アジアは今日も薄曇り

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#01

台湾〈1〉清泉温泉

文・下川裕治 写真・廣橋賢蔵 

台湾の全温泉に浸かるという目標

 類は友を呼ぶ──。この諺がもつニュアンスは、いい意味なのだろうか、いや悪友がつるむような悪い要素が強いのだろうか。

 65年の人生をうつら、うつらと思い返してみると、どうしてもいいニュアンスが浮かんでこない。あいつと出会ったばかりに……という後悔ばかりが、過去という籠には詰まっている。

 東南アジアの全鉄道を制覇する……という旗を揚げたばかりに、どれだけ苦労しているのか、と思う。そしてその旗は、いまだ降ろすことができない。制覇していないからだ。ライフワークという代物でもないというのに。

 以前、週刊誌のコラム記事を書いていたとき、とっている新聞の隅から隅まで、すべてを読まないと気がすまない、という老人に会った。そのとき彼は70歳代の半ばだった。年をとるにつれ、老眼が進み、読むスピードが落ちてくる。僕が話を聞きにいったとき、彼は2年前の新聞を読んでいた。読むスピードが新聞の発行サイクルに追いつかなくなっていた。これからの年月、その溝はさらにあいていくだろう。しかし彼は新聞をひたすら読み続けていくのだ。

「台湾の全温泉に浸かるという目標がありましてね。下川さんも全鉄道を走破しようとしているからつい……」

 類は台湾からやってきた。昔からの知り合いの廣橋賢蔵さんだった。彼とは以前から、ガイドブックをつくり続けてきた仲である。彼がそれほどの温泉マニアだとはしらなかった。彼はすでに30年近く台湾に暮らしている。奥さんも台湾人だ。その間に、仕事にかこつけたり、仕事の合間を縫って、こつこつと温泉に入り続けてきたのだという。

 彼の話にはつい身を乗り出してしまった。台湾の温泉というと、新北投とか、宜蘭といった温泉観光地を思い浮かべるが、その先に、味わい深い世界が控えていた。

 しかしこの話に乗ってはいけない……と自戒する。彼は台湾の全温泉に浸ろうとしていた。踏破をもじって湯破などと息を荒げている。しかし僕にも学習能力はある。制覇という道のりを詰めていくと、必ず迷路が待ち構えている。東南アジアの鉄道では、その隘路に入り込み、いまだその泥沼に足をとられている。片足を鉄道の迷路に突っ込み、もう一本の足を台湾の温泉というラビリンスに足をとられたら、一歩も動くことができなくなってしまう。

 しかし、「その先の台湾温泉」ともいうべき秘湯の世界にそそられた。

「あくまでも廣橋さんの手伝いでね。全温泉に入るなんていうことは、頭の片隅にも置きませんから。それは廣橋さんの世界……」

 廣橋さんの車は、台湾桃園空港の第一ターミナルの車寄せに停まっていた。赤いドイツ車だった。かなり乗り込んでいることがわかる。なんでも台湾の秘湯は路線バスも1日に1本といったどん詰まりにあることが多いのだという。

「どん詰まり」

「そう、そこから先は台湾の中央山脈で道がないんです。そういうところにあることが多いんだな。今日、行く温泉は張学良が幽閉されていた温泉。幽閉にはもってこいのシチュエーションなんですよ」

 車は高速道路を南下し、竹東から上坪渓という川に沿った道をのぼっていく。客家の村をすぎ、サイシャットという先住民族の村で少し休んだ。これからの温泉旅は、先住民族がキーワードになる。彼らが暮らすエリアに秘湯は多く、彼らが管理する世界に入っていくことになるのだ。

 30分ほどのぼっただろうか。しだいに山が近づいてきた。上坪渓沿いに駐車場があった。ここから先100メートルほどは行くことができるが、もう道はないという。吊り橋を渡ったところに、清泉温泉会館があった。しかし閉鎖されていた。改修工事に入っていた。この施設以外に温泉はない。

「温泉に辿り着いても、温泉に入ることができないこともよくあるんですよ。秘湯の世界では」

 廣橋さんはそういって先に進んでいく。そこには将軍湯という足湯があった。脇では先住民族が酒盛りをしていた。酒をあまり飲まない台湾人とは違う。昼から酒盛り……先住民族の世界だった。呼ばれてつまみを見てみると、大型のネズミのような山の動物だった。

 これが台湾? そんな世界に入り込んでいた。張学良も中国の歴史のなかでは異彩を放つ存在だった。蒋介石を拘束し、国共合作を実現させるが、1936年にとらえられ、中国で幽閉。中国で敗れた国民党の蒋介石が台湾渡るときに台湾にきて、そのまま、この清泉温泉に幽閉される。釈放されるのは1991年。55年も幽閉生活を送るのだ。台湾に白色テロの嵐が吹き荒れ、李登輝が総統になったときも、ずっとこのどん詰まりの温泉に閉じ込められていたのだ。

 台湾の秘湯は、この島の裏面史に寄り添っているような気がした。

 

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将軍湯という足湯。高温。暑くて10秒が限界でした。僕は

 

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張学良が住んでいた家は、まったくの日本風家屋だった

 

清泉温泉の足湯から張学良が住んでいた家一帯は公園のようになっていた


 

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*本連載は月2回(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

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著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『東南アジア全鉄道制覇の旅 タイ・ミャンマー迷走編』『東南アジア全鉄道制覇の旅 インドネシア・マレーシア・ベトナム・カンボジア編』『週末ちょっとディープなタイ旅』『週末ちょっとディープなベトナム旅』『鉄路2万7千キロ 世界の「超」長距離列車を乗りつぶす』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。WEB連載は、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週日曜日に書いてるブログ)、「クリックディープ旅」、「どこへと訊かれて」(人々が通りすぎる世界の空港や駅物)「タビノート」(LCCを軸にした世界の飛行機搭乗記)。

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