ステファン・ダントンの茶国漫遊記

ステファン・ダントンの茶国漫遊記

#26

 築地場外ぶらりと歩いて考えた2

ステファン・ダントン

 

 

 

 築地で念願の海鮮丼を食べて満腹になった私は、自分の店まで歩いて戻ることにした。築地から日本橋までは意外と近いんだ。「食後のコーヒーを飲みたいな」と思いながら歩いていると右手にインドの寺院のような築地本願寺が現れた。知ってはいたけど入ったことはない。「せっかくだからお参りしていこうよ」と同行者に誘われて、「せっかくだからね」と入ってみることにした。

 

 

 

築地本願寺

 

 

 
 鉄筋コンクリートの大伽藍に向かって階段を上る。青空に白い半円の切妻屋根が映えて美しい。
 列柱のエントランスを抜けると大空間が広がっていて、お香の香りがただよっていた。自然と香りの出どころを鼻でたどると、小さな香炉が置かれていたから絵解きされた手順にしたがって焼香して念仏もとなえてみた。
 広いホールの遠く奥には祭壇があって、そこへ向かうようにパイプ椅子が並べられている。何人かの人が座っている後ろ姿を見ながらしばらく立っていると、遠くから畳をはく箒の音が聞こえる。とても静かだった。静かで大きなその空間は、まるでカテドラル。
 「日本の寺院に対するイメージとはずいぶん違うな」
 よく見るこれまで私が日本の寺院に対して抱いていたイメージはこんな感じ。木造の茶色い建物。エントランスには賽銭箱と鐘があって、その向こうの畳敷きの部屋には僧侶しか入れない空間。奥には仏像が鎮座している。静かで閉鎖的な、こちらからあちらは異世界だよ、といわれているような空間。
 本願寺は、鉄筋コンクリートだし天井も高い。それに、ふと気づくと土足でずんずん中に入っていける。隔たりなく入れる大空間がカテドラルと共通する印象を私に与えるのかもしれない。そんなふうに思いながら振り返るとパイプオルガン!
 本堂を出ると、僧侶の姿が見えた。髪の毛が生えていた。「あのお坊さん髪の毛が!」というと「浄土真宗は髪の毛生やしていいの。肉食も妻帯もOK。自由度の高い宗派みたいだよ」と同行者がいう。知らなかった。だからこんな個性的な寺院ができたのかもしれない。
 「この個性的な寺院、歴史的にもいろんな意味があるようだけれど、きっと仏教の本質を伝えるために仏教のおおもとの地の建築様式を取り入れたり開放的な空間をつくったんだと思う。パイプオルガンやステンドグラスのような西洋の要素を取り入れたのも、その時代にあわせた仏教行事や仏教空間を創出することで、仏教を長く持続させることを目論んでいたんじゃないかな」
 そんな風に感想をいいながら頭の中で、「本質や伝統を持続するために時代にあわせて革新的な要素をプラスする。すべての人を取り入れる開放性をもつ。私の日本茶に対するアプローチと共通するな」なんて考えていた。
 

   
 

 

本願寺本堂

 

本願寺 ホール

海鮮丼を食べたあとに立ち寄った本願寺。カテドラルのような開放的な空間に、日本の寺院に対するイメージをくつがえされる。

 

 

 

 

コーヒーショップにて

 

   

 

 本願寺を出たところでコーヒーショップを見つけた。軒先にもテーブルが出ていて居心地よさそうだ。食後の一服を、と思って店内に入ったら「4o’clock close!」とマスターらしき男性がいう。4時まであと10分。
 「10分で飲むからエスプレッソいれてよ」というと、「そんなに日本語うまいんならしょうがないな」といれてくれたエスプレッソは猛烈においしかった。専門店らしくコーヒー豆の袋が店外にも無造作に置かれたその前のテーブルで、タバコを吸いながらのエスプレッソ。たったの10分でも満足な時間だった。
 「おいしかった。ごちそうさま!」
 こんな店にまた来たいと思った。 

 

 

 

コーヒーショップにて

閉店直前に駆け込んだコーヒーショップにて。タバコとエスプレッソで至福の10分を過ごした。

 

 

 

 

 
 

 専門店はいい。今回だってもう少し時間があればマスターといろんな話をできたと思う。「店に入るというのは会話をすることだ」と思っている。「いらっしゃいませ。ご注文は。ありがとうございました」のその先のコミュニケーションがあるのが専門店のよさだ。コーヒーについてだけでなく、社会について自分についていろんな会話ができること。お客同士の会話だっておもしろい。コーヒーを通じて社会が広がる。
 コーヒーチェーンはどうだろう。提供されるのはコーヒーだけど、会話はないんだ。そもそも、チェーンのコーヒーショップにコーヒーを飲みたいから入る人がどれだけいるのだろう。ちょっと座りたいから、打ち合わせしたいから、ひとりになりたいから。そのついでのコーヒー。それはそれでいいんだ。私だってそうだから。
 会話がないのはいい。でもそこで見られる人々の行動になんだかわびしいものを感じることもある。
 あるとき混んだ店に3人で入った。壁側はソファー。テーブルを挟んで椅子が並んでいるタイプの配置。椅子が1つしか空いていないから、奥のソファーに2人、椅子に1人のように座った。両脇の人に「すみません」といっても無言。まあいい。しばらくしてひとつ飛ばした先の席があいた。「ちょっと気を利かせてそちらへずれてくれれば3人がちゃんと座れるんだけどな」なんて思ってもスマホに集中している隣の人は気づかない。「すみません」というと自分の権利を侵害されたような顔でようやくどいてくれた。会話なんて発生しようがない。
 だいたいコーヒーショップにいる人はスマホか手帳に夢中で向かっている。他の人など意識の外だ。手帳にはスケジュールがいっぱいで、それを確認することで社会で必要とされている自分を確認しているように見える。スマホでSNSにアクセスすることで社会とつながっている自分を確認しているように見える。でも、現実の隣人には無関心。無関心なだけでなくまるで敵か異物のように見ている感じだ。
 
 なんだか日本の社会の、コミュニケーション不全の実態が見えるようで寂しく感じる。同時に、とても危ないことだと感じる。

 学生のころに読んだ、フランス語に翻訳された川端康成の小説が忘れられない。多分『名人』という囲碁の対局を描いた小説だったと思うのだが、静謐な空気の中で言葉を交わすことなく互いの心のうちを測りあう2人の男とそれを見守る人の静かな緊張感にうたれた。
 言葉なしの会話が成立することが日本の特徴だと思っていた。現在の日本では、言葉なしの会話どころか、言葉をつかった基本的なコミュニケーションすら成立していないようだ。とても危ないことだと感じている。 
 
 

 

 

 

 

 

*この連載は毎月第1・第3月曜日(月2回)の更新連載となります。次回の更新は6月4日となります。お楽しみに! 

 

 

写真/ステファン・ダントン    編集協力/田村広子、スタジオポルト

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ステファン・ダントン

1964年フランス・リヨン生まれ。リセ・テクニック・ホテリア・グルノーブル卒業。ソムリエ。1992年来日。日本茶に魅せられ、全国各地の茶産地を巡る。2005年日本茶専門店「おちゃらか」開業。目・鼻・口で愉しめるフレーバー茶を提案し、日本茶を世界のソフトドリンクにすべく奮闘中。2014年日本橋コレド室町店オープン。2015年シンガポールに「ocharaka international」設立。著書に『フレーバー茶で暮らしを変える』(文化出版局)。「おちゃらか」http://www.ocharaka.co.jp/

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