三等旅行記

三等旅行記

#24

ミレーのアトリエ

文・神谷仁

 

「沢山のアムールの中にはさまつて、ポツンと食事を執る私

 

 

 

———————————————————-

 

<仏蘭西の田舎  4信>

 

  バルビゾオンの二日目でございます。  もう送りましたこちらからの数々の絵葉書お受取りでございませう。

私のホテルは、シヤルメツテと云ふ古い宿屋で、鹿の家と云ふ意味ださうでございます。帯のやうに細長い町並で、此小村にホテルが四五軒もひさしをつらねてゐました。  ここの女主人は、着物を着て行きました私を、まるでお伽噺の中から来た娘のやうに考へたものか、ひどく丁寧にもてなしてくれます。  

食堂にはミレーの絵が私の眼をうばひました。 「あの絵はミレーの絵でせう」とたづねますと、給仕女は呆きれた顔をして、「お前はミレーの家を見に来たのぢやないのか」と云ひます。  で、夕食後案内書を貰つて字引を引いて読みますと、こゝも有名な芸術発祥地で、バルビゾン派と云ふ一ツの流派が生れたところだとありました。その重なものに、ジヤン・フランソア・ミレーだの、テオドル・ルツソーだのの名前がつらねてあります。  偶然の一人歩きが、何に幸したのか、全く嬉しくなつてしまつて、私は、日暮れの町をミレーのアトリエへ参りました。  

ホテル、シヤルメツテの筋向ふが、ミレーのアトリエで、中々古風なかまへです。  もう八時を過ぎてゐましたせゐか、扉が閉つてゐましたので、ミレーのアトリエに沿つて小道を曲り、広い野道を歩いて見ました。  声のいゝ小鳥が肩ぢかく降りて鳴きます。  きつと日暮が長いので、小鳥達もなかなか眠れないのでありませう。

 此村の家々は、ほとんど農業をする者ばかりで、畑と云ふ畑には麦のやうなのが青々と伸びあがつて、小道の家沿ひには、もつれたやうな若い樹が繁つてゐました。  

そんな淋しい村でありながら、處々扉を固く閉ざした酒場があつて、蛙(グルーイユ)と云ふ家なぞは、ランプの下に酌婦のやうな女が、水つぽい眠たげな声で唄をうたつてゐました。  ホテル・シヤルメツテの前あたりが、銀座通りにも匹敵するのでありませう、いづれの国も同じやうに、若い村の男が首にハンカチを巻いて、ホテルの酒場にたむろをしに来ます。  

私の行きました時季は、月夜のせゐか、庭の食卓には、若い恋人同志や家族づれが唇をつけあつては楽しく食事をしてゐました。  その沢山のアムールの中にはさまつて、ポツンと食事を執る私であります。  

だが、此様に静かな気持ちは、再びめぐりあつて来るものではありません。古びたピヤノには蝋燭がともり、真黄なカーテンの出窓には色々な花を植ゑ、白い食卓の上の、紅色のスタンドも、ぢき過ぎ去つてしまふ痛い思い出になりませう。

 

 

———————————————————-

 

< 解説 >

 芙美子がパリからほど近い田舎で過ごした小旅行に、同行者がいたのは先週に書いた通り。その同行者は、芙美子の巴里日記では・S・と記されている男性だ。  彼の名前は白井晟一。年齢は1931年当時は26歳。当時パリに留学していた建築を学ぶ日本人学生だ。

 

———————————————————-

 

五月一日 (前略)  夕方バルビゾンを去る。  Hotel de chatmettesよ、再びまた何時の日か来る時があるでせうか……。  

五時に、ボア・ル・ロア停車場に着く。樹木に埋もれてゐるやうな森の駅なり。何だか雨の日の大磯の駅に似てゐるやうにも思う。  巴里には八時頃帰った。  

留守の間に、来客沢山ありし由にて、名刺をコンシエルジユが持つてきてくれる。来信六通、雑誌二冊。

S氏に電話してみるけど留守なり。  夜になって雨。キヤフエ・フロリドルで夕食。それよりすぐアリアンセへ行く。  

二日も休んで教師にどうしたのかとたずねられた。ヒルダ欠席。隣のインド人は近々故郷へ帰る由なり。  

雨のなかをぬれねずみになつてアパルトへ帰る。留守にS氏より電話。

ーー今日はメーデーにて、街では沢山の花売りが出てゐた。  寒山詩を散読す。 (林芙美子『巴里の日記』(昭和22年・東峰書房刊)より)

 

———————————————————-

 

上記は、戦後『巴里の日記』として出版されたものからの抜粋だ。  

バルビゾンから帰った芙美子はS氏に電話をしたとある。しかし、S氏は実際にはこの度に同行していた。そのあたりの考察は林芙美子の研究者の今川英子氏が編者となって、芙美子の巴里日記や様々な資料を丁寧に解読した『林芙美子 巴里の恋ー巴里の小遣ひ帳、一九三二年の日記、夫への手紙』(中公文庫)に詳しい。  

その本によれば、白井晟一と芙美子は、この旅の前後の期間に激しい恋をして、そして別れがあったようだ。  

恋多き女だった芙美子は、帰国後は内縁の夫であった手塚緑敏と仲むつまじく暮らしている。

恋多き女だった芙美子にとって、白井との恋は、最後の激しい恋だったのかもしれない。

   

 

 

 

 

 

01_Maison_Millet

*1920年頃に撮影されたバルビゾンのミレーの家。現在はミレー記念館となっている

 

 

02_白井

*『白井晟一 精神と空間』(著:白井晟一、青幻舎) 白井晟一の図面、ドローイング、模型、書、エッセイなどを収録した書籍。芙美子が愛した男性は当時まだいち学生であ ったが後に日本を代表する建築家となった 


 

 

 

 

 

 

 

 
                         

                                                         

      *この連載は毎週日曜日の更新となります.次回更新は1月29日です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

hayashi00_writer01

林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

三等旅行記
バックナンバー

その他のCULTURE

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る