沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#03

二拠点生活の日記 Jun.21 – 29 2020

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文と写真・藤井誠二 

 

2020

 

6月21日 [SUN]

 

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 ちょっと前に読んだネットの記事で、ひさしぶりに誤解と思い込みに満ちた「沖縄」観に愕然としたので書いておく。[平均年収320万円でワースト1位の沖縄県民が「幸福度日本一」であり続ける理由]という「PRESIDENT Online」(2020/6/10)のものだ。書いたのは慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授の前野隆司さんという人で、「地域しあわせ風土調査」を分析してコメントを寄せている。

 

――物事を楽観的に考えられる人は幸福を感じやすい。『なんくるないさー』という方言があるように、沖縄の特有の気質が影響しているのではないか。――

――「なんくるないさー」は沖縄の方言で、「なんとかなるさ」という意味。きわめて楽観的な県民性があるのです。多くの幸福学研究によって、楽観的な人、ものごとをポジティブにとらえることができる人ほど、幸福を感じやすいことが知られています。――

――私の研究でも、「なんとかなる」と思う人は幸福度が高いという結果が出ています。逆に、悲観的でネガティブな人ほど、幸福を感じにくい傾向があります。――

――沖縄の「なんくるないさー」精神は、南国の島に特有の気質です。ハワイ、フィジー、パラオなどの南国の島にも、同じような楽観的な風土があります。理由の一つは、南国の島では命の危険が少ないからです。バナナやヤシといった食物がそこらじゅうに生えていますし、魚も豊富に捕れますから、飢えるリスクが小さいのです。――

――また、一年中暖かいので、家がなくても凍死することはありません。着るものもシャツと短パンがあれば大丈夫です。一生懸命に働かなくても、衣食住に困ることはありません。年収が低くても、失業率が高くても、さほど困らない。その余裕が、あっけらかんとした楽観的な風土をつくっているといえるでしょう。――

 

 これで大学の先生かと唖然としてしまうが、たぶんこの人は沖縄のことをほとんど知らず、表面的なイメージ(それすらも今どきは、ない)だけで語っているのだろう。

 沖縄にも暮らしていて、取材活動をおこなっている身からしても、前野さんの言う意味での「なんくるないさー」精神はまず感じたことがないし、バナナやヤシはそのへんに生えてないし、魚は鮮魚店やスーパーで買うのが一般的で、貧困状態(日本で貧困率がいちばん高い)にある家庭は必死で働き、喘いでいる。三度の食事に事欠く子どもは三割近い。これも日本でいちばい高い率だ。さらに日本で賃金がいちばん安いのに光熱費が高く、家賃も東京と比べてもさほど安くなく、シャツと短パンですごしているのは一部の移住者だけだ。ついでに言っておくが沖縄の冬は寒くて ─ とくに夜は体感気温が低い ─ エアコンやストーブ、炬燵を使っている人も少なくない。ぼくも暖房器具を使っている。

 それに ─ これはたくさんの人が間違って使っていると思うのだが ─ 「なんくるないさ」は「なんとかなるさ」ぐらいのカルいニュアンスではなく、「真(まくとぅ)そーけーなんくるないさ」挫けずに正しい道で努力すれば報われる」ということで、重たい言葉なのだ。そもそも、沖縄で「なんくるないさ」と人がしゃべっているところをほとんど見たことかないし、沖縄出身の友人に何人か聞いてみたが、みんな使ったことがないという。そのあたりは世代によるだろうし、いい言葉だけど「観光語」になっているのが実態だと思う。

 

――沖縄の幸福度が高いのは、東京から離れていることも関係していると思います。遠いがゆえに、東京と自分たちを比較しないですんでいる。しかも、沖縄じたいに他と比べようのない個性があります。「ウチナーンチュ」としてのアイデンティティがあります。――

 

 たしかに距離は離れている。しかし、東京や大阪に大学進学で出たり、「季節」と呼ばれているように季節労働者として働きに出て行く人も多く、ものすごく「内地」を、とくに東京を意識することになる。ゆえに東京と沖縄の生活と比較もするに決まっている。「内地」とはどこか突き放したニュアンスを含む言い方だが、とくに沖縄の若い人たちにとっていろいろな意味で、他県よりも「東京」は切っても切れないと思う。ウチナーンチュ独自のアイデンティティはけっこうなことだが、沖縄の実相を知らないヤマトの研究者が「ウチナーンチュのアイデンティティ」をかんたんに「分析」してしまっていいのか。ヤマト化していると言われているなかで、沖縄のアイディンティティとは何か、個人々々が葛藤し、悩んでいる。もちろん考えない人だっているのも当たり前だ。誇りを持つ人もいれば、ウザいととらえる人もいる。ぼくも沖縄のことを知らない。わかってない。だから、ぼくなりに知りたくて通い続けているのだと思う。

 空港に着いて安里の自宅に荷物を置きにいった。バルコニーの鳥の巣が気になってサッシを開けると、一羽がばたばたと飛び立った。よく見ると洗濯機の上にもう一羽、鎮座している。たぶん飛び立ったのが親鳥で、逃げなかったのが、うちのバルコニーに生まれ育った子のほうだろう。すっかり成鳥になっていた。うれしくなった。

 とりあえず、すぐに桜坂劇場へいってドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」(坂上香監督)を観る。上映までの間、桜坂劇場ではたらいている山田星河さんとゆんたく。彼女はぼくが非常勤で教えている愛知県にある大学の教え子なのだ。

 映画は刑務所の中でおこなわれているTC(セラプューティック・コミニユティ)を撮影許可を得るまで6年間を経て撮影された力作で、TCとは「回復共同体」と映画では訳されているが、受刑者同士の対話を繰り返すことによって、自身のトラウマから被害者へ気持ちを言葉に置き換えるなどを時間をかけて、支援員のサポートを受けておこなっていくプログラムだ。感情を人前に初めてさらし、互いに成長を認め合っていくプロセス(映画は二年間の密着)は感動的ですらある。制作者の粘り強さがそれまで開くことがなかった扉をこじあけた。敬服する。

 舞台になっているのは島根あさひ社会復帰促進センターという半官半民の刑務所である。犯罪傾向が進んでいないとされる2000人が収容されている。

 ぼくはこの刑務所を二度、訪れたことがある。収容中の受刑者に会いに行ったが、二度とも断られた。詳細は拙著(2018年)『黙秘の壁 名古屋漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだか』(潮出版社)に書いたが、2012年に起きた傷害致死・死体遺棄事件の加害者 ─ 加害者夫婦の夫が~島根あさひ~に収容されていた ─ に面会に出向いたのだった。

 夫婦が経営する漫画喫茶でアルバイトしていた女性を死に至らしめ、それを隠滅しようと計画を立てて、山中に死体を埋めたという事件である。しかし、加害者は途中から黙秘に転じ、検察は「死体遺棄」では起訴したものの、「傷害致死」では黙秘による供述調書の不在、一年に及ぶ遺体の遺棄などで確定的な物的証拠等が失われ、不起訴処分にしたのである。検察審査会は不起訴不当の結論を出したが、再捜査の結果は同じだった。そうした幾重もの壁と闘った被害者遺族を記録したのが拙著である。

 二年の刑期を満期で終えた加害者夫妻の居所をぼくはつきとめ、のちにアポなしで会いに行くことになるのだが、ぼくは刑務所に何度か手紙を出していたから、会ったときにぼくの名刺を見て、手紙の主と同じだったことにすぐに気がつき、表情が歪んだ。そして悪態をつき始めた。もちろんその話もこまかく書いた。

 TCに参加できるのはごく一部の受刑者だけで、ぼくが会った加害者は参加をしていない。出所後、再犯はしていないから「更生」といえるのだろうが、民事裁判では傷害致死が認められ─ つまり民事では傷害致死も「有罪」─それによって賠償金も確定したが、支払いも謝罪も無視したままだ。もしも仮にあの加害者がこの更生プログラムに参加するようなことがあったなら、自己の傷を他者に開示し、己を咎めていたのだろうかと複雑な気持ちにさせらさせられた。

 桜坂劇場を出ると右翼の街宣車 ─ ワンボックスカーぐらいのサイズだった ─ が二台、追尾している警察車両をからかいながら走行しているところに出くわした。あとをついていくと、ヘルメットにサングラス、マスクという出で立ちの百名ほどのデモ隊に遭遇した。警察官がまわりをかためている。コロナ禍の影響もあり、国際通りはほとんど人がいない。掲げられた旗に組織名はいくつか書いてあったが、「革マル」と明記もしてあった。大きな帯には日米安保を粉砕せよとか書いてあり、右翼は「そんなに日本が嫌なら中国に行け、この暴力集団!」と罵声を浴びせかけていた。しばらく見ていたら、泥酔した老人が両脇を制服警官に抱えられ、デモ隊と右翼の間を引きずられて行った。

 栄町で普久原朝充くんと開いてる店はないかと歩き回る。映像作家の平良竜次さんが割烹店のシャッターを閉めているところ ─ 彼のお母さんが「いまきの芽」という店を営んでいる ─ に遭遇。来沖していた写真家の岡本尚文さん ─ 去年出版した『沖縄島建築 建物と暮らしの記録と記憶』が大評判。普久原君が建築監修した ─ と合流し、「トミヤランドリー」で軽く飲み、安里三叉路にある台湾料理の「agu bao」へ流れた。解散して、ぼくは閉店時間ぎりぎりでスーパーのサンエーで食料を買い出して帰宅。すぐにバルコニーに出てみたら、洗濯機の上でじっとしていた鳥の姿がなくなっていた。あれは、鳩ではあるまいか。きっと、そうだ。

 

 

6月22日 [MON]

 

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 レンタカーを借りて、首里へ『モモト』編集長のいのうえちずさんに会いに行き、彼女の沖縄に対する知慧を授けてもらいにいく。沖縄戦学徒・沖縄第二高等女学校の生徒や教職員が慰霊塔「白梅之塔」に祀られているのだが、その記憶を継承するために「若梅会」がある。その会長をいのうえさんがつとめている。沖縄出身ではない、いのうえさんがつとめている理由などをうかがった。

 そのあとは宜野湾の大山まで走って、58号線沿いにあるアンティークショップ『Ragged GIory』へ。最近ここは西ドイツでつくられていた「FAT LAVA」という1950~70年代に旧西ドイツでつくられていた陶磁器に力を入れていて、流れる溶岩のような陶器の肌や、奇抜な色あきやデザインにぼくはハマってしまい、 Scherrich(シューリッヒ)というブランドの花瓶を一つ買った。世界中にコレクターがいるのだが、とてもリーズナブルな値段。スタッフの名嘉山秀平さんに「FAT LAVA」カタログを見せてもらって鼻息を荒くしてしまう。

 途中、とつぜん「天下一品」のラーメンが食べたくなり浦添の同店のパーキングにクルマをすべりこませた。メイクマンの植物売り場にも寄ってみた。そのあと真栄原の「ブックス じのん」に立ち寄り、店長の天久斉さんとちかくの喫茶店にコーヒーを飲みに行ってゆんたく。朝日文庫の『沖縄報告  復帰前1969年』、『沖縄報告 復帰後1982-1996年』、『沖縄報告  サミット前後』を購入。

 管理人さんに頼んで、クルマを拙宅マンションの敷地内に停めさせてもらったあと、泊の「串豚」へ。元県議会議員の平良長政さんと深谷慎平さんと合流。長政さんはすでに酔っぱらっていて、聞けば牧志の屋台村で昼から飲んできたという。彼はほぼ毎日、そこで昼から飲んでいて、常連の店の宣伝広告にも登場していてびっくりした。案の定、屋台村に戻ろうとおっしゃるので、ぐうぜん「串豚」の前を通りかかった知念忠彦さんのクルマに乗っけてもらい、屋台村に戻って「村内」を二軒ほどまわる。どこの店をのぞいても声がかかり、名誉村長状態。そのなかで「島酒と肴(しまぁとあて)」で泡盛マイスターでもある門脇梨紗さんがやはり泡盛に詳しく、ソーミンタシヤーもかなりレベルが高い逸品。後日、店のインスタに県外から来た若い女性二人組と長政さんがしっかりうつっていて笑った。深谷君と一幸舎でビールとラーメンでしめる。

 そういえば、昨年6月の脳卒中(小脳出血)で入院してから一年経ち、脳のMRIでは異常なかった。でも、後遺症はどうしても残って、たとえば酔うと呂律がまわりにくくなることがあったり、なにより速記ができなくなった。裁判所の傍聴席で被告や証人等の証言を聞き取り、ノートに書きつけていくことが、できないわけではないが、つらくなった。右腕に麻痺が残った結果だ。先日もある弁護士に取材したときに、事情を話して録音させてもらった。身体の機能を一部だが失ったことを実感させられる。

 

6月23日 [TUE]

 

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 慰霊の日。新聞を買い込む。朝からひめゆり平和祈念資料館に行って追悼の会に参加した。今年は大幅に縮小されて執り行われたが、元学徒の島袋淑子さんらは参列され、ガマにむかってしつらえられた祭壇に焼香をされていた。終わってからクルマで10分ほどの距離にある「白梅之塔」の追悼式へ。いのうえちずさんもいらした。受付にいた女性に「ツイッターでフォローしていますよ」と言われた。

 帰りに「糸満うまんちゅ広場」に寄り、またも植物売り場をうろつく。近くの沖縄そば屋「南部そば」にたまたま入ったが、行列ができている。人気店なんだな。そばの上にとろとろに煮込んだテビチがのっている。こりゃ、人気店になるはずだ。那覇市若狭にある「ちはや書房」に寄り、取り置いてもらっていた『沖縄社会と日系人・外国人・アメラジアン』(安藤由美・鈴木規之・野入直美 編)を買う。「ちはや書房」は夏から泉崎に移転が決まったそうで、よかった、よかった。夕刻に仲村清司さんが京都からやってきたので、普久原君を呼び出して「agu bao」で台湾屋台料理をつつく。ここは「牡蠣と大腸麺線」が美味い。そのあと岡本尚文さんも合流して安里の「粋や」で飲み直す。拙宅に戻ってから仲村さんと島豆腐を喰いながら深夜まであれやこれや話し込む。

 

6月24日 [WED]

 

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 昼前に目覚めたが仲村さんはまだいびきをかいている。近所まで出かけて弁当を買ってきて喰う。喰っている最中も仲村さんはまだ寝ていた。しばらくすると起きてきて、急いで沖縄大学へ講義に行った。そのまま京都に帰るという。ぼくはそのまま仕事をして気づくとジャン松元さんとの合流時間に遅れそうな時間になっていて、さきにひめゆり平和祈念資料館の普天間朝桂館長の自宅へ向かってもらい、ぼくはタクシーに乗った。渋滞していて十数分遅刻。一時間ほど撮影とインタビュー。帰って民放を観ていたら、ガレッジセールのゴリさんが平和教育の在り方や、戦争の記憶を語り継ぐことについて体験や持論を述べていた。普天間さん宅でお土産にいただいた上間天ぷら店の天ぷらと冷蔵庫にあったゆし豆腐で晩飯にした。

 

 

6月25日  [THU]

 

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 仕事が手につかずごろごろしていて、街に出てみようと思い立ち、小雨のなかを傘なしで散歩に出た。足は自然にジュンク堂へむく。森本店長と一階のカフェでゆんたくしていたら、「おとん」の池田哲也さんがふらりとあらわれて三人でゆんたく。出たばかりの沖縄発の言論誌「越境広場」7月号を買って、むかえの我部祖河そば屋で沖縄そばとジューシー、野菜炒めを喰いながら、アーティストの山城知佳子さんと琉球大学の教授・新城郁夫さんの対談を読む。自宅の本棚から沖縄発の映像批評誌「LP」7号の山城知佳子特集号(2009年)をひっぱりだして読み返していたら、寝てしまった。

 

 

6月26日  [FRI]

 

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 野菜と島豆腐を炒めて食べる。仕事をしていて、ふと冷たい珈琲を飲みたくなって思って近所を歩きまわり、ハンバーガーショップの「アメリカ食堂」が開いていたので読書。夕刻はジャン松元さんとある政治家宅におじゃまして遅くまで懇談。

 

 

6月27日  [SAT]

 

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 深谷慎平君に頼んでクルマを出してもらい、またまた宜野湾の大山のアンティークショップ『Ragged GIory』へ「FAT LAVA」を見に行く。迷った挙げ句「Fofr Keramik」という旧西ドイツの1950代から1960年代初頭の花瓶を人へのプレゼントとして購入。店長の村瀬輝光さんとは何度か会っているのだが、この日初めてきちんと御挨拶。同郷の同世代だということがわかり、とくに移住者でいろいろなおもしろいことを「起業」している人たちの情報を聞いた。移住者が沖縄でフリーで喰うことはたいへんだ。夜にドキュメンタリー監督の松林要樹さんと三人で浮島通りにある焼き肉屋の「萬たく」へ。そのあと「おとん」に顔を出したら知り合いに何人も会う。深谷君と「ブンキチ」で醤油ラーメンを喰って帰る。

 

 

6月28日  [SUN]

 

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 ずっと読書して過ごして、遅い午後に空き地カフェ「ひばり屋」へ歩いていって冷たいカフェオレを飲む。辻佐知子さんの淹れる珈琲は美味い。時間帯的に屋外は蚊が飛来してくるが、各テーブルに蚊よけスプレーと消毒液が常備してある。辻さんとしばらくゆんたくして、浮島通りにあるクラフトビールの店「浮島ガーデン」で、フリーランスライターの島袋寛之さんが、山城知佳子さんと一席もうけてくれた。山城さんは世界的なアーティストだが、東京芸術大学の准教授としてもはたらいていて、往復生活がたいへんそうだった。今はリモートで授業しているそう。今後の制作についていろいろな話を聞かせていただく。ビールをぐびぐび飲んでいたら、「おとん」の池田さんや「ひばり屋」の辻さんらがやってきてだだっぴろい店内は知り合いだけになった。これもぐうぜんである。解散して、元三越内の屋台村に一人で入ってラーメンをすする。料理界で知られた人がプロデュースした店らしいが、たいした特徴もなく、がっかりして帰る。タクシーに乗ったら、女性ドライバーが「理不尽なことが多いから、サボって、タクシーを停めて、ワンセグで"必殺仕事人" を観てたさ」と笑いながらしゃべり出したので、「やっぱ、藤田まこと、いいですね。死んじゃったけど」と答えたら「いまはヒガシ(少年隊の東山紀之)よー」と笑っていた。

 

 

6月29日  [MON]

 

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 午前中に洗濯などして昼前に空港に着き、ゴーヤーと野菜と炒めもの、ポークランチョンミートと卵焼きが入った弁当を買って喰う。飛行機のなかで斎藤環さんと与那覇潤さの対談本『心を病んだらいけないの? うつ病社会の処方箋』をキンドルで読む。

 

 

 

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

 

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藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

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