三等旅行記

三等旅行記

#19

巴里の踊り

文・神谷仁

 

「どうして巴里に来たのだらう

 

 

 

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<3>

 オランピヤと云ふ活動写真館へ這入つた。

「無名の音楽家」とか云ふ映画をやつてゐたが、小味ないゝものだ。映画そのものはチヤチだが唄がいゝ。

巴里の屋根の下式に軽くはゆかないが、巴里の街ではもう風琴引きが唄つて歩いてゐる。 映画の合間にヴアリヱテがあつた。日本で見たレヴユーより本場だけに気が利いてゐる。 日本では足を出す踊りが流行つてゐたが、巴里の踊りは、上半身だけむき出して、スカートかずぼんかのコスチームが多かつた。

 初めは一人のアパツシユダンスで、黒繻子のずぼんに紅色の三角布で頭を巻いて乳房の上は銀色のバンドで一寸隠してあつた。 二度目は扇子の舞ひとかで、朝顔型の白いスカートに、五段ぐらゐも朱色のふちとりがしてあつて、乳房の上はやはり白い布でほんの一寸巻くくらゐにしてあつた。扇子は、これは踊り子の背丈よりも大きく、白い羽根で出来てゐるので、鶴が舞つてゐるかのやうに美しかつた。

 七人の踊り子の腰の横線がそろつてとても華麗だ。電気の照明ひとつで、葉鶏頭のやうに朱く染つたり、煙のやうに紫になつたり、バツクが黒つぽいせいか、少しも眼が疲れなくていゝ気持だ。

 第三番目の汽車、これは十五人ばかりの踊り子が黒いバツクの真中から出て来る。トンネルから出て来るところなのだらう。 だぶだぶの青いずぼんで、シユツシユツと云ひながら出て来る。

 第四番目は蜂、黒い胴に茶つぽい紅の腰布、バンドは黄色、これだれは美しいむき出しの脚が出てゐた。 蜂が散つて楽屋へ行くと、すぐ白い幕が降りて、楽屋の踊子の姿がスクリーンに写る。

「あら! 私のズロース誰が持つて行つたア」 「嫌だなア、ずぼんがほころびた」 「あたいのネクタイした奴ないか」 トーキイだ。皆蜂の着物をぬぐと、ワイシヤツを着て、ずぼんをはいて、ネクタイをつけて、背広に中折れ帽子、立派な紳士と、立派な淑女が出来上る。淑女は桃色の長いスカートきりで小さい帽子をチヨコンと乗つけて、幕がするすると上りかけると、「まだまだ、アタイのお乳をかくすのがみつからないよツ」観客が笑つてゐる内に、もう舞台に明るい灯がついて、スクリーンで見た紳士淑女がすまして出て来る。 何の事はない、子供の頃見た連鎖劇だ。仲々思ひつきないゝもので、大勢の唄ふコーラスが澄んでとてもよかつた。それに体のいゝと云ふ事が何より得だ。私は眼がくらくらとしてのぼせてしまつた。

 どうして巴里に来たのだらう。これやお嬢さんか淫売婦かそんなもんが来るところじやないか、巴里のどの人種が、仏蘭西を支へてゐるのだ。

 誰かは少数の知識階級だと云つた。フゝン愕(おどろ)いた話だ。

 仏蘭西を支えてゐるのは百姓とエトランゼだらう。 たまげちやいけない気が弱い 若い男と泣かうより 優しいお爺さんと笑ひませう どうせ浮世は出たとこ勝負 たまげゐてはマンマが食えぬ 或る人が直訳してくれたのを、かくはもつともらしく私がなほしたのだが、巴里の街にこんな唄もはやつてゐる。

 

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< 解説 >

  芙美子は半年あまりパリに滞在していた。その間、3回ほど引っ越しているのだが、いずれも現在のパリ14区あたりだった。

 この地域はモンパルナスと呼ばれ、セーヌ川の対岸にあるモンマルトルとともに"芸術の街"として当時から有名だった。

そこには19世紀末から世界中から芸術家たちが集まっていて、ピカソやシャガール、モディリアーニ、日本人では藤田嗣治のような画家、そしてヘミングウェイ、スコット・フィッツジェラルド、日本人では永井荷風などの作家もおり、独特の文化が花開いていた。 もちろん芙美子が滞在した当時にも、このあたりには日本人が多数いた。

実は彼女が渡仏したのも、このあたりに滞在していた日本人男性を追ってのことだとも言われていて、日記にもそんなことを匂わせる文章が見受けられる。 芙美子は作家になるまで多くの恋を経験してきた女性だ。

しかし、『放浪記』で突然人気作家となり、私生活では手塚緑敏という伴侶を得て、以前とは大きく環境が変わってしまっていた。 そんな芙美子にとってパリは、ひとりきままに旅を楽しみ、自由に恋ができる場所だったのだろう。 Ph01 芙美子滞在時当時のパリのカフェ。カフェはパリに集った芸術家たちのサロンでもあった

 

 

 

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*芙美子滞在時当時のパリのカフェ。カフェはパリに集った芸術家たちのサロンでもあった

 

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   *「カフェ・ドゥマゴ」も、文化人やアーティストが集まるカフェとして、今でも存在している

 

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*芙美子が滞在したエリア近くにある宮殿と池や芝生のあるリュクサンブール公園はパリ市民の憩いの場だ

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回は12/18です。をお楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

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林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

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