ブルー・ジャーニー

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#01

水の国、バンクーバーアイランド〈1〉

文と写真・時見宗和 

Text & Photo by Munekazu TOKIMI

八〇〇年の沈黙

 

 海岸線から、船のうえから、目にするたびに、湯川秀樹の言葉――自然は曲線を創り人間は直線を創る――を思い出さずにはいられなかったバンクーバー島。

 ウィスラー・マウンテンでの取材のあと、思いがけず四日間という時間を手にしたぼくは、水の国へとインサイド・パッセージ(湾岸水路)を渡るフェリーに乗りこんだ。

 

 

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「予約は?」

「とっていません」

 カナダ・バンクーバーの北、ホースシューベイのフェリー乗り場。料金所の女性は首をすくめて両手を広げた。

「金曜日だからけっこう混んでいるわ。うまく行けばつぎの午後三時の便、五時の便になってしまう可能性もあるけれど」

「かまいません。泊まる場所も決まっていないので」

 普通乗用車と大人ひとりの料金を払い、ナナイモ・デパーチャーベイ行きのレーンの最後尾に車をつける。

 目の前に広がるインサイド・パッセージ(湾岸水路)はバンクーバー島の南端からアラスカのグレイシャー湾までつづく約一五〇〇キロの海域。かつて東南アラスカを覆っていた巨大な氷河がガリガリと地表を削りながら後退したあとに残された迷宮のような水路だ。入り海、本湾、小湾、海峡、瀬戸、運河、大海峡、水道、澪、入り江、浦湾、湾口、そして無数の島々。ブリティッシュ・コロンビア州の約八〇〇〇キロの海岸線のほとんどが、このインサイド・パッセージに集中している。

 インサイド・パッセージから絶えず立ちのぼる水蒸気のために、バンクーバー島はいつも濡れている。

 降り注いだ雨は島のあらゆるところを流れ、透明な雪解け水や氷河から溶け出すミルク色の水と出会い、交わり、インサイド・パッセージに還っていく。

 

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 三時出航のフェリーに滑りこみ、北米大陸を離れる。四月のさいしょの金曜日。風は強いが寒くはない。

 舳先の向こうは霞がたちこめている。右舷に場所を移すと、海の向こうにトウヒの森の広がりが見える。緑が海のように深い。

 木の寿命は地球上の生物のなかでもっとも長い。トウヒは風の強い場所で二〇〇年、風がさえぎられる場所では一〇〇〇年生近く生きる。

 寿命が尽きても物語はつづく。ゆっくりと長い時間をかけて折れ、くずれ、苔に覆われ、大地に還り、新しい芽の養分となる。

 一四九二年(明応一年)、ヨーロッパ人として初めて“新”大陸に到達したクリストファー・コロンブスは言った。

「緑があまりに豊かだから、見ていると喜びが湧いてくる」。 

 コロンブスの感嘆符は、ほどなくしてフロンティア・スピリット(開拓者精神)という、ヨーロッパ人中心の考え方に置きかえられた。

 成功を収めるために切り開き、手にした成功を維持するためにさらに切り開いた。先住民を追い払い、五〇億匹いたリョコウバトを全滅させ、七〇〇〇万頭いたバイソンを数百匹に減らし、レインフォーレスト(温帯雨林)をつぎつぎと裸にした。伐採された木々は建材に使われ、紙になり、日本が輸入する二五億膳の割り箸の一部となった。

 かつての約半分になった地球上のレインフォーレストの原生林。ブリティッシュ・コロンビア州にはそのうちの二五パーセントが残されている。

「歴史の重みにあえぐ国もあれば、土地の広さに悩む国もある」

 五〇カナダドル紙幣に、シロフクロウと背中合わせに描かれたウィリアム・ライアン・マッケンジー・キング(一二代、一四代、一六代首相/一八七四~一九五〇)は治めなければならない国土のとてつもない広さをなげいた。

 国土面積九九八平方キロはロシアに次ぐ広さで、日本の約二六倍。南の端はイタリア・トスカーナあたりと同緯度だが、永久凍土が広がる北の端は北極点までわずか八〇〇キロ。一方、東西の横断は五〇〇〇キロあまり、六つの時間帯を超える旅になる。

 一〇の州と三つの準州で構成されるカナダのもっとも西に位置するのがブリティッシュ・コロンビア州。その西海岸の南、バンクーバーからフェリーで二時間足らずのところに、大陸からちぎれたようにバンクーバー島は浮かんでいる。南北は日本列島の約四分の一の四八〇キロ、幅は約一五〇キロ。総面積は日本の関東地方とほぼおなじ三万一千平方キロメートル。

 

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 大聖堂の森(Cathedral Grove)に足を踏み入れると、景色は本のページをめくるよりもあざやかに変わった。   

 木の幹一本一本、枝の一本一本、葉の一枚一枚、カーテンのように揺れる藻の一筋一筋、足元の苔、シダ、キノコ。倒れて土に還ろうとしている木、それぞれがそれぞれに曲線を描き、柔らかく乱反射している。

 腐った木の枝や葉、柔らかな苔や繊細なシダ類が積み重なった林床はトレッキングシューズを脱ぎ捨ててしまいたくなるほどふわふわと柔らかい。林床の厚みは一メートル以上もあり、どこから地面が始まるのか正確なところはわからないのだという。

 切株に行き当たる。ずいぶん前に強風か落雷によって倒されたのだろう。樹皮が見えないほど苔に覆われている

 幹は失われたが、切株は死んではいない。地中でとなりの木の根と結びつき、風に乗って頭上に運ばれてきた種に栄養を注いでいる。

 

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 ナナイモから西へ三五キロほどのところに位置するマクミラン州立公園。その一画に広がる温帯雨林(レインフォーレスト)、大聖堂の森。

 海から立ちのぼった水蒸気が海岸線から近い急傾斜にぶつかり、もたらされる大量の雪、雨、霧によってレインフォーレストは育まれる。そのバイオマス(単位面積あたりの生物体総量)は自然界でもっとも大きく、水に溶けた栄養は、川や海に流れ出て、サケやクジラを育てる。

 その壮大な循環に深々と根を下ろし、聖堂の天蓋を支える柱のようにそびえ立つダグラス・ファー(米松)。平均約六〇メートル、樹齢は八〇〇年に達する。

 クジラの時間はゆったり流れ、サケの時間は早く過ぎる。ネズミにとって象は山に等しく、象にとってネズミは一瞬に等しい。ダグラス・ファーはダグラス・ファーの時の流れに根を張り、人間を見下ろす。

 もっとも太く、高いダグラス・ファーに近づく。葉を茂らせた枝が打ち上げ花火のように広がり、空を覆い隠している。どこから見上げても頂を確認することができない。

 幹に耳を押し当てる。樹皮はひび割れ、ゴツゴツしているが、コンクリートのように無愛想ではない。

 森の奥行きを知らせるように鳴きつづけていた鳥がふいに飛びたち、あたりはしんと静まりかえる。

 なにも聞こえないけれど、なにもないとは言い切れない八〇〇年の沈黙。

 

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(バンクーバーアイランド編、次回へ続く)

 

 

*本連載は月2回配信(第2週&第4週火曜日)予定です。次回もお楽しみに。

 

 

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時見宗和(ときみ むねかず)

作家。1955年、神奈川県生まれ。スキー専門誌『月刊スキージャーナル』の編集長を経て独立。主なテーマは人、スポーツ、日常の横木をほんの少し超える旅。著書に『渡部三郎——見はてぬ夢』『神のシュプール』『ただ、自分のために——荻原健司孤高の軌跡』『オールアウト 1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組』『魂の在処(共著・中山雅史)』『日本ラグビー凱歌の先へ(編著・日本ラグビー狂会)』他。執筆活動のかたわら、高校ラグビーの指導に携わる。

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編著・日本ラグビー狂会

     

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