ブルー・ジャーニー
#02
水の国、バンクーバーアイランド〈2〉
文と写真・時見宗和
Text & Photo by Munekazu TOKIMI
黒潮と陽炎
北へ。ブリティッシュ・コロンビア州の州都、ビクトリアに背を向けて車を走らせる。バンクーバー島を縦断する道は、インサイド・パッセージ(湾岸水路)に沿って走る一九号線だけだ。
空と海の青、木々の緑、雪の白。
何度も車を止め、何度見ても変わらぬ景色に見とれ、ただそれだけのことを繰り返す。
潮の香りを乗せた風は甘く、日差しは四月なのに初夏のように熱い。
インサイド・パッセージの深いブルー、森の緑、コースト山脈の雪の白。世界を埋め尽くす三つの色のほうが、ヨーロッパから持ちこまれた赤と白よりも、よほどカナダの国旗に似つかわしい。
車を止め、打ち上げられた流木を伝って海岸に出る。砂浜に、波打ち際と並行して、牡蛎の殻で作られた道が白く伸びている。
アリーシャン列島から流れこんでくる黒潮は海底の海嶺や谷を横切るときに、大量の栄養物を浮き上がらせる。浮き上がった栄養物は太陽の光と結びついてプランクトンとオキアミを養い、栄養たっぷりのスープはさまざまな生物を育てる。
かつてインサイド・パッセージに暮らした先住民は言った。
「潮が引くと食卓ができる」
――初雪より十二月二五日までの間、雪の下るごとに用意したる所の雪を尺をもって量りしに、雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ。――
質屋と越後縮の仲買をする商人、鈴木牧之(ぼくし)が著した随想集『北越雪譜』。江戸時代の後期、一八三五年(天保六年)から一八四二年(天保一三年)にかけて書かれたこの本には、当時の上越地方の冬のきびしさが、淡々と記録されている。
冒頭は『初編巻之上』の中の“雪の堆量(たかさ)”の一節。天保五年の大雪のときに、ある人が初雪から一二月二五日まで日々の積雪を計り、それをすべて足したところ、五四メートルに達したという。
豪雪は黒潮と季節風から生まれる。
フィリピンから北上し、台湾と石垣島のあいだを通り、九州の沖合に到達した黒潮は、そこで日本海に向かう対馬海流と太平洋側をまわる黒潮本流に分かれる。
南から流れてくる黒潮は温度が高く、大量の水蒸気を放出する。大陸からの北西季節風が吹き寄せる冬、対馬海流から立ちのぼった水蒸気はその北西季節風によって日本列島に運ばれ、山脈にぶつかって大量の雪を降らせる。
『北越雪譜』の時代、降雪量はいまよりもはるかに多かった。
秋に「雪中で稲を刈ることあり」。初雪のころは流れをせき止められた川が洪水を起こし「家財を流し或いは溺死におよぶものあり」。真冬は「雪を漕ぎ」、一家総出で雪かきをしても「その夜大雪降り世明けてみれば元のごとし」。降り積もった雪は屋根と肩を並べ、いつも家の中は暗く、いったいこの世で一日中雪の中にこもっているのは「人と熊也」。そしてようやくおとずれる春。「日光明々としてはじめて人間界へいでたるここちぞせらる」
一七九三年(寛政五年)一一月二七日、仙台藩の藩米二千三三二俵を積みこみ、牡鹿郡石巻を出航した若宮丸は、福島県の塩屋崎の沖合にさしかかったところで嵐に舵を破壊された。
剃刀で髷を切り、神に祈ったが、嵐が収まる気配はなかった。転覆を避けるために帆柱を切り倒し、積み荷の米の半分を海に投げ捨てた。ようやく嵐がおさまったとき、周囲に陸地の影はなかった。帆柱も舵もうしなった若宮丸は、ただただ黒潮本流に流されていった。
海の中を流れる川、海流。地表の七〇パーセントあまりを覆う海にはさまざまな川が流れているが、黒潮はもっとも流れが速く、場所によっては一日に二〇〇キロ近く流れる。
若宮丸が陸地を発見したのは、嵐から半年ちかくたった五月一〇日のことだった。漂着したのはアラスカとカムチャッカ半島のあいだに弧を描くように浮かぶアリューシャン列島のひとつ。上陸してみると五月だというのにあたり一面の雪。乗組員はアリュートと呼ばれ、カヤックで海を自由に漕ぎまわる先住民に出迎えられた。
気づくと木々の向こうが燃えている。
階段を下り、B&Bを出て、ラグビー場を二面つくることができそうな芝生の庭を小走りに横切り、浜辺に出る。
日没まであとわずか。インサイド・パッセージが、コースト山脈が、子どもが、寝そべる犬が、茜色にそまっている。
流木に腰を下ろす。
海水に磨き上げられた木肌の感触が心地よい。
「人間の体はみんなが思っているようなたしかな存在ではない」のだと科学者は言う。
テクノロジーの進歩は、水の分子に印をつけ、見分けることを可能にした。そのテクノロジーをつかって、人間の体の七〇パーセントを占める水分の分子の動きを追跡すると、分子がじつに自由に動いていることがわかる。汗として排出された水分は、水蒸気となり、その一部は呼吸を通して体内にもどり、血液に入り込んで体を駆けめぐり、あるいは細胞の一部となり、やがてふたたび大気に出る。
「体という入れ物の中を水の分子が通り抜けるのではない」科学者はつづける。「人間の体は、自由に動きまわる水の分子の中に、陽炎のように揺れ、漂っているようなものなのだ」
太陽は一日のさいごの光を放ち、彼方の森に消えていく。コースト山脈が昼と夜のあいだに浮かんでいる。
対馬海流と黒潮本流は日本列島を通り過ぎたところで合流。ふたたび黒潮になり、太平洋を渡り、このインサイド・パッセージに流れこむ。
流れこんだ黒潮は蒸発し、山脈にぶつかって雪や雨となって大地に降り注ぎ、木を育てる。サケとともに川を上り、熊によって森に運ばれ、木を育てる。やがて木は朽ち、雨に流され、ふたたび海に還る。
目の前でゆったりとうねるインサイド・パッセージには、きっと真冬に鈴木牧之が漕いだ雪の分子が、若宮丸の船員が流した涙の分子が潜んでいるのだろう。すでにこの体の中を駆けめぐっているのかもしれない。
残照がすこしずつ闇に溶け、溶けるごとに星の数が増えていく。
ゆったりとうねる水面を見つめるうちに、揺らぎ、漂い、木肌の感触が遠ざかっていく。
(バンクーバーアイランド編、次回へ続く)
*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。
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時見宗和(ときみ むねかず) 作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。 |