったように思った。

 まず、縄文から古代、歴史時代と永きにわたって霊山として崇められてきた富士山への登山は命がけのイベントだった。修行僧が足を踏み入れる以外は、遠くから眺めて祈る信仰の対象となってきた。その後、江戸時代になると庶民にまで富士登山が広まっていくが、莫大な費用と時間を必要とする大冒険であることには変わらなかった。交通網や登山道が整備されたごく最近まで、大半の人々にとって、富士山は登るものではなく遠くから見るものだった。

 今回の取材でも山麓の溶岩地帯を歩いてみて、自然とは厳しく、人間が入り込める場所は限られていることを思い知らされた。道がないと人間はわずか100メートルを進むのに1時間近くかかることもある。迂回したり、後退したり、まっすぐに進めないことがこれほどストレスになるとは思いもしなかった。

 近寄れないからこそ、祈りの痕跡が周辺にある富士山を遺跡と呼ぶには十分な根拠である。遺跡や神社の分布範囲が広いため、少々分かりにくいところがある。そして、この分かりにくさこそが、自然とともに生きてきた時代の特徴なのかもしれない。現代人が忘れ去った感覚をもっていたということなのだろう。

 その反面、普段暮らしている人間が作り上げた都市というのがいかに不自然であるのかが身にしみてわかると同時に、人間にとって最適化された空間が都市なのだと思った。不自然な場所だから自然の驚異から身を守れるのだ。

 

 さて、自然に触れてみて、その脅威と、それに対する信仰心を理解するという、考古学を研究するうえでの原点に立ち戻ったところで、次回からは、あらためて都市に対するアプローチをしてみたい。考古学目線で都市に生きる人間の営みを見ていくことから、いったい何が見えてくるのか。それはこの先、私が考古学に復帰していくプロセスで必要になるテーマのだと思う。

 

 この先、どんな旅になるのか、今しばらく、お付き合いいただきたい。

 

 

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週火曜)予定です。お楽しみに!

 

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丸山ゴンザレス(丸山祐介)

1977年生まれ、宮城県出身。國學院大學大学院修了。考古学者崩れのジャーナリスト。フリー編集者。出版社勤務を経て独立。國學院大學学術資料センター共同研究員。TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く“危険地帯ジャーナリスト”として人気。2005年『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)で作家デビュー。以後、著書多数。【丸山ゴンザレス】名義:『海外あるある』(双葉社)、『闇社会犯罪 日本人vs.外国人 ―悪い奴ほどグローバル』(さくら舎)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)等。【丸山祐介名義】:『図解裏社会のカラクリ』『裏社会の歩き方』(ともに彩図社)、『そこまでやるか! 裏社会ビジネス』(さくら舎)等。近著『GONZALES IN NEW YORK』(講談社)が好評発売中。旅行情報などを配信するネットラジオ「海外ブラックロードpodcast」では、ラジオパーソナリティーとしても活動中。

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ISBN978-4-575-30635-4

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