沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#02

二拠点生活の日記 May.29 – Jun.7 2020

Image-1

文と写真・藤井誠二 

 

2020

 

5月29日 [FRI]

 

Image-1-1

 

 一カ月半ぶりにぐらいに沖縄に来た。東京での巣籠もり生活はそれほど苦ではなかった。コロナ禍に関係なく、東京にいるときはほぼ毎日、家から仕事場まで裏道を自転車をこいでいく。帰りに常連の店でテイクアウトして家に帰る。その繰り返し。普段から都心にはめったにいかない。すし詰め電車にはぜったい乗らない。取材や打ち合わせでたまに行くときがあるが、とにかく人が集まっているところは、コロナ関係なく苦手で仕方がない。10年ぐらい前にパニック障害急性期だったころ━1年間ぐらい続いた━から、とくに人込みは意識的に避けるようになった。もともとぼくは「密」嫌いなのだ。

 バルコニーのガジュマルを見ると、まだ野鳥がじっと巣にうずくまっていた。この一カ月のうちにてっきり雛が飛び立っていたと思いきや、ちがった。親鳥がじっとぼくを見つめていた。たまに餌をあげる素振りをするので、おなかの下に雛がいるのかな。鳥を驚かせないように、大量の落ち葉などを掃き掃除をする。鳥の名前がわからない。

 国際通りに出てみると、人はまばらで、中国語などの外国語がほとんど聞こえなくなった。気味が悪いほど静かな国際通りだ。店もまだシャッターをおろしたままのところも多い。コロナ前の活気は戻ってくるのはキビしいかもしれない。

 夕方に栄町へ行って「おとん」で建築家の普久原朝充君と合流。石獅子を彫るアーティスト・若山大地さんから政治家、漁師まで、この日は全員が知り合い。待ち合わせではなく、たまたま居合わせた。

 

 

5月30日 [SAT]

 

Image-1

 

 松原耕二さんの『反骨 翁長家三代と沖縄のいま』のページをめくっていたら午後3時をすぎたので、牧志の高良レコードを目指して歩いた。途中でマスクをしていないことに気づいて、「沖縄の風」という店で「琉球帆布マスク」を買う。帆布だけあってごわごわ感がすごい。そして暑い。そしたら「フジイさ~ん」という声が聞こえて振り向いたら、檄ウマラーメングループを展開する野崎達彦さんがクルマの運転席で笑っていた。いまは宜野湾にも「ラブメン」という店をやっているが、前は栄町で「ムサシヤ」というラーメン屋を経営していた。天才的なラーメン職人。全身タトゥーがよく似合っている。いかついルックスだが、あんな人ばかりだったら世界は平和になるのになと思わせる人なのである。

 高良レコードに前で社長の高良雅弘さんと合流、むつみ橋交差点のスタバに行ってコーヒーを飲む。高良さんから沖縄ロック協会がつくった『オキナワンロック40年史』をお借りした。いま高良レコードは建て替わっていてテナントビルになっているが、上階はネットカフェが入っていて、ホテルがわりにしている人も多いそうだ。国際通りのど真ん中。最高の立地じゃないか。

 普久原君と栄町「アラコヤ」で待ち合わせ。ホルモンを串に打った串焼きがやはり絶品。そのあと「おとん」に顔を出したら、ジュンク堂那覇店の店長の森本浩平さんと、彼のドラムの師匠の弓座志簡さんが店外のスペース(「おとん」アネックスと呼んでいる)飲んでいて、四人で盛り上がった。弓座さんは栃木県出身。プロのドラマーで某有名バンドのバックをつとめていたこともある。いまは沖縄に移住していて、最近は、MELISA(県系4世)というペルー出身の女性ボーカリストのプロデュースを始めたばかりで「ESPERANZA」というCDをもらった。早速聴いてみたが、すごく声が心地よい。

 

 

5月31日 [SUN]

 

Image-1

 

 終日、本や資料を読む。ひめゆり平和祈念資料館に関する書物数冊に目を通す。とくに「証言員」として活動してきたひめゆり学徒の生き残った人たちの言葉をひろう。ひめゆり学徒だった伊波園子さんの『ひめゆりのおきなわ戦』、当時は引率教師で集団自決を思いとどまった、ひめゆり平和祈念資料館の初代館長仲宗根政善さんの『ひめゆりの塔をめぐる人々の手記』など。記念誌や月報などダンボール一箱。元知事の稲嶺恵一さんの『稲嶺恵一回顧録 我以外皆我が師』や『沖縄の自立と日本━「復帰」40年の問いかけ』(大田昌秀、新川明、新崎盛暉さんとの共著)、『沖縄を語る(1)次代への伝言』(十数人の政治家や知識人らへのインタビュー集)にも目を通す。それから、松林要樹さんのドキュメンタリー「語られなかった強制退去事件」(2019.12.19 OA NHK・BS1)を観なおした。

 じっとしていても腹が減る。島豆腐を野菜と炒めて食べたり、ハーブティーを入れて飲む。気分転換に少しずつ掃除やら断捨離をする。マンション内のゴミ集積場にそれらを捨てに行く以外、家の外にでなかった。

 

 

6月1日 [MON]

 

Image-1

 

 写真家のジャン松元さんと合流するためにロイヤルオリオンホテルに向かうが閉鎖中。早めにいってホテル内のカフェでアイス珈琲でも飲もうと思っていたが当てがはずれた。しょうがないので反対側にある図書館へ行って、入り口の外に並べられた椅子に座って汗を拭った。距離をあけて並べられた椅子にすわって読書していると、ここは那覇市の行政機関の出張所も併設しているので、職員らしき人から「給付金の申し込みですか」とたずねられた。

 今日は建築家の普久原朝充君もいっしょなので、図書館で合流した。資料館は建築家の玉那覇有紀さんの建築で、いわば普久原君ら建築家の大先達にあたる。その建築を見学するために彼もついてきた。三人でエアコンのきかないジャンさんのクルマに乗って、ひめゆり平和祈念資料館へ。途中、コメダ珈琲一号店でアイス珈琲。行く道すがら、県議候補の応援で手を振る玉城デニー知事とばったり。笑って手を振り合う。

 ぼくとジャンさんは普天間朝佳館長やその他の学芸員、そして高齢の元学徒のインタビューや撮影。普久原君はひとりで資料館内をくまなく見てまわっている。資料館はコロナ禍の影響で昨日まで閉館を余儀なくされていたのだが、7月から展示をリューアルするプランも止まってしまったことが報道もされた。だから、今日の来館者はまばらだった。そういえば、ぼくは資料館に来るのは何回目だろう。何度来ても第4展示室の、犠牲になった学徒や教員の写真がずらりと並べられた━写真がない人もいる━風景を見ると胸が押しつぶされそうになり、ひとりひとりの顔を見ていられない。苦しい。

 夕方になり、普天間館長と荒崎海岸に行った。凶器のようにするどく尖った岩肌のつたうように歩いていくと、ひめゆり学徒17名が教員と集団自決した場所に碑が立てられている。合掌。こんな場所を裸足で逃げまどった学徒を思う。足の裏が岩で切り裂かれ、えぐられ、足を真っ赤にして米軍の砲弾をかいくぐろうとした。━当時は布を足の裏にまいて走ったそうだが、ほとんど効果がなかった。浅瀬の岩礁が真っ赤に染まるという表現があるが、死体が海の色を変えた━そんな話を普天間館長がしてくれた。

 一般道からここまでは未舗装の道をクルマでのろのろと走る必要があるのだが、途中でぼくの目は削られた丘の無残な状態に釘付けになった。土砂や琉球石灰岩が削り取られ、いくつも小山のようになっている。ひめゆり学徒に限っても、遺骨が発見されない人や、どこでどう最期をむかえたかわからない人も多い。この土砂のなかに骨や遺品、血や汗がしみこんでいるのはとまちがいないはず。それを掘削し、大型トラックが辺野古へ運んでいくというのだ。死者を踏みにじる行為だ。[辺野古埋め立てに糸満からも土砂調達か 防衛局が沖縄本島南部を追加](「赤旗」2020年5月26日)という見出しの記事はこのことを指摘している。

 [米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て用土砂の調達場所について、沖縄防衛局が本島北部のほか、本島南部を追加したことが25日分かった。市町村名は明記していないが、糸満市の採石場とみられる。同局が県に提出した設計変更承認を求める申請書に記載されていた。県は25日、申請書について56項目の修正を求める文書を同局に送った。

 防衛局は変更承認の申請書で「北部地区」「南部地区」で土砂を採取すると記した。変更前は「本部地区」「国頭地区」だった。県は鉱山の場所を具体的に示すよう要求している。

 申請書に掲載された地図には調達場所として糸満市とみられる地点を明示している。防衛局は土砂の調達可能量を確かめる2014年度の調査で、本部町や名護市、国頭村に加え、糸満市の採取場所2カ所を追加していた。]

 安里までいってジャンさんと別れ、普久原君と「福岡アバンギャルド」でビールを飲む。そして「うりずん庵」に移動して刺身と焼酎を飲む。ぼくら以外客はいない。

 

 

6月2日  [TUE]

 

Image-1-1

 

 一人でレンタカーを運転して、また糸満まで走り、ひめゆり平和祈念資料館に行った。館長や他の学芸員のみなさんに昨日の続きのインタビュー。夕方にクルマを返して交差点に立っていると、うしろから仲村清司さんに声をかけられた。今日から沖縄に来られることは知っていたが、ばったり街中で会うとは。いつも拙宅に泊まってもらっているので、まずは拙宅で荷をほどいてもらい、泊の「串豚」へ。「おとん」の池田哲也さん、普久原君、ジュンク堂森本浩平店長(新入社員の若い男性もついてきた。彼の前職がおもしろいのだが、それはまたそのうち)が三々五々やってきて、久々に那覇に来た仲村さんを囲む。そのあと、開南の「こなもん屋」へ移動してタコ焼きをアテに飲む。

 

 

6月3日  [WED]

 

Image-1-1

 

 仲村さんは昼を過ぎても寝ている。仲村さんが目覚めるのを待って牧志の「金月」へ沖縄そばを食べに出かける。「ひばり屋」でコーヒーでもと思い寄ってみたがその日はしまっていた。ぼくは夕方にモノレールの終点「てだこ浦西」駅までいって、ドキュメンタリー監督の松林要樹さんにピックアップしてもらい、ちかくのスタバへ。彼のアジアやブラジルの放浪生活を経て沖縄に定住するに至る話を聞かせてもらう。彼には『花と兵隊』(ドキュメンタリー)や『馬喰』(単行本」というぼくも大好きな作品がある。『馬喰』はなぜか二冊も持っている。安里に戻ってから、仲村さんと「ゴールデンスワロー」で台湾料理をつつく。仲村さんはかるい熱中症だったようでずっと拙宅で横になっていたらしい。帰宅してから島豆腐と藻塩を合わせて、泡盛も飲んでいたので、どうやら彼の体調は戻ったようだ。

 

 

6月4日  [THU]

 

Image-4

 

 午前中に牧志の市場通りまで歩いていって、NPO法人「Kukulu」におじゃまして、金城隆史さんと今木ともこさんに御挨拶。ここは、いわば不登校の子どもたちの「居場所」なわけだが、子ども食堂や、慢性的な貧困状態の家庭ケアなど、今の沖縄になくてはならない重要なお仕事を担われている。沖縄の子どもの絶対貧困率は3割で全国一。米軍基地の問題もそうだが、シングルマザーや、その子どもたちの背負い込まされている問題も取り組む必要がある。これには構造的な格差や、それを取り巻く社会の意識の問題があり、沖縄に長く横たわる。帰りに「ティーダキッチン」というキッチンカーでチキンオンザライスという弁当を買って、拙宅に持って帰って喰った。そしていつのまにか寝てしまい、起きたら夕方だったので、家にあった島豆腐を喰い、中日新聞の月イチ書評用の『大英自然史博物館 珍鳥標本盗難事件』(カーク・ウォレス・ジョンソン)の付箋をつけたところをおさらいして何を書くかをノートに書きつけた。

 

 

6月5日  [FRI]

 

Image-5

 

 仲村さんは京都へ帰った。浦添市西州のりゅうせき本社へ。稲嶺恵一元知事と会う。80歳代だが矍鑠としておられる。沖縄と「ヤマト」の、「保守」と「革新」の差異等を拝聴する。家に戻ったあと、「すみれ茶屋」に一人で行く。常連さんたちはパチンコの話に興じている。といってもぼくはパチンコはほとんどやったことがないので、玉城丈二さんが腕をふるってくれた本まぐろ料理にひたすら舌鼓を打つ。いいぐあいに酔ったので旧三越地下のラーメン横町をのぞきにいった。「琉球とろ肉そば」という、麺は沖縄そば、ほとんどゼラチン化した、てびちの肉など、とろとろの豚肉の部位がのっかる。それにフーチバをのせてもらう。塩味のスープだがコラーゲンスープみたいでなかなか美味しい。

 

 

6月6日  [SAT]

 

Image-2

 

 ジャン松元さんと合流するためにロイヤルオリオンホテルへ。まだ閉鎖したまま。腹がすいたのでむかえの弁当屋でゴーヤーチャンプー弁当をホテルの軒先でかき込んでいたら、「そのまま動くなよ~」と写メをむけられた。汗だくの有田芳生さんがにやにや笑っていた。

 そのあとジャンさんと58号を北上、浦添市屋富祖へ。ふと左手の米軍基地Camp Kinserの前のバス亭を見ると、若い女性に米軍関係者らしき男がつかみかかっている。少なくともぼくとジャンさんにはそう見えた。その50メートルほど先でクルマを道路脇に付け、クルマの外に出て二人で現場に向かおうとしたら、どう見てもじゃれあっている。一安心。

 写真家の故・平敷兼七さんの娘さんの七海さんが経営する平敷兼七ギャラリーへ。「琉球新報」のぼくの月イチ連載の人物モノ記事のために七海さんを撮影。ギャラリーの隣は七海さんが経営する美容室があるのだが、兼七さんが使っていた木製の机や照明などがそのまま使われていてレトロ感がかっこいい。

 夕方は那覇の浮島通りにある古着屋「ANKH」(アンク)へ移動。ここで落語会などを主宰するイベンターの知花園子さんを撮影する。これも「琉球新報」のぼくの月イチ連載のため。オーナーの田阪佐登子さんの趣味が完璧に反映された空間。置いてある服もかっこいいが、思わず息をのむ店内の空気。80年代まで使われていたアメリカ製のマネキン。オーナーが沖縄市からもらい受けてきたんだそう。猫たちが店内に置かれた箱の中で寝ている。コロナ禍の間に愛猫が17歳で死んでしまったので━在宅していたので看取れたのはよかった━久々にもふもふを手のひらで吸収。この日のために知花さんは友人のメイクアップアーティストをつれてきて、メイクしてもらっていた。すごい気合だ。終わったあとは、栄町「おとん」で三人で飲む。三人とも模合というものをやってたことがないので、「園子組」という模合をやろうということなり、園子さんはさっそく明日、模合帳を買いに行くと張り切っていた。

 

 

 

6月7日  [SUN]

 

Image-1-1

 

 飛行機まで時間があるので中日新聞の書評原稿を書き上げて担当者に送る。搭乗する飛行機会社は減便していて一日一便だけ。今日は沖縄県議選(第13回)の投票日なのだが、13選挙区のうち4選挙区が無投票当選ということにがっかりする。名護市区や、うるま市区など12人が政策論争なしに当選。64人中12人、だ。それでいいのか。それから、依田啓示氏という、たとえば辺野古新基地に反対する人たちを誹謗するデマを垂れ流す等のネトウヨ県議候補者(那覇市南部離島区)に民謡歌手の喜納昌吉さんが応援していた。南城市市長の古謝景春氏も応援していた。これにもがっかり。からだの力が抜けた。ぼくが沖縄を好きになるきっかけの一つが喜納さんの唄なのに。

 

 

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

 

EC89C88C-E399-4D0B-BB34-2BA11A96A371

藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

紀行エッセイガイド好評発売中!!

okinawa00_book01

島猫と歩く那覇スージぐゎー

著・仲村清司

ISBN978-4-575-31270-6

肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ

著・仲村清司/藤井誠二/普久原朝充

okinawa00_book03

一生に一度は喰いたいホルモン

著・藤井誠二

okinawa00_book04

三ツ星人生ホルモン

著・藤井誠二

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記
バックナンバー

その他のJAPAN CULTURE

ページトップアンカー