石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

石巻/牡鹿半島 絶景・美食・縄文

#02

牡鹿半島「鹿と鯨の物語」

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HISTORY OF OSIKA 


文と写真/編集部

 

  奥松島の宮城オルレを紹介した前回に続き、今回は石巻から牡鹿半島を西海岸沿いに南下し、鯨のまち鮎川、霊場金華山を目指した。牡鹿半島の歴史を辿りながら、震災で甚大な被害を受けた半島部の現在の復興の様子をレポートする。

 

 

 

 「サン・ファン・バウティスタ」と「サンファン・ヴィレッジ」

 

 

 石巻市にあるホテル「サンファン・ヴィレッジ」は、東日本大震災後の2013(平成25)年4月にオープンしたビジネスホテルだ。地震と津波の影響を受けなかった頑強な岩盤の高台に建設され、海と緑に囲まれた自然豊かな約4000坪という広大な敷地を有し、宮城県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」や「サン・ファンパーク」に隣接している。

 今回、牡鹿半島の観光資源を探る取材を行なうにあたって、このホテルを拠点にした。牡鹿へのアクセスが良好な半島の付け根に位置していて、石巻の市街地にも近かったからだ。「サンファン・ヴィレッジ」という名前の由来は、木造洋式帆船「サン・ファン・バウティスタ」にちなんでいる。江戸時代、支倉常長ら慶長遣欧使節団を乗せ、日本とイタリアを往復した船だ。この帆船は1993(平成5) 年に復元され、ホテルに隣接する「サン・ファン館」に係留されている。現在は船体の状況により船内への立ち入りは中止されているのだが、ミュージアムではこの船が辿った波乱万丈な歴史や大航海時代の帆船文化について学ぶことができる。とても気になる船だ。牡鹿の歴史を語る上で外せない存在と言えるだろう。


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高台に建つホテル「サンファン・ヴィレッジ」。早朝から営業する食堂を備えており、復興工事の作業員たちにも多く利用されている。

 

 

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「サン・ファン館」に係留されている「サン・ファン・バウティスタ」は、慶長遣欧使節団の月浦出帆380年にあたる1993 年に復元されたもの。現在は、船内への立ち入りは中止されている。 

 

 

 独眼竜の異名を持つ仙台藩主伊達政宗の命を受けた支倉常長ら慶長遣欧使節団がローマを目指し、大航海に挑んだのは1613(慶長18)年。徳川家康が江戸に幕府を開いてからわずか10年後のこと。使節団一行を乗せて牡鹿半島の月浦を出帆した「サン・ファン・バウティスタ」は、太平洋を横断。メキシコ、キューバを経由した後、さらに大西洋を横断してスペインへと渡り、ローマのチヴィタヴェッキアの港に着いた。支倉常長は今から400年以上も昔に日本人キリスト教徒として唯一、ローマ貴族に列せられた。

 スペイン国王フェリペ3世、ローマ教皇パウロ5世への親書を携えて太平洋と大西洋という二つの大海原を横断した使節団の足跡を辿り、イタリアのチヴィタヴェッキアを紹介したエッセイが「TABILISTA」に掲載されている。ローマ在住のエッセイスト田島麻美さんの連載『ブーツの国の街角で』だ。支倉ら使節団が最初に踏んだイタリアの地であるチヴィタヴェッキアは2013年に石巻市と姉妹都市となり、日本人殉教者のために捧げられた教会も存在する。遥か東方の島国で起こった悲劇を今なお世界中の人々に語り継いでいる異国の港街のレポートもぜひ読んでみて欲しい。

「チヴィタヴェッキア : 支倉常長の足跡が残る港町」

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チヴィタヴェッキアにある支倉常長像。「TABILISTA」『ブーツの国の街角で』(田島麻美)より

 

「牡蠣と万石浦」

 

 石巻は太平洋と北東北を縦断する北上川の河口に開けた港町。江戸時代には仙台藩と南部藩の米の集積地として栄え、江戸や大阪に物資を運んでいた。金華山沖は暖流と寒流が交わる世界三大漁場のひとつとしても有名で、沿岸漁業はもとより沖合遠洋漁業の拠点としても名高い。リアス式海岸という地形のため養殖漁場としても優れ、四季折々に多くの新鮮な魚介類が水揚されている。ホテル「サンファン・ヴィレッジ」は、牡鹿半島の西側の付け根にあたる渡波(わたのは)から程近い丘の上にあり、種ガキの産地として有名な万石浦(まんごくうら)までは車で5分程度。石巻に来たからには、まずは名物の牡蠣でしょうと、万石浦に向かった。

 ホテルのある丘から坂を下っていくと、万石橋に出る。白いアーチが美しいこの橋は石巻市街地と牡鹿半島の各浜を結ぶ重要な橋で、半島部に住む人々にとって、生活の命綱と言っても過言ではない。現在の橋は、1992(平成4)年に完成した2代目。2011(平成23)年の東日本大震災では、橋桁や欄干に多くの損傷を受けたが、長定期間通行止めになることはなく、復旧・支援車両の往来を支えた。

 この橋のたもとに石巻地区最大級の牡蠣処理場「万石浦鮮かき工場」がある。2013(平成25)年に完成し、徹底的に衛生面に配慮した最新の設備を備えている。以前は3つあったという処理場が震災の影響で使えなくなり、この1箇所に統合した。ここでは、熟練された約200人の方が牡蠣剥き作業を行なっていて、1日に1経営体当たり約50~60キロの牡蠣を3~4人で剥いていくのだという。平成30(2018)年4月には石巻地区、石巻市東部、石巻湾の3支所がASC*国際認証を取得し、これを契機に牡蠣のブランド化も進んでいる。

 

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現在の万石橋(全長178メートル、幅15.8メートル)。初代の橋は昭和7(1932)年に架けられたが、チリ地震津波で大きく損壊するなどして劣化が進んだため、10年の歳月をかけて架け替えられた。初代の橋には20近くあった橋脚は、潮流が万石浦の養殖漁場に影響を与えないよう、2基に抑えられた。

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「万石浦鮮かき工場」。工場全体では約2,500~3,000キロの牡蠣を1日に処理しているそう。ASC*国際認証を取得している。

 

 万石浦の名の由来は、仙台藩の二代藩主伊達忠宗が牡鹿半島へ鹿狩りに来た際にこの地に立ち寄り、「この入江を干拓したら万石の米がとれるだろう」と語ったことからと伝えられている。浦内の多くは干潮時に干潟が現れる水深2mほどの浅い海で、干潟では江戸時代から戦前までは製塩業がさかんに行なわれていた。周辺には梨木畑貝塚(なしきはたかいづか)等があることからも、はるか古来より豊かな入江だったことが分かる。「万石浦鮮かき工場」の方の話によると、津波が襲った際に万石浦に避難した多くの漁船が損壊を免れたといい、奇跡の海とも呼ばれているそうだ。

 現在の万石浦は潮干狩りの名所であるとともに、海苔や牡蠣の養殖が盛ん。特に養殖に欠かせない「種ガキ」の産地として有名で、松島湾と並ぶ商業生産地だ。北は北海道から南は九州まで全国の産地に供給されている。

 昭和の初期に「世界の牡蠣王」と呼ばれた宮城新昌は、種ガキ生産の適地としてこの万石浦に注目し、研究・開発に取り組んだ。その結果、全国各地はもとより、戦後の一時期はアメリカやフランス にも輸出されていたという。その後、輸出は途絶えたが、世界の食用カキの8割がここにルーツを持つとされる。

 

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万石浦は南側が海につながっている面積約7 k㎡,周囲16kmほどの内海(海跡湖)で、全国有数の牡蠣の産地として知られている。


「万石浦鮮かき工場」の見学を終えると、無性に牡蠣が食べたくなった。

 

 港から程近いとある居酒屋に入る。すでに地元の人が集い、宴が繰り広げられていた。牡蠣はもちろん、地元で獲れた新鮮な魚介や郷土料理が味わえる。日本屈指の港町、石巻は江戸時代から酒造りも盛んだった。名物の地酒を注文する。日本書紀の伝説「日高見国」にちなんで命名されたという「日高見」は、石巻にある平孝酒造が平成2年に全国ブランドとして発売した銘柄。1861(文久元)年創業の平孝酒造は、南部杜氏伝承の酒質を基本とした辛口で切れ味の良いお酒を醸す老舗の酒蔵だ。

 

 石巻の旬の地魚と地元の地酒を堪能していると、気になるメニューが目に入ったので店の人に聞いてみた。

 

「鯨のメニューがたくさんありますけど、このあたりの名物なんですか?」

「そうだよ。知らない? 牡鹿半島の先端に鮎川ってところで獲れるの」

「ちょうど明日は金華山に行こうと思っていたので、行く途中に立ち寄ってみることにします」

「金華山に行く船は、鮎川の港から出てるんだよ」

 

 なるほど。行かざるを得ない。

 

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刺身や焼き魚、地元で獲れた新鮮な魚介や郷土料理を堪能。大振りでぷりっぷりの牡蠣フライ(左)、さくさく食感で酒の肴に最適な鯨の竜田揚げ(右)。

 

 

「シカとクジラ」

 

 鮎川へのルートは大きく二つある。

 

 ひとつは石巻市の渡波から鮎川まで半島の西側を南北に走る県道石巻鮎川線(県道2号)。石巻湾に沿って、北上山地最南部の山道と太平洋に面した海浜とを行き来しながら進む。

 もうひとつは半島の尾根の部分を縦断する「牡鹿コバルトライン」。この道はツーリングの聖地として有名で、アップダウンも適度なワインディング区間が30km近く続く。昭和46(1971)年に有料道路として開通したが、平成8(1996)年からは一般道(県道220号)となり、休みの日には全国から多くのバイカーが走りを楽しんでいる。女川から金華山への玄関口鮎川まで、道路のほとんどの区間が三陸復興国立公園の第2種特別地域に指定されている風光明媚な観光道路だ。鮎川-女川間が開通した当時は、大型バスや自家用車が列をなし、牡鹿地区を年間70万台が訪れた年もあったという。

 

 拠点とした「サンファン・ヴィレッジ」は、牡鹿半島の西側の付け根にあたる渡波から程近い丘の上にある。ホテルからはすぐに県道石巻鮎川線に出ることができるので、こちらのルートで向かうことにした。難所として知られた風越峠も平成11年(1999)年に風越トンネルが開通したことで、半島へのアクセスは格段に良くなった。

 トンネルを抜けると蛤浜だ。蛤浜から石巻湾に沿っていくつもの入江を望みながら、海岸沿いを進む。牡鹿半島は石巻・万石浦の東海岸から南に伸びる約25kmの半島。石巻市と女川町に属していて、海と緑に包まれた美しいリアス式海岸が訪れた人を魅了する。多くの人に余生を過ごしたいとまで願わせる景勝地だ。しかし、平成23(2011)年、その約40キロにわたるリアス式の半島沿岸地帯に津波が容赦なく襲いかかった。牡鹿半島は陸地が東側に5.2メートル動き、沈降も1.1メートルに及んだと言われている(朝日新聞 2011年3月16日付)。陸奥・陸中・陸前の3つの「陸」にまたがっている地域を三陸と言うが、ここ陸前(宮城県)は、三陸400キロの中で最も地震の震源地に近かった。入江に散在していた集落の多くも無人化し、復興は遅れている。

 

 リアス式海岸特有の変化に富んだ海岸線は入江ごとに異なった眺望を見せる。桃浦、月浦、侍浜を通り萩浜、小積浜へと進む。月浦はあの「サン・ファン・バウティスタ」が出帆した地だ。小積浜には牡鹿のシカを食肉加工施設「アントラークラフツ」があり、狩猟したシカ肉を購買することができる。

 牡鹿というぐらいなので、このあたりにはシカが多く生息している。縄文時代の貝塚からもニホンジカの遺骸が出土されているほか、仙台藩には牡鹿半島での詳しい鹿猟記録が残されているなど昔から多くのニホンジカが生息していたと見られている。特に金華山においては、古くから「神鹿」として信仰の対象となり、人為的に手を加えずに特別に保護されてきたという歴史もあるのだ。乱獲などで一時は数が激減したが、近年はシカの増加で食害も増え、半島だけでも生息数はおよそ千頭を超える。シカの交通事故も多発しているという。鮎川への道中「シカに注意!」の看板を多く目にした。後日、このサイトで紹介する予定だが、小積浜の「アントラークラフツ」で購入したシカ肉をを使い、快適生活研究家の田中ケンさんにダッチオーブンでアウトドア料理を作ってもらったので、ぜひ読んでみて欲しい。そして牡鹿のシカに関する物語は、後に「牡鹿ジビエ」のお話へと続いていく予定なので、そちらにも期待していただきたい。


 小積トンネルを経て清水田浜、大原浜へと抜ける。この大原浜から給分浜にかけては、復興住宅地として大規模団地が造成されているのだが、牡鹿半島にはいたるところで遺跡が発見されており、その発掘作業のために工事が中断されたこともあるという。給分浜には、その昔、海に漂っているところを拾われて丘陵地の後山に安置されたという伝説をもつ仏像がある。十一面観世音菩薩(国指定重要文化財)だ。豪快端麗にして威厳のある容姿は、鎌倉時代後期の作と推定されている。給分浜を過ぎると、目的地鮎川はもうすぐだ。

 

 鮎川は半島の先端部にある港町。石巻の市街地から車で約1時間。路線バスだと80分ほどかかる。平成の大合併で平成17(2005)年に石巻市と合併したが、旧牡鹿郡牡鹿町の中心地で、明治末期から近海捕鯨の基地として大いに栄えた。かつて港の岸壁には捕鯨会社の加工場が立ち並び、町には映画館やビリヤード場、キャバレーなどもあり、多くの飲食店が軒を連ねたという。毎晩、捕鯨労働者たちが威勢よく練り歩き、東京や横浜から赴任する捕鯨会社の社員達によって最先端の文化も持ち込まれた。伊達氏の所領だった江戸時代には半島南端の高台に唐船番所が置かれ、外国船の監視が行なわれていた。現在は御番所公園となっており、展望台からは360度の大パノラマを望むことができる。

 

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御番所公園から太平洋を望む。これだけの眺望であれば、不審船が侵入することも難しかったであろう。リアス式海岸と霊場金華山は三陸復興国立公園に指定されている。 

 

「鯨のまち」として賑わったかつての港町は、いまその名残をとどめていない。この地域は宮城県内でも東日本大震災の震源地に最も近く、被害は甚大だった。震源は牡鹿半島の東南東約130km付近(三陸沖)の深さ約24kmとされている。壊滅的な被害を受けた港周辺の市街地では、大規模な復興工事が行なわれていて、いまも更地のままだ。震災前、ここには全国でも珍しい鯨のテーマパーク「おしかホエールランド」があった。日本が商業捕鯨から撤退した後、地域のシンボルとして多くの観光客を受け入れていたが、現在は震災前から展示されていた捕鯨船「第十六利丸」(全長68m)だけが残る。

 この鮎川の町で、2011(平成23)年から営業を続ける仮設商店街がある。「おしかのれん街」だ。牡鹿半島には、ワカメや銀シャケの養殖、カキ、ホタテ、アワビ、ウニ、ホヤなどの漁を生業として暮らす方が多く、地元の水産品も売られている。まだ復興半ばの市街地にあって、ここは貴重な商業施設。地元で水揚げされた鮮魚が食べられる飲食店や、鯨肉やワカメなど地場産品、鯨歯工芸品や日用雑貨など取り扱う商店など、「鯨のまち」ならではの12店舗が軒を連ねる。牡鹿半島の旬の味覚を味わいたい方にはオススメだ。網地島や金華山への航路の発着点ともなる鮎川浜だけに、お土産をお求めの方もぜひ立ち寄ってみて欲しい。

 

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「 おしかのれん街」は震災直後の2011年から営業。「Help」というドイツを本拠地とする国際緊急支援団体の助成金によって建設された。

 

 復興が大幅に遅れている鮎川だが、明るいニュースもある。港の入り口にスタイリッシュな建物が見えた。「おしか番屋」だ。建築家の萬代基介氏による、漁港に建てる漁師のための番屋である。この地域で震災後に初めて竣工した建物だという。風景の一部となるような明るく開放的なメッシュ状の屋根をつくることを考えてデザインされており、現地の漁業者や奥さんたちと一緒に様々なプロジェクトを進めている。鮎川港拠点エリア整備事業に関する工事の安全祈願祭もここで行なわれた。その近くには真新しい大きな建造物もある。平成28(2016)年4月に本設復旧された牡鹿魚市場だ。1日20〜30トンもの氷が作れる製氷設備やICチップによる氷の自動販売機など充実の設備が整っている。およそ5年間仮設市場での荷捌きが続いていたが、新しく完成した市場は漁師だけでなく観光客にも開かれている。活魚の水槽を覗いたり、魚に触れてみたりすることができるそうだ。運悪く訪問した時はどちらの施設もクローズしていて、実際に中に入ることはできなかったが、少しずつではあるが活気を戻しつつある。

 船の発着場の側にある仮設の案内所で話を聞くことができた。


「ホエールランドも再建されるんですよ。このご時世で規模も小さくなりましたけど、ここでは、いまも調査捕鯨のクジラが水揚げされます。やっぱりクジラの町ですから、新しい施設ができて昔のように賑わうといいんですけどね」

 2018年も太平洋沿岸域のミンククジラの資源量などの調査を目的として、鮎川港にクジラが水揚げされている。2019年秋には「鮎川浜ビジターセンター」をオープンさせるという発表もあった。新聞等の報道によると、鮎川の嵩上げ工事後の土地に、常設の商店街、おしかホエールランドとともに設置される施設で、地域の自然や文化に親しむさまざまな活動の拠点となる。鉄骨平屋建てで、延べ床面積は約800平方メートル。展示や解説を行うスペース、研究者が活動できる部屋も整えるといい、全国的にも例のない踏み込んだ施設になる。前述の案内所で完成予想図を見せてもらったが、捕鯨船「第十六利丸」も展示されるようで、再び「鯨のまち」のシンボルとして日の目を浴びることになりそうだ。

 

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乗船券の発売所に隣接する石巻観光協会の牡鹿事務所も仮設のまま。観光案内とともに地元の物産なども販売している。

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港のシンボルとなっている波の上にクジラが乗るオブジェ。現在は金華山や網地島行きのフェリー乗り場として再開しているが、津波はクジラの像近くの高さまで達した。2011年の津波到達地点を示す写真が展示されている。

 

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スタイリッシュな「おしか番屋」(左)と本設復旧された牡鹿魚市場(右)。どちらも震災後に竣工した。

 

 港は金華山や網地島へ向かう船の発着場でもあるが、乗船券の発売所も仮設のままだ。東には東奥三大霊場に数えられる金華山、西にはネコの島としても名高い田代島、網地島がある。定期船の他、小型の乗合船が発着する。ひとまず、当初の目的地、金華山へ向かうことにした。海上タクシー(定員12名)の小さなモーターボートで鮎川の港をでると、太平洋の荒波の洗礼を受けた。大型のフェリーであればなんともないが、小型船にはこたえる。

 

「三年続けてお詣りすれば、お金に不自由することはない」と云われ牡鹿半島の先に浮かぶ孤島、金華山。出羽三山、恐山とともに東奥三大霊場に数えられ、荘厳な霊場として海に浮かぶ信仰の島。島全体が金華山黄金山神社の神域であり、祭神は鉱山の神である金山毘古神(かなやまびこのかみ)、金山毘売神(かなやまびめのかみ)および天地八百万の神(やおよろずのかみ)。元々は海神を祀る神社であったと言い伝えられている。金運・開運の神として弁財天が祀られて1300年。天敵の存在しない境内を野生の鹿が自由に闊歩する。最近、残念なニュースも報道されたが、牡鹿半島の歴史を語る上では外すことのできない場所だ。足を踏み入れると厳かな空気を感じる。

 

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金華山黄金山神社の境内。古くから「神鹿」として信仰の対象となり、人為的に手を加えずに特別に保護されてきたという

 

 丁寧にお詣りして、再び鮎川へと戻り、帰路についた。


 牡鹿半島は風光明媚な観光地であるとともに、古から受け継がれる豊かな食文化、歴史と伝統を有する土地だった。これから、様々なジャンルのゲストをこの地にお招きする。縄文文化、アウトドア、ジビエ、地酒…石巻、牡鹿の魅力をそれぞれの視点から紹介してもらう予定だ。

 

 

★次回はジャーナリストで考古学者の丸山ゴンザレスさんが登場。宮城県出身で、人気テレビ番組「クレイジージャーニー」(TBS系)では“危険地帯ジャーナリスト”として人気の丸山さんが、自身のルーツでもある宮城に凱旋。石巻から牡鹿半島にかけて発見されている縄文遺跡の謎に迫りながら、現在の石巻~牡鹿半島の様子をレポートしていただく予定です。お楽しみに!

 

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石巻市「日和山公園」にある売店にて。

 

 

1.宮城県観光プロモーション

 

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東京シティエアターミナル2階「毎日が旅行博」Tour Expo 内 [東京都中央区日本橋箱崎町42-1]

 

主催 サンファンヴィレッジ

協力 東京シティ・エアターミナル東京空港交通宮城県経済商工観光部観光課宮城県観光連盟みらいサポート石巻宮城県石巻市大崎市石巻観光連盟峩々温泉東鳴子温泉旅館大沼良葉東部JF宮城県石巻湾支所万石浦鮮かき工場カイタクビヨンド牡鹿の学校

 

 

牡蠣のまち 石巻へ!!

 

 石巻は牡蠣の産地として有名ですが、2018年4月下旬に同じ宮城県の南三陸町戸倉地区に続き、石巻地区、石巻市東部、石巻湾の3支所が国内2例目となるASC*国際認証を取得しました。ASC国際認証というのは、WWFが国際的な海洋保全活動の一環として、天然の水産物ではなく、養殖による水産物を、海の自然や資源を守って獲られた持続可能な水産物(シーフード)として認証する仕組みです。

*「ASC(Aquaculture Stewardship Council:水産養殖管理協議会)」

イシノマキマンTwitter 【https://twitter.com/ishinomakiman

*詳しくは石巻観光協会のホームページでご覧いただけます。

 

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