沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

沖縄にも暮らす 二拠点生活の日記

#01

二拠点生活の日記 Feb.26 – Apr.4 2020

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文と写真・藤井誠二 

 

2020

 

2月26日

 

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 東京で税理士に会って確定申告の書類をつくったあと、羽田空港から那覇空港へ。コロナ禍の影響だろう、空港に人は少なく感じる。拙宅に荷物を置いて、風を入れると、晩飯を食いに一人で「すみれ茶屋」へ。マスターの玉城丈二さんや常連さんたちと、いちばん美味いゴーヤーの食い方から、ユタの「あるある話」まで盛り上がる。ユタの言うことを信じている人は沖縄に少なくないし、とくに移住してきた人にはもう洗脳というしかないほどハマっている人もいる。日常のすべてをユタに聞きにいく人もいる。ある建築関係者から聞いたが、設計から建築の準備万端整って、さあいよいよ地鎮祭というときにユタがやってきて「ここは場所が悪いからやめなさい」の一言で施主は縮み上がってしまい、すべて白紙に戻したという出来事があったという。スーパーに寄って大好きな島豆腐やら野菜やら食材を買い込んで帰宅。

 

 

2月27日

 

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 カメラマンの深谷慎平君が牧志のアーケード商店街の一角のビル内にある「Kukulu(ククル)」という不登校の子どもの居場所を運営するNPOに連れて行ってくれて、活動をずっと担ってきた石橋佳子さんを紹介してくれた。子ども食堂を開いているときは、大人も食べることができる。(もちろん大人は有料)スタッフの安次富亮伍さん、又吉樹里さんともお目にかかった。深谷君もこの活動をたまに手伝っているのだが、今回の食事メニューには、深谷君が米軍基地のビーチから収穫してきた(もちろん許可あり)もずくを石橋さんがかき揚げにした料理が入っていて、すこぶる美味かった。ゲームなどに興じていた子どもたちも、知らない大人(ぼくのこと)がいるからか、テーブルについてもおとなしく食べている。石橋さんのバイタリティに敬服しつつ、食事をいただいたあと、深谷君のクルマに乗せてもらって宜野湾市まで送ってもらう。アーティストの町田隼人さんの取材。インタビューが終わったころに撮影のためにジャン松元さんがクルマでやってきて、自宅内のアトリエで撮影した。そのあと、ぼくは栄町へ戻り、深谷君と再び合流して「チェ鶏」で焼き鳥。「チルアウト」へ流れるとオーナーのファン・テホさんが店を譲り、県内移住して今帰仁の古民家に住み、琉球料理を追求するという衝撃の決意を聞いて驚いた。そのあと「たこや」でジュンク堂森本浩平店長と、Eスポーツの運営をしている会社の岡野寛さんと合流。千ベロコース。大半は20代の岡野さんが持ち帰る。さらに「デニーズ」という千ベロステーキへと流れた(とうぜん千ベロ)。さいきん、千ベロめぐりばかりやっている。那覇の飲食店街はちょっとした千ベロブームで、しかも昼間の早い時間から開けている。

 

 

2月28日 

 

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 十冊ぐらい置いてあるG・ガルシア=マルケスの本から短編だけをたまに読みながら、バルコニーを掃除したり、植物の剪定したり、寝ころんだり。外出せず。そういえば、沖縄へ初めて来た25年ぐらい前、松尾にあった民宿に泊まっていて、近くのやちむん屋(陶器屋)に滞在中はまいにち通っていた。沖縄の焼き物の力強さは、柳宗悦をはじめ、濱田庄司、河井寛次郎なども惚れ込んでしまったことはやちむん好きなら有名な話である。いまもその頃に買った湯飲みはいくつも使っている。その店の女性オーナーがぼくよりひとまわり以上歳うえで、顔を出すたびに沖縄の文化についていろいろ教えてくれた。ある夜は近くの居酒屋に連れていってくれて、蓬を入れたジューシーの粥(フーチバジューシーとメニューには表記してあった)をごちそうしてくれたり、ある夜はどこだか忘れたが海までクルマに乗せていってくれて夜景を見せてくれた。イチリャバチョーデーという言葉を教えてもくれた。一度会えば兄弟みたいなもんだ、という沖縄の諺だがそれを地でいくような天然な女性だった。無垢の信頼というか、ここまで一旅人を受け入れる彼女のパーソナリティに正直、驚かされた。身体の接触は一度もなかった。なぜか、ぼくはセクシャルな気持ちにはならなかった。その店はすでになくなっていて違う建物になっているが、あの女性は元気なのかなあ。ぼくが沖縄にハマっていくルーツをたどっていくと、きっと彼女の存在がある。

 

 

2月29日

 

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 バスでコザへ。約束の時間より早めについたのでゲート通りをぶらぶら歩く。嘉手納基地に向かって左側の町は再開発でなくなってしまうという。「一本堂」という沖縄空手の「聖地」的ショップで一本堂オリジナルワッペンを買う。ソーセージショップの「TECIO」にも寄り、オーナー職人の嶺井大地さんとコザ(とりわけ一番街あたり)の街おこしの話をあれこれ聞いた。そのあと「よねかさ」で不動産関係の仕事をしている新崎康裕さんと飲む。この店はアーケードのある歩道にテーブルを出して料理や酒を出す。いちおうテントみたいなものも頭上にはる。しばらくしたら県議会議員の玉城満さん(地元選出)も寄ってくれて、かるく飲む。最終の那覇行きのバスに乗って、栄町「おとん」へ。常連の島村学さんが、近くの居酒屋にいたカメラマンの仲程長治さんを呼んできてくれて久々に会う。

 

 

3月1日

 

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 『ヤンキーと地元』が話題になった(のちに今年の沖縄書店大賞を受賞)打越正行さんが東京の私大に就職が決まったので送別会を栄町の「福岡アバンギャルド」で、ジュンク堂の森本浩平店長、「おとん」の池田哲也さん、深谷慎平君、普久原朝充君と集まり、打越さんがじつは一度も行ったことがないと言うので「アラコヤ」でテッポウ(豚の直腸)の串焼きをつまみにワインを飲む。で、「トミヤランドリー」へ流れる。

 

 

3月2日

 

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 ジュンク堂で『沖縄スパイ戦史』(三上智恵)と『沖縄「戦争マラリア━強制疎開死3600人の真相に迫る』(大矢英代)を買う。ものすごい力作だ。アタマが下がる。

 深谷慎平君のクルマに乗せてもらって、糸満へ向かってもらった。「ひめゆり平和祈念資料館」の普天間朝佳館長に「アエラ」の「現代の肖像」の取材を直にお願いしようと思ったから。編集部からお願いをしてもらっているが、顔を見てお願いしようとアポなしでいきなり訪問した。お話を丁寧に聞いてくださり、前向きに検討してもらえることになった。人はやはり会ってコミュケーションしたほうがいいな。とくに取材申し込みは顔を見て話したほうがいい。帰りに糸満の「道の駅」へ寄って沖縄そばを食べて、拙宅まで送ってもらった。

 

 

3月3日

 

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 モノレール牧志駅から那覇空港へ。羽田空港から荻窪の新刊書店Titelでひらかれるはずだった尹雄大さんのトークライブに直行するはずだったが、コロナ禍の影響で中止に。ぼくも今月末に開かれるはずだった上原健太郎さんと下地フローレンス吉孝さん(両方とも社会学者)とおこなうはずだったトークライブが取りやめになった。でも、雄大さんは東京に来ているので晩飯に誘ってみたら自宅近くまで来てくれたので、何人かで行きつけの和食居酒屋で食べる。彼の新刊『モヤモヤの正体』刊行のお祝い。

 

 

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3月26日

 

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 夕方、那覇に着いた。腹が減っていたので泊の「串豚」へ直行。常連の知り合いらと雑談。コンビニで食料などを買い込んで拙宅へ。

 

 

3月27日

 

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 写真家のジャン松元さんと合流して糸満の「ひめゆり平和祈念資料館」へ。途中で打ち合わせがてら「そば処たから家」で沖縄そばを食べる。ジャンさんと肉汁を食べた。前回に直に申し込んだ普天間館長が取材を受けてくれる(「アエラ」)ことになったのだ。ジャンさんはいつも「琉球新報」のぼくの月イチ連載の相棒なのだが、彼はフリーなので(つまり新報とは契約関係)、今回は普天間館長を撮ってもらうことになった。終わったあと、ジャンさんの自家用車を彼の家まで戻してから、連れ立って栄町市場へ。栄町市場は「ひめゆり学徒隊」が出された「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」があったところなのだ。安里の交差点から与儀方面の幹線道路は「ひめゆり通り」と命名されている。同窓会館はいまでも場内にあり、使われている。飲み屋の看板などに混じって同窓会館の所在が明記されているが、歴史を知らなければ見落としてしまうかもしれない。

 ジャンさんと「おとん」へ顔を出す。店には拙著『沖縄アンダーグラウンド』(サインを入れさせてもらってます)を常に数冊置いてもらっているのだが、常連さんが買ってくれた。芋焼酎を舐めていたら、近くの店に立憲民主党参議院議員の有田芳生さん(彼がフリージャーナリスト時代から知り合いで、いまは同党沖縄県連の幹事長もやっている)がいると店で聞いたので、あいさつでもしようとその店をさがして入ったのだが、良く似た人が飲んでいた。恥をかいたなと場内を歩いていると、故・翁長雄志知事の息子さんの翁長雄治さん(那覇市市議会議員)と邂逅したので初対面のあいさつをした。疲れていたのでぼくはそれで帰ったが、ツイッターによるとあのあとジャンさんは「まるまん」で山羊汁を食べて帰ったらしい。あそこの山羊汁は絶品だ。

 

 

3月28日

 

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 バスで宜野湾の「BOOKS じのん」へ。社長の池原暁子さんがレジにいたのであいさつ。店長の天久斉さんは不在。(あとで電話かかってきた)『アメラジアン もうひとつの沖縄』(上里和美・1998)と『沖縄・聞き書きの旅』(下嶋哲朗・1983)を購入。上里さんは作家のオーガニックゆうきさんのお母さまだと池原さんからお聞きして、ちょっとびっくり。お二人とは去年の沖縄書店大賞の授賞式でお目にかかった。拙著の『沖縄アンダーグラウンド』は沖縄本部門で大賞、オーガニックさんの小説の『入れ子の水は月に轢かれ』は小説部門で準大賞だった。

 そのあとは歩いて真栄原新町(元真栄原新町と書いたほうがいいのかな)内にあるギャラリー「PIN-UP」へ歩いて行って、町田隼人さんの個展におじゃました。ご本人が在廊中で、あらかじめ買うことを約束しておいた彼の作品を見て、代金を支払った。前にも同じシリーズの作品を買ったので町田さんの描く「女性」二点が拙宅にくることになった。

 バスで那覇市内に移動して栄町で普久原君と深谷慎平君と合流して栄町市場内の「おとん」、千ベロ寿司屋で人気急上昇中の「寿司亭 暖治」へ。握り五貫と飲み物二杯で千円。握りを追加しても二千円でお釣りがくる。お土産の折り詰めを「おとん」に届けた足で、安里交差点にある台湾料理屋に「アグーバオ」へ流れて、日本語が流暢すぎる台湾出身の店員さんと台湾の花ブロックの話から入れ墨の話まで広がり、店員さんの背中の見事なタトゥーを見せてもらう。なんか勢いがついてしまって、三人で元三越の一階と地下にさまざまな飲食店が入る「市場」を視察。シマ草履をつっかけていたせいか、雨で床が滑り思わずしりもち。最後は「一幸舎」でラーメンを少しすすって帰宅。なんか久々に飲み食いしてしまった。

 この日は渡嘉敷島の集団自決があった日だ。これに軍命があったかどうかをめぐって、『沖縄ノート』を書いた大江健三郎さんや岩波書店らが、軍人の遺族から名誉毀損で訴えられた。

 渡嘉敷島へはかつて何度も旅したことがある。たいがいは同じ民宿に泊まってシュノーケリング三昧の日々だったが、故・灰谷健次郎さんが別邸を持っていたので泊めてもらったこともある。山の斜面に建つ灰谷邸へ行く途中で、集落の共同売店で、彼は豚のソーキ肉やらゴーヤーを買い込んで、慣れた手つきで料理をつくってくれた。泡盛を飲んですいすいと泳ぐ灰谷さんの真似をしたら足をつって溺れてしまい、必死でブイにしがみついて、浜に上がっていた灰谷さんに助けを求めたことがある。灰谷さんは「おまえなんか、死んでしまえ~」とあきれ顔で笑いながら観光客の浮輪を借りて救出にきてくれたが、彼のおかげで一命を取り留めた。彼が亡くなったあと、某週刊誌にそのエピソードが取り上げられた。

 

 

3月29日

 

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 二日酔い。音楽もかけないで、テレビで地上はをつけっぱなしにして寝てばかりいる。たまにのそのそと起き出して、沖縄の政治史に関する本を何冊が読むがほとんどアタマに入ってこない。すぐに横になってしまう。夜になってやっと原稿のゲラに目を通す。

 バルコニーのガジュマルの枝葉に野鳥が巣をつくって、卵をあたためていることに気がついた。前にも一度、別の鉢の植物に野鳥(名前はわからない)が巣をつくり、雛が巣立っていった。今度はわがバルコニーの中でいちばん大きいガジュマルの鉢だ。この部屋をこしらえてすぐにもらったときは数十センチだったが、植え替えて鉢を巨大化させてやったら三メートル近いデカさに成長した。このガジュマルをくれたのは当時の管理人さんだった。長崎出身で大阪で暮らしてきた彼はいま、難病指定されている病とガンと闘っている。ぼくが部屋をつくったときに、近所の安居酒屋によく飲みに連れて行ってくれたり、クルマであちこちに連れ出してくれて、沖縄での暮らしのイロハを教えてくれた。カラオケがある店にいくと機嫌良さ気に沖縄民謡を歌っていた。その巨大化したガジュマルを見つめていると、マイクを上方に傾けて歌う彼の癖や、艶のある歌声が蘇る。動かないでいる鳥をたまに見に行くと、じっと見つめ返される。視線をそらさない。無事に雛が生まれて巣立ってほしい。

 

 

3月30日

 

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 朝から仕事をしてバスに乗って浦添市の屋富祖にある平敷兼七ギャラリーへ。娘さんの七海さんにインタビューさせてもらう。平敷さんのネガをスキャンしてプリントしたものを販売をはじめていて、思わず何点か購入。それから平敷さんの作品を胸のプリントしたTシャツも販売していて、それも衝動的に買う。プリントされているのは昔の安里三叉路の様子だ。平敷さんはかつてカメラマンをやりながらジーンズショップをやっていて、そのショップのロゴをそのままTシャツのタグに転用したんだそうだ。粋だなあ。平敷兼七ファンとしてはたまらない。帰りに壺屋の「陶・よかりよ」に寄り、前に取り置きしておいたキム・ホノさんの猫の置物と、増田良平さんのちいさな壺を購入。その足で一人で泊の「串豚」に行って晩飯を食べた。

 

 

3月31日

 

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 夕方に琉球新報社へ。二年目に入った「藤井誠二の沖縄ひと物語」の打ち合わせ。そのあとは新都心のスターバックスへ。地元放送局でデジタルコンテンツを制作する宮平のぼるさんと会う。宮平さんと別れたあとは栄町の「潤旬庵(うりずんあん)」で普久原朝充君と待ち合わせ。彼が監修した『沖縄島建築』がいま絶好調(のちに沖縄書店大賞準大賞を受賞)。ジュンク堂店長の森本浩平さんから電話があり、浮島通りのオープンしたての焼肉店「萬たく」にいるというから移動。Eスボーツ事業を展開する岡本寛さんもいた。そこでシロセンマイとハラミ刺しを皆でつついて、隣接した「せんべろJIJI(ジィージ)」へ。画家の大城英天さんもいて、ごあいさつ。

 

 

4月1日

 

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 冷蔵庫にあった野菜と島豆腐などを炒めて食べる。ほとんど毎日、こんなかんじで島豆腐と何かを炒めた料理を自炊。日中はずっとこもって仕事をする。夕方に近くのコンビニに行き地元誌「モモト」とJTA発行の「コーラル・ウェイ」の最新号を買う。「モモト」は組踊特集、後者は「世界に誇る空手」特集。その足で「すみれ茶屋」へ歩いていって晩飯。客はぼく一人。「モモト」はいつもながら秀逸。いのうえちずさんの編集能力や問題意識、センスのよさにいつも刮目させられる。

 

 

4月2日

 

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 昼すぎにアーティストの町田隼人さんが拙宅に作品を運んでくれた。彼の作品はすでに一つ持っているが、同じシリーズをもう一枚欲しくなって売ってもらったことは前に書いたが、それをクルマに積んで届けてくれた。近くでお茶でも、とクルマに乗り込んで走り始めたら、最近できたばかりのカフェがあいている。うちから歩いても数分。そこは松岡政保さんの邸宅があったところで、立派な洋館と庭が豪壮な存在感を醸し出していた。庭というより小さな森というかんじだった。松岡政保はアメリカ占領下の琉球政府三代目首席。そこを壊してお孫さんがカフエやギャラリーを複数棟建てた。「märch」という。風が吹き抜け、広々とした静かな心地いいロケーション。そこでお茶を飲み、雑貨などの販売コーナーもある。部屋着で行ける距離にこんなスペースがあってうれしい。ギャラリーの一角には松岡政保さんの業績がわかる展示がされてあった。

 そこのカフェで町田さんといろんな話をした。ちなみに彼の両親とぼくは同い年。町田さんは、「ウチナンチュ」という言葉がニューヨークに半年ほど滞在を経験してから苦手になったそうだ。沖縄県外、つまり「内地」の人という意味で比較的普通に使われているが、どこか蔑視的なニュアンスを含んでいると彼は言っていた。きっと昔からその言い方はあるのだろう。戦前の那覇の地図を見ると「大和人墓」とか「大和人町」という表記もある。

 「居酒屋でグループで飲んでいるとしますよね。こちらはみんな沖縄出身者で、別のテーブルでグループが飲んでいて、あいつらナイチャーだ、とか、あいつらヤマトンチュだ、という。何気なく誰かが言うのですが、悪意はないのです。ですが、壁や隔たりをつくるようなニュアンスが若干あります」

 こうした微妙なニュアンスを沖縄にいて感じるか、感じないか。その意味を考え続けることが、沖縄の歴史と直結することになる。まぎれもないヤマトンチュであるぼくは、そのあたりの言葉にこだわりたいと思う。歴史や関係性の中で「言葉」の輪郭は変わってくる。

 せっかくだから散歩しようということになり、浮島通りを歩いた。「ブンコノブンコ」に寄り、運営している饒波夏海さんとしばらく話をする。店には町田さんの作品を紹介した冊子も置いてあって、懇意にしているそうだ。「märch」でコーヒーを飲んできた話をすると、もともと牧志でやっていて、松岡邸を取り壊してから移転したそうだ。

 戦後直後に賑わった神里原あたりもうろついた。町田さんの世代だとこの街の名前すら知らないという。道路の拡幅など当時の面影を残す建物はもう半壊状態といってもいいほどの荒れ方をしている。

 町田さんに拙宅まで送ってもらい、冷蔵庫に入っているものを食べる。神里原の取り壊したゴミ捨て場に打ち捨ててあった陶器のシーサーを拾ってきたので、熱湯で消毒。シーサーは家の守り神。このテのものはゴミとしてそのままにしておけないタチである。とりあえずバルコニーに置いた。明日「4・3」はシーサーの日らしい。

 

 

4月3日

 

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 夕刻まで原稿を書いて、沖映通りにあるFM那覇のスタジオへ歩いて向かう。ジュンク堂の沖縄本コーナーを小一時間チェックして、通りのむかいがわにあるスタジオへ。知念忠彦さん(みらい財団理事)と饒波正博(沖縄赤十字病院脳外科部長)さんの同級生コンビが「マー坊ター坊のまちづくりハッピーレディオ」というトーク番組へ。二歳上のおふたりを相手に拙著『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(講談社)の取材こぼれ話を疲労する。リクエスト曲を用意せよとのことだったので、中川敬さん(ソウル・フラワー・ユニオン)の「満月の夕」をかけてもらった。阪神淡路震災のときにつくられた曲だが、ぼくは名曲だと思っているし、沖縄民謡などをロックを融合させている中川さんをすごいと思っている。去年6月にぼくは脳卒中(右小脳出血)をやったばかりなので、目の前に脳外科医師がいるだけで安心しますよというフリでスタート、一気に三回分を収録。番組は「究極の大人の遊び」というふれこみで、かつ音楽番組なので、80~90年代のロックが多くなる。饒波さんが「JAGATARA(じゃがたら)」をかけたので久々に聞いた。江戸アケミ、かっこええなあ。

 牧志の市場通りまで歩いていつも収録のあとに寄るという「kana」という居酒屋。バーのような雰囲気だがいかにも隠れ家。看板がないし、何も書いてない壁に引き戸があってそれが入り口なので、きわめてわかりにくいが、いい雰囲気。そのあと浮島通りに流れて焼き肉「萬たく」へ。やはりコロナの影響だろう、客はゼロ。先日来たばかりなので、マスターが覚えていてくれてあらためて名刺交換。川淵大樹さん、ありがとう。メニューにない部位などを供してくれた。饒波さんはここでタクシーをひろって帰宅。そして知念さんと、カメラマンの深谷慎平君と合流するために「トミヤランドリー」へ。

 

 

2020年4月4日

 

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 昼前に起き出して洗濯。バルコニーに干す。バルコニーに干した洗濯物は室内に取り込み、乾燥機を下に置いた。夕刻のフライトで羽田へ。新型コロナ禍の影響で空港には人がまばら。この日以降、沖縄どころか、東京から離れることができなくなるなんて予想すらしていなかった。東京都などに緊急事態宣言が出されたのはこの3日後、4月7日のことだ。

 

 

*筆者の近況はtwitter(https://twitter.com/seijifujii1965)でご覧いただけます。

 

*本連載は月2回配信(第1週&第3週木曜日)の予定です。

 

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藤井誠二(ふじい せいじ)

1965年名古屋生れ。ノンフィクションライター。2006年から沖縄県那覇市の中心部に仕事場を構え、東京都世田谷区と二拠点生活を送っている。著作は50冊以上。沖縄関係の著作は『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』(講談社)、作家の仲村清司氏と建築家の普久原朝充氏との共著で『沖縄オトナの社会見学R18』(亜紀書房)、『肉の王国 沖縄で愉しむ肉グルメ』(双葉社)がある。『沖縄アンダーグラウンド  売春街を生きた者たち』は、2018年に第5回「沖縄書店大賞」沖縄部門で大賞を受賞。

 

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