石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

#03

丸山ゴンザレス「縄文人に立ち返る石巻の旅路」

 

 「石巻・牡鹿半島」連載の第3回目は、ジャーナリストで考古学者の丸山ゴンザレス氏による寄稿ルポをお届けする。人気TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系)では、“危険地帯ジャーナリスト”として注目を集める丸山さんは、宮城県仙台市出身。石巻は幼い頃から何度となく訪れた思い出深い土地でもある。当サイト「TABILISTA」では、『日常にある「非日常系」考古旅』を連載していただいている。今回は、石巻、牡鹿半島に栄えた縄文時代の歴史を検証しながら、復興の只中にある半島部の現在をリポートしてもらった。

 

 

 

 

OSHIKA ROAD SIDE TRAVEL 

 

 縄文人に立ち返る石巻の旅路 

~遺跡、グルメ、そして復興~


文と写真/丸山ゴンザレス

 

 

 

 

 

「牡鹿、興味あるっしょ。行ってみない?」

 

 いきなりの電話はタビリスタの担当編集Sさん。同じ大学の先輩で、双葉社の編集者でもある。公私に渡ってお世話になっているので頭が上がらない存在である。そのことを知ってか知らずか、いつも軽いノリで無茶振りしてくるのだ。今回も第一声から香ばしい匂いがする。

 

「牡鹿って、俺の地元・宮城の牡鹿半島ですよね?」

「そうそう。実はさ、地方創生事業の一環で、石巻を旅してみるって企画があるわけ。11月ぐらいなんだけど、帰省ついでに行っちゃいなよ」

 

 このとき、すでに2018年も後半。帰省といえば正月を待つばかりの時期だ。たとえ学生さんといえども、11月のような中途半端な時期に実家に戻るはずもない。ジャーナリストで研究員の肩書を持つ私のような自由業ならではなのかもしれない。

 

「ありがたい話なんですが、これってタビリスタのコラムってことは、今連載している感じで、牡鹿半島で考古的なことを書くわけですよね?」

「そう。前に石巻とかで遺跡が見つかってどうこうって話、してたじゃん。あれ」

 

 牡鹿半島を含む石巻は、震災復興住宅の建設で数多くの遺跡が見つかっているという話を、國學院大學の先輩でドラえもん的に考古学のことで手助けしてくれるフカサワ准教授こと、太郎さんに聞いたことがあった。そのことを考古学ネタの連載している本サイトのネタ出しのときに話した記憶はある。

 地元であると同時に、石巻には特別な思い入れがあった。2011年の東日本大震災の直後から何度も足を運び、ジャーナリストとしての生き方にも影響を与えたあの場所に、また行くのかと思うと不思議な気持ちになった。嫌な感じではない。呼ばれているというか、引き寄せられている。そんな気がしていた。

 

「分かりました」

 

 承諾の返事をした。それから、旅立つ前に國學院大學へと足を運んだ。この連載を始めてからというもの、何度となく来ているので、さすがに外様感も消えてきて慣れたものである。

 

「ちわ~っす。太郎さん、また来ました~」

「お前さん、もっと敬意を持って入って来れんもんかね。これじゃあ、就活前の学部生みたいだぞ」

 

 苦笑いを浮かべる太郎さんに今回の取材の趣旨を伝えると、表情がほころぶ。

 

「実は金華山の調査をやってるんだ。あそこは“信仰の島”だからね」

 

 金華山は牡鹿半島の沖にある島のことで、古くから信仰の対象となっている島だ。子供の頃に行ったことがある。信仰の対象ということは、文化財の宝庫なのではないだろうか。見て回る価値のある場所だって少なくないはずである。

 

「宮城県の教育委員会あたりが報告書を出してると思うから、見ておけよ」

 

 事務所に戻って報告書を検索する。かつては研究室や図書館、役所などにいかないと報告書を読むことができなかったが、現在はデータベース化されており、簡単に探すことができる。「石巻」「震災」で報告書がいくつかヒットした。その中で、『東日本大震災復興事業関連遺跡調査報告』というのをピックアップして眺めると、どうやら縄文の遺跡が多いようだ。国が主導して「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録を目指すことが発表されて以来、注目度が高まっている東北地方の縄文ブームに乗ってみるのも悪くないかもしれない。

(遺跡と地方グルメなんかを組み合わせて、縄文人になったつもりで、ご当地で「狩猟・採集」されたグルメを堪能しちゃおう的な……企画として、アリだな)

 そんな、わりとざっくりとしたプランを胸に抱いて、宮城へと向かったのであった。

 

 

 

◎石巻名物が市役所!?

 

 

 普段、丸山ゴンザレスとしての取材旅は、一人ですることが多い。危険地帯に付き合ってくれるような奇特な人はあまりいないからだ。それなのに今回の旅は一人ではない。道連れ……いや、パートナーとしてSさんが同行してくれることになった。まあ、これは石巻が危険地帯ではない証拠とでも言えるだろうが、私としてはもっと気になることがあった。

 

「Sさん、免許あります?」

「あるけど」

「運転、お願いしてもいいですか?」

 

 東北地方の取材で車は必須である。特に、遺跡やらロードサイドのB級グルメを探ろうという取材では、車なしなど考えられない。徒歩で動ける圏内なんて、たかが知れている。ましてや、数十分に一本のバスや電車などはあてになるはずもない。

 

「えっ…いいけど……(こいつ、運転しない気だな)」

 

 Sさんの表情から、私にどんな感情を抱いているのかは察していたが、ここは黙殺。私は疲れるので、どうしても運転したくない。表情が引きつったままのSさんには悪いが、無事にドライバーを確保したことで、石巻の取材を開始した。

 

 この街には震災前も後も何度となく来ているが、その方法は、いつも変わらない。車で来たとしても、駅周辺の中心地から少しずつ遠隔地に足を延ばす。「俺的な」が枕詞になる回り方だけれども、今回もまた、駅前あたりの観光地あたりから回ることにした。

 

「Sさん、もうすぐ石巻名物、市役所ですよ!」

「はあ? (市役所が名物って…こいつバカなの?)」

「違うんですよ、マジで珍しいんですよ。元はショッピングモールで、建物がピンク色なんです」

 

 そう言って案内した市庁舎を見たSさんは、絶句しつつも「確かにピンク」と納得してくれたようだった。

 

 

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ショッピングセンター跡に居抜きで市役所が入ったのは震災前から

 

 

 こんな調子で、市内の名所をいくつか回っていく中で、どうしても立ち寄りたい場所があった。石巻市中心部から車で10分ほどの距離にある日和山公園だ。ここには、門脇や南浜など、震災で津波の被害に遭った地区全体を見下ろすことができる展望台がある。

 

 2011年3月14日に、震災の取材目的で私はここを訪れたことがある。津波被害の状況に現実感がなかった私は、街全体を見渡そうと高台向かったのだ。そして、ここから見た風景に絶句し、自ずと階段を下って歩き、それから何日も石巻を歩き回ることになった。この公園が、震災取材を開始するスタートの場所でもあったのだ。

 

 ここに立つと、あの当時のことを鮮明に思い出す。展望台付近にある売店は営業していなかったが、今は営業を再開していたので、入ってみることにした。コンクリートがベタ打ちの土間にパイプ椅子と石油ストーブの店内は、どこか物寂しい雰囲気。

(あの売店、7年前には入れなかったから、いつか行こうと思っていたんだよな)

 そんなセンチメンタルな気持ちを抱えてしまっていることを悟られないようにするのに精一杯だった。

 

 展望台から街を見下ろすと、無数のトラックが往来しているのが見える。少しずつ復興は進んでいる証拠なのだが、工事車両が行き交うということは、いまだ復興が終わっていないことを如実に示していることでもあるのだ。

 そんな思いを抱えながら日和山を後にし、日和大橋を越えて、牡鹿半島へと入っていった。

 

 

 

IMG_0526+1084日和山公園の展望台から見た石巻港(左)、同じ場所から写した2011年3月の写真(右)

 

IMG_0305+529日和山公園にある売店

 

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石巻港周辺の現在(漁港付近と旧門脇小学校)。工事は進んでいるものの、復興はまだまだ遠い印象

 

IMG_0344+559石巻市場にある石巻市水産振興センターの食堂には、ご当地グルメが大集合。写真は刺身定食(左)と、石巻焼きそば(右)

 

 

 

◎雄鹿じゃないよ、牡鹿だよ  

 

 

 半島を走る道すがら、すれ違うのは工事車両ばかりで、一般車は少なかった。この様子からも半島が復興に向けて工事を盛んに行われている、逆に言えば、まだまだ復興が終わっていないのが分かる。

 

「この道、くねくねしてて走りにくいですね」

「地形の入り組んだ半島だから、直線の道路がないんだよね。この調子じゃ、金華山に行くために半島の先端まで行くのは、かなり時間かかるんじゃない?」

(お前、マジで運転もしてないくせに何言ってんだよ!)

 Sさんのそんな心の声に、スマホでグーグルマップを眺ながら気づかないフリをする。ちなみに、地図をチェックしていたのは、遺跡の場所を探していたからだ。

 

 海岸線を目で追う。牡鹿半島はリアス式海岸独特の急な立ち上がりが特徴である。海岸線は入り組んでいて、入り江になっている場所には、以前は海の間近に小さな港と集落が点在していたのだが、津波が押し寄せてきたときに、それらの多くが飲み込まれた。現在は、またいつ来るか分からない災害に備えて、住宅地は高台に移転している。

 それが、復興支援住宅である。その造成の最中にいくつかの大規模な遺跡が発見されたということなのだ。

 

「あ、でもここですね。ここに遺跡があるはずです」

 

 スマホに落としたデータや地図、さらには『東日本大震災復興事業関連遺跡調査報告』に記載された住所でだいたいの位置ならわかるが、番地があてになるような場所ではない。なにせ建物がないのだ。なんとなくこのあたりとしか言いようがない。それでも断言できたのは、復興住宅の看板を目印にしていたからだ。

 

 その看板が掲げられたスロープになっている入り口から上っていく。それほどの急勾配ではないが、ダラダラとした上り坂をしばらく行くと、盛土された場所に造られた真新しい住宅地。そこから海を見ると、かなり上ってきたことが分かる。岸からは100メートルほど内陸になるだろうか。高さも十分、入り江全体を見下ろせる位置だった。

 

 その一角にモニュメント的に碑が建っていた。宅地一帯が縄文時代の遺跡であるのだという。報告書の特記事項には、

 

(1)縄文時代前期の居住域等で構成される大規模集落。

(2)縄文時代前期前葉から後葉にかけての大規模な遺物包含層。

(3)古墳時代中期、平安時代の竪穴建物跡。

 

 このように記載されている。 

 

 舌状丘陵(尖った丘みたいな地形で、上から見ると「べろ」っぽい)につくられた大規模な集落が縄文時代から古墳時代、平安時代まで継続して営まれていたということだ。その期間は、数千年から1万年といったところだろう。古代の人々は、そんなにもの長い間、当時の人々の生業であったはずの漁に便利な海沿いの低地ではなく、高台を選んで住んでいたのだ。

 

 ここだけではない。この遺跡の近くでも、縄文時代の羽黒下遺跡や、牡鹿半島の付け根に位置する女川町に近い場所では中世の遺跡を伴う崎山遺跡などが、高台での復興支援住宅建設の調査に伴って発見されている。

 

 この日の取材で分かったのは、この半島の歴史が、震災を無視して語ることはできないということだ。そもそも遺跡が発見されたのは防災集団移転促進事業。つまりは、津波による災害を避けるための高台への集団移動である。集落まるごとを高台に移す。その高台で縄文時代の遺跡が発見されたということからは、古代の人々が危険を察知していたのではないかという仮説も立つ。かつての住人たちも同じ災害に直面していたからなのかもしれないということだ。近現代になって、多くの人々が生活の便を優先して港の近くに家を建てた。この時点で古代の教訓は断絶してしまった。願わくば、この集団移転の意味を何世代も損なうことなく伝えていってもらいたい。そう思わずにはいられなかった。

 

 

IMG_0777+778遺跡所在地の団地から見た港の風景
 

 

◎金華山を目前にして…

 

 

 遺跡を後にした我々は、半島を一路南下する。そして、金華山へ渡る連絡船が出ている鮎川港に到着すると……港に誰もいない。比喩ではなく、本当に誰もいないのだ。

 

「さて、これからどうしますか?」

 

 とSさんに尋ねると、当然ながら口があんぐり。

 

「どうもこうも、金華山行かなきゃ話にならないじゃん」

 

 編集としての立場からか、そう答えてはくれたものの、人がいなければどうしようもない。この鮎川港から金華山へ行くには、平日は海上タクシーをチャーターしなければいけないことは、あらかじめ知っていた。が、「予約制」とはあっても「随時運行」とのことだったので、行けば何とかなるだろうくらいに高を括っていたのだ。人っ子一人いないというのは、まったくの計算外だった(悪いのは完全に我々だったのだが…)。

 

 秋の東北は日が落ちるのが早い。まだ15時になるかならないかという時間なのに、明らかに日が傾いているのが分かる。今から電話をして海上タクシーを手配していたのでは、きっと日没までの取材完了には間に合わない。

 

 すっかり意気消沈してしまった我々は、どちらからともなく「メシでも食うか」となった。ここからは“グルメ取材”に方向転換だ。

 

 我々は、港からすぐの場所にある「おしかのれん街」に移動することにした。この横丁には数件の食堂があるからだ。

 

 簡素なプレハブで数件の店の集合体。この手の造りは被災地域でよく見られた。津波で流された店舗を一箇所にあつめることで、効率的な運営をしているのだ。観光する方としては発見のようなものはないが、むしろ便利である。

 

 そのプレハブ商店街の中にある一軒の食堂に入った。

 

「まだ、大丈夫ですか?」

 

 随時運行のはずの海上タクシーが開店休業状態だったのに加え、ここにある他の飲食店は、ほぼ閉まっている。閉店時間が気になったので、尋ねてみると「いいですよ」と、店主も気さくに応じてくれた。他に客人がいなかったこともあり、店主にあれこれ質問しながら注文することにした。

 

「今日のおすすめってなんですか?」

「それなら」

 

 そう言って勧めてくれたのはクジラ料理。実は、この牡鹿半島はクジラの町として有名な場所だ。この地域で伝統的に行われている定置網漁でツチクジラが捕れるのだという。

 

 そこで私はクジラの竜田揚げ、Sさんはクジラの焼き肉を注文。出された料理をひとくち放り込むと、

 

「ウメええええ!」

 

 お店で出していい音量をはるかに超えて叫んでいた。クジラといえば、むか~し小学校の給食に出たものくらいしか記憶にない。いや、いまは亡き考古学の恩師がクジラ料理好きで、大事な客が来ると渋谷のくじら屋に行ってたけど、特に美味しいと思ったことはなかったな。とにかく、過去に食べたクジラとはまるで別物。竜田揚げも焼き肉も、とにかく柔らかいし、くさみやクセもまったくない。食レポが本業ではないのでうまく言えないが、“クセがないのにクセになる味”とでも言うべきか。ほどよい弾力で噛むたびに旨味が出てくる食感がたまらない。牛レアステーキの上を行くウマさだ。店主によれば、冷凍していない生のツチクジラは、ミンククジラと違って、火を通しても肉質が固くならないとのことだった。

 

 調子に乗って、ミンククジラやサンマの刺身、牡蠣汁など、とにかく食べまくったのだったが、どれも絶品! そして、最後に店主が出してくれたのが、「サバ」だった。

 

 この地方でサバといえば、「金華サバ」が有名。その名の通り、金華山周辺で獲れるサバのことだ。この辺りは、海流の関係でサバのエサが多く、本来回遊魚であるサバが居ついてしまうため、脂の乗りが他のサバとは格段に違うのだという。東京でも名店でしかお目にかかれない“幻の高級魚”である。

 

「でも金華サバって、大きさの基準があるんですよ。だから、金華サバと名乗れる大きなサバは、だいたい東京に出されちゃいます。まあ、この辺で食べられるものも、味は同じだけどね」

 

 食してみると、それこそ感動を覚えるほどの脂の乗り! しかもサッパリ! しかも新鮮! こんなサバ、食べたことがない!! もちろん、東京で金華サバを食べたことはないが、新鮮な分、このサバのほうがウマいのではないかと思うほどだ。やっぱり魚介はご当地で食べるのが一番だと、あらためて思った。

 

 食事が終わって、もう少し店主と話していると、「お客さん、帰り気をつけてくださいね」と、妙な注意をされた。

 

「何にですか?」

「鹿です。この半島でめっちゃ増えているんですよ。島から渡ってきているらしくて」

 

 牡鹿とは、鹿が多いことからつけられた地名だとは知っていたが、まさか遭遇するとは思わない。だが実際に薄暗くなったくねくね道を走っていると、急に飛び出してきた大きな生き物の影。よく見るまでもなく「鹿」だった!

(本当にいたんだ)と、ボーっとしていると、

 

「カメラ!カメラ!」

 

 Sさんからの指示で我に返った。急いで構えてみたが、鹿のフレームから外れるスピードが早くて、撮り逃してしまった。あとで地元の人に聞いたのだが、かなりの高確率で鹿に遭遇するのだそうだ。それなら“ジビエ料理”が新名物になるかもしれないとも思ったが、なかなか猟師がいないため、繁殖力の強い鹿は増える一方なのだという。

(そういえば、石巻市役所内の案内図に、「ニホンジカ対策室」ってのがあったような…)

 

 そんなことを、ふと思い出した。

 

IMG_0363+568鮎川港

 

 

 自然と災害を目の当たりにし、縄文人が見たのと同じ高台からの景色を眺め、さらに縄文人も食していたであろう、この地の産物を堪能した。これでも十分、今回の「縄文人に立ち返る旅」を満喫できたのだが、ここまで来たら興味は尽きない。

 

「この土地から出た遺物とか見たい!」

 

 なにせ、牡鹿半島の縄文集落の取材で、土地と遺跡の関係性を追求したのだ。考古学を嗜むものとして、そこはぜひともチェックしておきたいところだった。ところが石巻には公的な施設としての博物館が見当たらない。ネットで検索しても出てこないのだ。

 

 だが、「石巻」「縄文」「展示」など検索範囲を広げて調べてみると、一件だけヒットした(類似情報は除く)。

 

「寶が峯縄文記念館」

 

 わずかに書かれた説明を読むと、ここは公的な博物館ではないらしい。正直、それだけではよく分からない。もしかしたら、地方によくある“秘宝館”的な奇異な遺物を陳列しているような場所なのかもしれない。だが、その一方で、それとも予想を裏切る“お宝”ものなのかという好奇心も湧いてくる。

(ともかく行ってみるしかない!)

 

 宿に帰投した我々は、そう思いながら、翌日に寶が峯縄文記念館へ向かう計画を立てたのだった。

(後編に続く)

 

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鮎川の新鮮な魚介を地産地消! 竜田揚げ定食(左上)、クジラ刺身(右上)、刺身の盛り合わせ。真ん中がサバ(左下)、サンマ刺身(右下)

 

 

*丸山ゴンザレス氏の最新情報やイベント情報はこちら

オフィシャルブログ「ゴンザレスレポート」 https://ameblo.jp/maruyamagonzaresu/

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[日常にある「非日常系」考古旅](TABILISTA連載)

http://tabilista.com/cat/global3/marugon/

 

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丸山ゴンザレス(丸山祐介)

1977年生まれ、宮城県出身。國學院大學大学院修了。考古学者崩れのジャーナリスト。フリー編集者。出版社勤務を経て独立。國學院大學学術資料センター共同研究員。TV番組「クレイジージャーニー」(TBS系列)では、世界中のスラム街や犯罪多発地帯を渡り歩く“危険地帯ジャーナリスト”として人気。2005年『アジア『罰当たり』旅行』(彩図社)で作家デビュー。以後、著書多数。【丸山ゴンザレス】名義:『海外あるある』(双葉社)、『闇社会犯罪 日本人vs.外国人 ―悪い奴ほどグローバル』(さくら舎)、『アジア親日の履歴書』(辰巳出版)等。【丸山祐介名義】:『図解裏社会のカラクリ』『裏社会の歩き方』(ともに彩図社)、『そこまでやるか! 裏社会ビジネス』(さくら舎)等。近著『GONZALES IN NEW YORK』(講談社)が好評発売中。旅行情報などを配信するネットラジオ「海外ブラックロードpodcast」では、ラジオパーソナリティーとしても活動中。

 


 

 

1.宮城県観光プロモーション

 

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東京シティエアターミナル2階「毎日が旅行博」Tour Expo 内 [東京都中央区日本橋箱崎町42-1]

 

主催 サンファンヴィレッジ

協力 東京シティ・エアターミナル東京空港交通宮城県経済商工観光部観光課宮城県観光連盟みらいサポート石巻宮城県石巻市大崎市石巻観光連盟峩々温泉東鳴子温泉旅館大沼良葉東部JF宮城県石巻湾支所万石浦鮮かき工場カイタクビヨンド牡鹿の学校

 

 

牡蠣のまち 石巻へ!!

 

 石巻は牡蠣の産地として有名ですが、2018年4月下旬に同じ宮城県の南三陸町戸倉地区に続き、石巻地区、石巻市東部、石巻湾の3支所が国内2例目となるASC*国際認証を取得しました。ASC国際認証というのは、WWFが国際的な海洋保全活動の一環として、天然の水産物ではなく、養殖による水産物を、海の自然や資源を守って獲られた持続可能な水産物(シーフード)として認証する仕組みです。

*「ASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)」

イシノマキマンTwitter 【https://twitter.com/ishinomakiman

*詳しくは石巻観光協会のホームページでご覧いただけます。

 

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