東南アジア全鉄道走破の旅

東南アジア全鉄道走破の旅

#03

ミャンマーのジャンピングトレイン〈後編〉

文・下川裕治

時速30キロの列車、椅子の背もたれにやられた……

 ミャンマー南部。ダウェイを出た列車はイエ駅に午後の2時近くに到着した。ここで列車を乗り換える。ヤンゴンには翌朝に着く予定だった。
 車内はそれほど混み合ってはいなかった。バスに乗れば、8、9時間でヤンゴンに着くはずだ。列車はその距離を16時間ほどかけて走る。軍事政権から民政に変わり、急に忙しくなったミャンマー人である。時速30キロの列車は敬遠されるようだった。
 列車はのろのろと発車したが、再び、車内は歩くこともできない揺れに巻き込まれていく。慣れるより諦めるしかない。
 モールミャインに着いたのは夜の9時すぎだった。暗い街のなかに、ライトアップされたパゴダが浮かびあがる。モールミャインに来るたびに、仏教の息づかいが伝わってくる。ついうっとりしてしまうが、今回は列車の窓から眺めるしかない。
 揺れのなかで寝ようとする。僕の席はアッパークラスだが、寝台車のようにはいかない。リクライニングの椅子に身体を預けるだけである。幸い、隣の席が空いていた。体を横にした。目を閉じて10分。
 ……いやな予感がした。背中にチクリという痛みが走ったのだ。
 ダニ──。
 痛みでつながる記憶がある。20年前、ヤンゴンからマンダレーまで乗った列車だった。背中にかすかな痛みを感じていたのだが、マンダレーに着いたときは猛烈なかゆみに変わっていた。ホテルの浴室で体をよじり、背中を眺める。
 やられていた。
 ひどいことになってした。赤っぽい斑点が30ヵ所以上。思い返してみる。列車の背もたれしか思いあたらなかった。そのときもアッパークラスに乗っていた。背もたれにはクッションがある。そこがダニの巣窟と化していたのだ。
「列車に乗っても、背もたれに身を預けてはいけない」
 ミャンマーの列車の掟を忘れてしまっていた。20年も前の話である。旅の記憶はそう長もちしない。しかしあれから延々と、ミャンマーの列車はダニを繁殖させていたわけで、これもすごいことだった。いや、そんなことに感心してもしかたないのだが。
 同じ車両にいるミャンマー人は平気だった。穏やかな面もちで寝息をたてている。理不尽に思えてしかたない。
 隣の車両をのぞいてみた。そこは普通席でリクライニングのないベンチのような木製椅子である。寝るには硬いかもしれないが、ダニはいないような気がした。しかし椅子はどれも占領されていた。
 深夜、揺れに体力を奪われた体で列車の椅子に座り、背もたれに体を預けないというのは大変なことだ。車体は相変わらず揺れている。もうなんとでもなれ、といった心境で座席に体を横たえる。
 汗が額や背中を伝う。雨季の車内は湿度も高い。ダニにしたら笑いが止まらない環境がそろっているのだろう。虫のいない世界を夢見ながら、浅い眠りに落ちていく。

 

ヤンゴンからの北上ルート、待ち受ける新たな試練

 翌朝、ヤンゴン市内に入った列車のなかで、中田カメラマンに背中を見てもらう。しっかりとやられていた。皮膚が柔らかい部分を集中的に20~30カ所。20年前と同じだった。
 かゆみを携えてヤンゴンからマンダレーまで北上する。寝台の切符は簡単に買えた。この路線は、ミャンマーでいちばんの幹線である。途中には首都のネピドーもある。そのためか、ややスピードを出している気がする。そこで襲われるのは激しい縦揺れだった。体がベッドから10センチほど浮きあがるような気がした。
「痛ッ」
 ベッドに落ちて腰を打ちつける。柔道の受け身の技が必要だった。高校時代の体育の授業を、もっとまじめに受けておくべきだった。
 マンダレーからラーショーを目指していた。そこが終着駅である。しかしマンダレー駅の駅員は、ミャンマー人らしい笑顔をつくってこういったのだった。
「シーポーまでしか行きません」
「はッ?」
「その先の橋が大雨で流されたんです」
 2015年の7月。僕らはミャンマー各地の洪水を夜、ホテルのテレビで観ながら旅を続けていた。被害はマンダレーからラーショーまでの路線にまで及んでいたのだ。
 しかし行くしかない。翌朝の4時。シーポー行きの列車に乗り込んだ。昼をすぎ、列車はゴッティ鉄橋を越えた。日本軍が破壊したこの鉄橋は、その後、イギリスが修復した。しかし保証期間はとうの昔に終わっている。その鉄橋を、いまにも壊れそうな老体列車が、時速10キロほどで渡っていく。眼下の谷底は100メートルほど下にある。怖かった。鉄道ファンの間では、人気の橋というのだが。
 列車はシーポーに着いた。するとホームでこんな説明を受ける。
「あの壊れた橋の向こうに列車が停まっているだろう。川を渡って、あの列車に乗ればいい。ラーショーまで着くよ」
 川に沿って少しくだり、橋を渡って列車に乗り込んだ。ほどなくして発車したのだが、それから1時間後、列車は停まってしまった。村人なのか保線員なのかわからない男たちが雨のなかを点検に行く。帰ってきた彼らは、こういった。
「線路の上に大きな岩が落ちている。土砂崩れだ」
 列車はシーポーに引き返すしかなかった。
 この連載を考えていた。東南アジアの列車を走破しなくてはならない。しかしシーポーからラーショーまでが残ってしまった。いや、ダウェイポートからダウェイまでの1駅間も残っている。その区間を乗りつぶすために、また列車の揺れとダニに……。いろいろ考えるのはやめよう。

 

*写真・中田浩資

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*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

*2012年のミャンマー鉄道旅行記は、双葉文庫『不思議列車がアジアを走る』に収録されています(第三章ミャンマー ヤンゴン環状線「窓ガラスのない木造列車は、南国のスコールも吹き込む」)。そちらもぜひお読みください。

 

 

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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『タイ語の本音』『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』『週末バンコクでちょっと脱力』『週末台湾でちょっと一息』『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。

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