風まかせのカヌー旅

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#39

 50年ぶりのポーセレモニー in  サタワル

パラオ→ングルー→ウォレアイイフルックエラトー→ラモトレック→サタワルサイパン→グアム
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文と写真・林和代 

 

 

マウ
 

 

 

「マウがポーセレモニーやるってよ」

 そんな噂を耳にしたのは、2007年、サタワルへ向かう連絡船の中だった。

 

 航海術をハワイに教えたマウへのお礼として、ハワイ島で建造されていたマイスが完成、ホクレアと連れ立ってサタワルに向かうと聞きつけた私は、マイス贈呈の様子を見物しようとサタワルに向かっていたのだが、ポーセレモニーまで見られることになるとは驚きだった。

 なぜって、サタワルでポーセレモニーが行われるのは、50年ぶりだったからである。

 

 そもそもポーセレモニーは、航海術を学んで来た者が一人前になったと認められる儀式だが、そこには離島の古来の神々の力を借りて、法力のようなものを身につける、と言う意味合いもある。

 しかし、戦後すぐにキリスト教が入った結果、古来の神々に関する儀式はことごとく消えていった。キリスト以外の神様に頼ってはいけないことになったのだ。

 

 サタワルで行われた最後のポーセレモニーは今から60年以上前。

 その最後の儀式で、セサリオの父、マウはポーになった。

 本来は島をあげての盛大なお祭りになるはずの儀式だが、その時は、なんとたったの10人しか集まらなかったという。 

 改宗直後だっただけに、古来の神々と関わることを厳しく戒められていたのだろう。

 それを最後に、サタワルでも他の島々でもポーセレモニーは行われなくなった。

 

 だから、マウより若い世代には、どんなに航海術の実力があってもポーは誕生しなかった。

 しかし1998年。サタワルからラモトレックに婿入りした優秀なナビゲーター、ウルピーがラモトレックでポーセレモニーを復活させると、プルワトやプンナップなど、あちこちの離島で復活が続いた。

 つまりこの20年余りで、再びポーが誕生し始めたのだ。

 サタワルではまだ行われていなかったのが、この年、ようやくマウが決行するらしい。

 

 

「なんでやることにしたの?」

 

 この頃、マウの体調はかなり悪かった。

 そんな大きな仕事をして大丈夫なのか。私は気がかりだった。

 

「以前から、ハワイアンたちにやってくれと頼まれてたんだ。でも、特別な道具や補助の人間も必要だから、ハワイじゃできない。そういって断って来た。でもサタワルに来るならできる」

 

 マウはそう言っていた。もちろんそれもあるだろうが、実際のところ、彼は自分が生きているうちに何としてもセサリオをポーにしたかったのだと私は思う。

 ちなみにこの頃セサリオは、ヤップでおまわりさんをしていた。

 

 マイスとホクレアがサタワルに到着する何日も前から、島中で準備が進められていた。

 最後の3日はみんな、ほぼ徹夜で、山ほどの食べ物や花冠を作っていた。

 まさに島をあげての盛大なイベントだった。

 

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ビーチに人間の道を作ってハワイからの客人たちを歓迎する。沖合に停泊するホクレアとマイス、伴走船が見える。

 

 

 

 2隻のカヌーが到着すると、正装したマウほか大勢がカヌー小屋で厳かにお出迎え。そしてご挨拶。 翌日は本格的に準備が進められ、3日目にようやくセレモニーが始まった。

 朝早くから、カヌー小屋の前の地面に掘られた穴では、熱した石で魚や芋類を蒸し焼きにするウムが炊かれた。その真ん中に立っている棒には呪文がかけられており、神様に捧げられている。

 

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神様用のウム料理(上)、セサリオたちが漁に出てゲットしたカツオ(中)、男はカヌー小屋で蒸し焼きしたパンの実をパウンドし、女は小屋の外でタロイモをパウンドする(下)。

 

 

 

 カヌー小屋の中では、上座に、正装をしたマウや助手のおじさんたちが座り、下座には、儀式を受ける生徒たち、セサリオと数名のサタワル人、そしてハワイアン5名がやっぱり正装して座る。

 

 やがて進行係によって指示が出ると、一人の生徒がマウの前に進み出た。

 マウはお経のような抑揚で呪文を唱えながら、生徒の頭や肩をウープットと呼ばれるココナツの若葉でペシペシとはたいた。それを一人一人、丁寧に行う。

 全員が終了すると、また最初の人から順に一人ずつマウの前に出て、今度はウープットで作った腕輪を巻いてもらう。

 次の一周では、スペシャルな腕輪。

 呪文を唱えながら、ゆっくりと腕に何度も擦りつけ、巻きつける。

 

 

2マウ、セサリオ
セサリオがマウに腕輪を巻かれているところ。右は腕輪のアップ。

この腕輪の中には、航海術で重要な位置を占める軍艦鳥の羽と、サンゴ石が入っている。

これらの腕輪は重要な意味を持っているようで、ポーになった人のことをパイロロ(腕輪を巻いてる人)と呼んだりもする。

 

 

 全員がそれをすませると、助手のトゴメイが登場。彼も優秀なナビゲーターの一人だ。

 彼は、マウの前に置かれたあるモノを覆う、十数枚のカラフルなラバラバを、一枚一枚はぎとりながら、航海術の流派の名前を順に呼び上げる。(*注釈参照)

 

 やがて全てのラバラバがなくなると、サピアンポーが姿を表す。

 サピアンポーは、小舟の形をした木彫りの器。

 その中には、パウンドされたクリーム色の芋がいっぱいに詰まっている。

 男たちがパウンドしたパンの実と、女たちがパウンドしたタロイモ。そしてたっぷりのココナツミルク。

 その真ん中には、美しい黒蝶貝が1枚、刺さっている。

 

 助手のトゴメイは、大きな声で呪文を唱えながら両手をサピアンポーに突っ込むと、どっさりと中の食べ物をすくい上げ、ヤシの葉バスケットに取り分けていく。

 生徒たちは、与えられたバスケットから手で芋を平らげ、やっぱり魔法がかけられた特別なヤシの実ジュースを飲み干す。

 

 呪文は神様にお願いするときの秘密の言葉。

 生徒たちに、強い心と豊かな知恵を授けてください、との祈りが込められている。

 

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 と、かなり端折ってしまったが、概ねこんな具合で儀式は終了。

 あとは、カヌー小屋をぐるり囲むように座っていた正装姿の女性たちが、いつまでも歌い、踊り続ける。

 

 かなり疲れたのだろう。

 儀式を終えたマウは、カヌー小屋の奥で、親しいハワイアンの女性にもたれかかるようにしたまま、長い間動かなかった。

 このまま死んじゃうじゃないかとヒヤヒヤするほど、ただじっとしていた。

 でもその表情からは、かすかに達成感のようなものが見て取れた。

 

 女たちの歌が一旦途切れ、今度はマウが大好きな、彼自身のナビゲーターソングを歌い始めた。

 マウは、少しだけ目を細め、いつまでも聴いていた。

  

 

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 こうして、晴れてポーになったセサリオは、この直後、マイスでサタワルからヤップ、パラオへと航海。その途中でパラオの大統領に航海術を教えるよう頼まれ、マイスと共にパラオへ渡ることになった。

 そして、この3年後、マウは亡くなった。

 

 

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ポーの儀式を終えたばかりの我がキャプテン、セサリオ。

 

注釈:ミクロネシアの伝統的な航海術にはかつて12もの流派があったがその多くが失われ、今ではウォレアンとファヌール、二つしか残っていない。しかし儀式では全ての流派の名が呼ばれる。

ちなみに、流派が違うと、海の上の目印に使われる動物(第34話参照)の種類や名前、呪文のセリフが違うらしい。

 

 



*離島コラム ポーセレモニー今昔

 

 ポーセレモニーは本来、4日間かけて行われるものだという。

 初めは、カヌー小屋に先生と生徒たちが籠りきりになって、航海術の知識をテストしてさらに教えたりするお勉強が行われる。この間、海でトイレと水浴びは許されるが、それ以外、決して小屋を出てはいけない。食事は村の人々が3食運んできてくれるものを食べる。

 そして最後に、本文でかいつまんで紹介したような儀式が行われる。

 

 しかし、マウがおこなったものはハワイアンのスケジュールの都合で4日ではなく2日間であったり、本来はポーになったら島にウミガメなどの食べ物を運んでくる義務が生じるのだが、ハワイアンはそんなことしない、などのことから、この儀式をニセモノだ、という人もいた。

 また、当時のサタワルで最も優れた現役のナビゲーターは、儀式なんて形式的なものに意味はないと言って、儀式に参加しないで済むよう、島を一時離れていた。

 

 実は、復活して以降のセレモニーでは、牧師さんなどナビゲーター以外の人に一種の「名誉称号」としてポーが授けられたり、近年ではハワイなどポリネシアで、ミクロネシア式の儀式の形をとらぬまま、「ポー」と「ポーセレモニー」という名前だけが使用されたりしている。

 

 時代とともに変遷を遂げてはいるが、それでもミクロネシアでは、今も時折セレモニーが行われ、本来の意義、ナビゲーターの成人式としての役割も細々と受け継がれている。

 


 


*本連載は月2回(第1&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!

 

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林和代(はやし かずよ)

1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。

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