越えて国境、迷ってアジア

越えて国境、迷ってアジア

#03

ベトナム・モクバイ~カンボジア・バベット

文と写真・室橋裕和

 国を越えれば通貨も変わる。だから越境後の最初の仕事が「両替」なのだが、電子マネーの普及によってそれも変わりつつある。
 

 

陸路国境越えの両替問題

 国境までやってきて、現金の持ち合わせがほとんどないことに気がついた。
「ビザ、どうしよう……」
 ここベトナム・モクバイから、目の前のカンボジア・バベットに向かうには、カンボジアのビザを取らなければならない。国境ポイントによってまちまちだが、30~35ドルもしくは相当額の現地通貨での支払い、といちおうは規定されている。
 国境にたむろすバイクタクシーたちに聞いてATMを発見したが、使えるのはベトナムで発行されたカードのみだった。周囲に銀行はない。
 手持ちのお金を数えてみる。ベトナム・ドンは10ドル分もない。あとはタイ・バーツと、カンボジア・リエルがわずかばかり。ぼろぼろの米5ドル紙幣が1枚。日本円もあるが、さすがにこんな僻地では使えまい。
 やばいかなあ、と思ったが、ないものはない。とりあえずベトナムを出国してしまおう。

 

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ベトナム(手前)とカンボジア(奥)の国境線上に立つ碑。両国の国旗も翻る

 

「日本人かい、よく来たね」
 と、笑顔だったカンボジアビザ発給所の役人の顔が、みるみる曇っていく。ビザ申請用紙に添えたのは、くしゃくしゃになったドンとリエルの紙幣の束だ。
「キミ、ビザ代は米ドル払いだよ」
「ドルならこれで……」
 変色してよれよれの、福笑いのごときエイブラハム・リンカーン。
「ぜんぜん足りない」
「あとはこれでどうですかね」
 バーツ紙幣と、コインをじゃらじゃらと窓口に押し付ける。日本だったら確実に突っぱねられるだろう。
 だがしかし、なんと慈悲深い役人か、僕のことを蔑んだ目で見ながらも、律儀に4か国の通貨を数えて電卓を持ち出し、なにやら計算を終えると、ビザをきっちり発給してくれたのであった。正規料金35ドルには、恐らくいくらか足りなかったはずだ。
 無事にカンボジアに入国はしたが、これでカード以外の現地通貨がすっからかんだ。どうすっぺかなあ……悩みながらイミグレーションを出たところで、青いジャンパーを着たおばちゃんと目が合う。その手には強盗犯のように札束が握られている。最近はすっかり珍しくなった、闇両替だ。

 

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最近の闇両替はマルチカレンシーに対応

 

「日本円だけど、大丈夫?」
 おばちゃんは自信満々に頷くと、やおらスマホを取りだしJKのように素早い手つきで操作をはじめ、為替計算アプリの画面を示した。悪くないレートだと思った。交渉成立。1万円を両替して、ようやく何日か生活できるだけのカンボジア・リエルを手に入れた。
 しかし時代は変わるものだ。その昔、闇で両替できるのは国境を挟んだ両国の通貨がせいぜいだった。近隣国の通貨を換えてくれる人もいたが、レートはひどいものだった。日本円は地域経済にまったく関係のないマイナー貨幣の扱いで、見向きもされなかった。それがグローバル化のもと世界が緊密になっていった結果、マネーの国際的な流通も進み、僕は1万円をおばちゃんに受け取ってもらえたのだ。
 闇両替というと危険な臭いもするが、こんな一般庶民が小遣い稼ぎにやっているケースがほとんどだ。両替所のない国境ポイントでは必要悪といえる存在で、イミグレーションや警察も黙認している。
 とはいえカタギな仕事でないのは確かなわけで、カメラを向けるとおばちゃんに「コラッ」と怒られてしまった。

 

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アジアの国境といえば必須キャラだった闇両替だが……

 

 

ATMで現地通貨を引き出せる便利な時代

 旅をはじめたばかりの若い頃は、僕だってマジメに国境に挑んでいたのだ。現金がなくなるなどというエラーを犯すなど、考えられなかったものだ。
 ガイドブックを暗記するくらい読み込んで予習を欠かさず、交通費やビザ代、食費にホテル代などを計算し、必要な現金を持って慎重に越境していた。
 しかしATMの普及によって、旅は一変した。この10年ほどで、アジアの奥地に至るまで、一挙にATMが増えたのだ。ローカル国境で屋台のバアさんに聞いても、その所在を教えてくれるまでになった。ひと昔前は「ATMってなにさ?」と逆に聞かれたのが懐かしい。
 ATMがあれば、国際キャッシュカードで現地通貨を引き出せる。世界的なオンラインシステムであるCirrus(シーラス)とPLUS(プラス)のロゴが入ったATMなら、日本発行のカードでもたいてい使える。クレジットカードでキャッシングするという手段もある。
 すると旅人はナマけるのである。どっかにATMがあんだろ、とナメてかかるのだ。「国境を越えたらまずは両替」という常識を、ネットワークが打ち砕く。
 時代の流れを受けて、国境の裏名物だった闇両替も減った。かつてバックパッカーの誰もが持っていたトラベラーズ・チェック(旅行者用小切手)は、日本国内では2014年に販売が終了した。
 しかしATM頼みでいると失敗するのがアジアの常。冒頭のように現地発行カードしか使えないATMも多い。通信状態が悪く引き出せないもの、故障中のもの、そしてカードを飲み込み沈黙してしまうという恐ろしいやつも混じっている。

 

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アジアのどこでもATMを見る。日本語に対応しているものもある

 

 タイの国境ではそもそもATMに行く必要すらない。カンボジアとラオスのタイ国境近辺では、タイ・バーツが当たり前に流通しているからだ。そこらの屋台や市バスの運賃ですら、バーツで支払える。お釣りは現地通貨とバーツとがミックスされて返ってくる。これを繰り返すうちに現地通貨が手もとにたまっていく。
 ラオス首都ビエンチャンのコンビニでは、すごいレジが導入されている。米ドル、ラオス・キープ、タイ・バーツのちゃんぽんで支払いができて、額面が計算され、お釣りはキープで戻ってくる。レシートを見ると、その日のレートや、キープ換算時の総額などがプリントされている。
「なんてレジだ……」
 と驚愕したのだが、考えてみれば自国通貨キープにちっとも信頼性がないことの証でもある。

 

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タイ・ラオス国境ノンカイでは両替所もATMも完備

 

 

もし国境で両替の手段が見つからなかったら…

 国境でどうしても両替の手段がなかったら、市場を探してみるのも手だ。デパートやコンビニではない、昔ながらの市である。国境は交易の場でもあるから、市場はよく見る。国境の周辺が一大マーケットになっている場所もある。
 ローカル市場のなかには、生々しい生鮮から衣服、雑貨、乾物、電化製品まで何でも売られているが、古くからモノとマネーの交換の場であるため、両替商がいる可能性も高い。
 そうでなくとも宝石屋や金行は間違いなく存在し、両替も商売のうちだ。日本円は難しいが、米ドルなら換金してくれるだろう。こうした市場はATMの普及度がまだ低いカンボジアやラオスなどの後発国でよく出会う。
 そんな市場すら見つからなかったとしても、どうにかなってしまうものだ。
 越えてきたばかりの隣国の紙幣を持っておろおろしていれば、誰かが助けてくれる。国境の役人だって冷たいように見えて、異国の旅行者に懇願されれば手を貸してくれる。
 なんだかズルいような気もするが、アジアの優しさとアバウトさに救われて、旅人は国境を越えていく……なんて他人任せの僕と違う最近の賢い旅行者は、常に数日間は暮らせる程度の現金を持ち、複数のカードを使い分けているようだ。スムースに旅をするためにも、資金の分散化は大事なんである。
 

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カンボジアのローカル市場にあるプリミティブな宝石屋では両替も可

 

 

*国境の場所は、こちらの地図→「越えて国境、迷ってアジア」をご参照ください。

 

*本連載は月2回(第2週&第4週水曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

 

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室橋裕和(むろはし ひろかず)

週刊誌記者を経てタイ・バンコクに10年在住。現地発の日本語雑誌『Gダイアリー』『アジアの雑誌』デスクを担当、アジア諸国を取材する日々を過ごす。現在は拠点を東京に戻し、アジア専門のライター・編集者として活動中。改訂を重ねて刊行を続けている究極の個人旅行ガイド『バックパッカーズ読本』にはシリーズ第一弾から参加。

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