東南アジア全鉄道走破の旅

東南アジア全鉄道走破の旅

#01

アジアの鈍行列車に揺られてきた

文・下川裕治

マレーシアの駅で2時間待たされて…

 どうしてこういうことになってしまったのか。まずそのあたりから、話をはじめなくてはならない。

 アジアの列車である。
 各駅停車の列車である。

 あれはマレーシアのバターワースの駅だったろうか。駅の待合室にある円形の椅子に座り、うつらうつらしていた。ここからバンコク行きの列車に乗ることになっていたのだが、その列車が二時間遅れていた。ただ待つしかなかった。
 マレーシアの鉄道駅は、その運行本数に似合わない立派な建物だ。1日に2本か3本の列車しかなく、利用客もそう多くないというのに、建物だけが立派なのだ。
 これはプミプトラ政策というマレー人優遇策の結果だといわれていた。マレーシアはマレー人、華人、インド系住民が暮らす多民族国家だ。植民地時代の影響もあり、独立後は、マレー人を優遇する政策がとられている。マレーシアの運輸の世界は、鉄道がマレー系、バスが華人系、LCCであるエアアジアがインド系とわかれている。便利さや安さからいえば華人系が経営するバスになる。マレー人たちが運営する鉄道は、本数が少なく、運賃は高く、しばしば遅れるという頼りない存在なのだが、マレー系だから優遇される。予算も多いのだろう。結局、あまり意味のない駅舎がつくられてしまうのである。
 暇だった。職員はマレー人だから、あまり働かない。発券窓口には誰もいなく、列車がいつ入線するのかの案内もない。マレーシアに限らず、東南アジアの鉄道は「だめだめ」である。多くが国有だからだろう。古いアジアの流儀が生きている世界でもあるのだが。
 壁にマレーシアの地図が貼ってあった。そこに鉄道路線も書き込まれている。

「これでマレー半島の鉄道を全部乗ったことになりますね」中田浩資カメラマンが口を開いた。
「2路線しかないけどね」

 マレー半島には西海岸を走る幹線と、東海岸から山のなかを走り、グマスで西海岸の幹線に合流する線があった。以前、中田カメラマンと山のなかを走る列車に乗った。今回、僕らはシンガポールから列車に乗ったから、マレーシアの鉄道を全部乗ったことになる。

もう一歩で東南アジアの全鉄道に乗ったことになる

 マレー鉄道の南の始発駅は、シンガポールのウッドランズである。しかしここが始発駅になったのは2011年のことだ。それまではシンガポール市街地の俗にシンガポール駅と呼ばれる駅まで線路は伸びていた。この駅が廃駅になる前、何回か乗った。シンガポール内の鉄道はこの路線しかない。あとは地下鉄である。

「つまりシンガポールの鉄道も乗ったということになる」

 アジアの列車の記憶が蘇ってくる。タイ、ベトナム、ラオス、ミャンマー……。これらの国を走る路線の8割近くに乗っていた。それもほとんどが各駅停車だった。

「それじゃ、もう一歩で、東南アジアの全鉄道を乗ったってことになるじゃないですか」

se-asia01_ct02_img01

 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 列車に乗ることは好きだ。しかしすべて走破しようとするオタクのような資質は僕にはない。それなのに、東南アジアの鉄道の8割近くに乗っていたのだ。
 思い返してみれば、タイの鉄道がいけないのかもしれない。総選挙を前に、旧タクシン派の政権が、路線バスの一部と各駅停車の列車の運賃を無料にしたのは、いつごろのことだったろうか。

 そもそも、タイの列車運賃は、目を疑うほど安かった。しばらく前、バンコクのフアラムポーン駅から空港のあるドンムアンまで列車に乗ったことがあった。窓口の職員は切符を渡しながら、値段を伝えてくれた。

「5バーツです」
「はッ?」

 20円である。市内を走るBTSという高架電車は最低15バーツである。クイッティオというそばは安い店で30バーツ。これがタイの物価なのだが、一時間近く列車に乗って5バーツは安すぎた。これを無料にしても、それほどの損失にはならないと政府は読んだのだろう。それよりも票集めだった。

 もっとも各駅停車が無料になるのは、選挙権のあるタイ人だけだった。外国人の僕は正規の運賃を払わなくてはいけない。しかしそこはタイという国である。タイ人に切符を買ってもらうと、外国人も無料の恩恵を受けてしまった。

 安さ……。

 タイ以外の国でも、列車はだいたい安かった。ミャンマーには外国人料金があったが、それも2014年にはなくなった。以来、ミャンマーでは列車に乗ることが多くなった。

 全路線に乗ることに興味はないが、安さには弱い旅行者だった。
 その結果が、東南アジアの列車の8割に乗ってしまったという切ない顛末である。

「だったらもうひと踏ん張りじゃないですか」

 無慈悲な編集者の励ましで、この連載ははじまってしまう。

se-asia01_ct02_img02

*本連載は月2回配信(第2週&第4週木曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

se-asia00_writer

著者:下川裕治(しもかわ ゆうじ)

1954年、長野県松本市生まれ。ノンフィクション、旅行作家。慶応大学卒業後、新聞社勤務を経て『12万円で世界を歩く』でデビュー。著書に『鈍行列車のアジア旅』『不思議列車がアジアを走る』『一両列車のゆるり旅』『タイ語の本音』『世界最悪の鉄道旅行 ユーラシア横断2万キロ』『「裏国境」突破 東南アジア一周大作戦』『週末バンコクでちょっと脱力』『週末台湾でちょっと一息』『週末香港・マカオでちょっとエキゾチック』など、アジアと旅に関する紀行ノンフィクション多数。『南の島の甲子園 八重山商工の夏』で2006年度ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。

紀行エッセイガイド好評発売中!!

se-asia00_book01

鈍行列車のアジア旅

se-asia00_book02

不思議列車がアジアを走る

se-asia00_book03

一両列車のゆるり旅

 

東南アジア全鉄道走破の旅
バックナンバー

その他のTRAVEL

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る