台湾の人情食堂

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#03

台北の浅草、あえて艋舺と呼びたい街

文・光瀬憲子

雨宿りと廟と映画『モンガに散る』

 台北は雨が多い街だ。5月、6月は梅雨に当たり、7月から9月はスコールのような激しい雨がザッーと街を濡らす。そして12月から2月の冬は骨を湿らせるような冷たい雨がしとしとと降り続く。

 台湾語では艋舺(バンカ)、北京語では萬華(ワンホァ)と呼ばれる、東京でいえば浅草のような街で清水厳祖師廟(写真)と出合ったのはほんの偶然からだった。パラパラと降り始めた冬の雨をしのぐため、雨宿りのつもりで足を踏み入れたのがこの廟だった。

 

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 台湾にはいたるところに大小さまざまな廟がある。廟は庶民の信仰の拠点であり、心の拠りどころだ。朝の散歩の途中に、買い物帰りに、デートの途中に。台湾の老若男女はじつに気軽に、そして頻繁に廟を訪れる。

 清水厳祖師廟は、実は大好きな台湾映画『モンガに散る(原題=艋舺)』の撮影が行われた場所だった。台北の下町艋舺は、1970年代に全盛期を迎えた。台湾で3本の指に入る繁華街であり、商売人も、ヤクザも、金持ちも、田舎者も、誰もが艋舺に押し寄せた。映画は、そんな艋舺の全盛期に起きた黒社会、つまりヤクザやチンピラどうしの縄張り争いがベースになった物語だが、主人公の青年やその仲間の友情、淡い恋心などが湿っぽい台北の街の風景とともに描写されていて、なんとも情緒がある。

 艋舺は、かつて日本人観光客がもっとも多く訪れた華西街観光夜市がある場所であり、今でも龍山寺という台北でもっとも古い寺があるため、日本人に人気のエリアだが、「モンガに散る」に描かれているような裏の艋舺を知る旅行客は少ない。

下町の昼酒天国発、茶館経由、極道談義

 清水厳祖師廟の境内にある『祖師廟口自助餐』という名の昼飲み屋には、若いころを艋舺で過ごした60過ぎの男たちが集まり、赤らが顔で昔話に花を咲かせている。かつて日本刀を振り回していた元極道も、いまは飲み仲間に「アニキ」と呼ばれて親しまれ、太い眉毛を上下させながら顔をほころばせている。

 何度もこの昼飲み屋のカウンターで、男たちに台湾ビールや保力達(台湾版養命酒、写真右)と焼酎のミックスをおごってもらった私は、ある日、眉毛のアニキに連れられて、やはり同じ艋舺にある茶館(喫茶店)にお邪魔した。

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 艋舺には茶館がやたらと多い。純粋に中国茶を楽しむための店もあれば、お姉さんが話し相手になってくれる店もある。茶館と言いつつ、お茶は飲まずにお姉さんと一緒にダイレクトに個室に移動する店もある。この見極めがなかなか難しい。

 

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 アニキが連れて行ってくれたのは純粋にお茶を飲むための店だった。店と言っても、ガラス窓に「茶館」と書かれているだけで飾り気はゼロ。ドアを開けると60代前半のアニキより少し若そうな体格のいい男性が出迎えてくれた。

「こいつは、俺よりもよっぽど偉いヤクザだったんだ。こいつが本当のアニキだぜ」と眉毛のアニキが私に言う。すると店主の男性は「何言ってんだ」と笑いながらも、まんざらでもなさそうな表情を見せる。白いTシャツから覗く二の腕は日焼けして、大胸筋はアスリートのように盛り上がっている。この体でお茶を淹れているだけなんて、もったいない気が……。眉毛のアニキによれば、彼は日本に長らく暮らしていたので、日本語も話せるのだとか。

「そうなんですか? 日本語ができるんですか?」

 私が日本語で話しかけてみると、急須からお茶を注ぐ手を休めずに「ちょっとだけな」と言う。そんなぶっきらぼうな受け答えもいい。この茶館の店主、実は艋舺の全盛期には名の知れたヤクザだったのだが、事情があって艋舺に居られなくなり、日本に逃亡したのだという。日本でも名古屋、横浜、歌舞伎町などを転々としたらしく、各地でその筋に身を置いていたとのだとか。

 日本と台湾のヤクザは、実は昔から深い交流があるようだ。艋舺の父と呼ばれたヤクザ界の大物が他界したときは、日本の山口組幹部が台湾での葬式に参加したという。また、台湾のヤクザが日本に渡り、ビジネスとして台湾バナナを日本に流通させた話も有名である。

 茶館の主人はあまり多くを語らなかったが、今でもただの茶館の主人ではないのかも…などと太い二の腕を見ながら妄想をふくらませてしまった。

北京語でなく台湾語で話す男たち

 茶館の店主と眉毛のアニキが交わす言葉は、公用語の北京語ではなく、台湾語である。首都台北だけを見ていると北京語が主流のようだが、台湾全土で見ると今も台湾人の母国語は台湾語だ。

 第二次世界大戦前から台湾で暮らす「本省人」はもともと台湾語を話し、日本による統治が終わった後、大陸から台湾に移り住んだ「外省人」は北京語を話す。あれから70年が過ぎた今、本省人と外省人の境目は曖昧になりつつあるが、かつて艋舺では本省人ヤクザと外省人ヤクザの激しい縄張り争いがあったという。なにしろ台北一の繁華街である。誰もがこの地を手に入れ、商売をしたいと思うのは当然だった。映画『モンガに散る』でも、そんな外省人と本省人の争いの狭間で生きる若者たちの姿が描かれている。

夜市の盛衰、今昔物語

 今、華西街観光夜市の人気は下火になりつつあるが、その一方で龍山寺前の交差点から西にのびる「艋舺夜市」(写真)は、台湾の若者や外国人観光客にも人気で巨大化しつつある。この夜市には老舗の屋台も多く、古くからのファンも多い。

 

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 艋舺夜市や華西街観光夜市を冷やかしながら、ちょっと裏通りを歩いてみると、そこには冬の小雨が似合うしっとりとした裏の艋舺が見えてくる。かつての赤線地帯、茶館という看板を掲げた怪しげな店、廟前の昼飲み酒場や深夜営業の粥店(写真)……。そこには艋舺の全盛期を知る、人情味あふれる台湾人がたむろしている。

 

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 年明けの4日には、清水厳祖師廟境内にある『祖師廟口自助餐』で、拙著(下記「好評発売中」参照)を読んでくれた日本人旅行者3人が偶然居合わせ、日本語を流ちょうに話す年輩のご常連や、眉毛のアニキとともに楽しい酒盛りが行われたという。みなさんもほんのちょっぴり勇気を出して、艋舺の裏通りを歩いてみてはどうだろう。

 

 

*本連載は月2回(第1週&第3週金曜日)配信予定です。なお、次回は1月29日(第5週金曜日)に配信します。お楽しみに!

 

 

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著者:光瀬憲子

1972年、神奈川県横浜市生まれ。英中日翻訳家、通訳者、台湾取材コーディネーター。米国ウェスタン・ワシントン大学卒業後、台北の英字新聞社チャイナニュース勤務。台湾人と結婚し、台北で7年、上海で2年暮らす。2004年に離婚、帰国。2007年に台湾を再訪し、以後、通訳や取材コーディネートの仕事で、台湾と日本を往復している。著書に『台湾一周 ! 安旨食堂の旅』『台湾縦断!人情食堂と美景の旅』『ビジネス指さし会話帳 台湾華語』『スピリチュアル紀行 台湾』他。auポータルサイトの朝日新聞ニュースEXでコラム「翻訳女」連載中。株式会社キーワード所属 www.k-word.co.jp/

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