三等旅行記

三等旅行記

#16

巴里の街

文・神谷仁

 

「東京から巴里までの三等費用

 

 

長い間露西亜を通つて来たせゐか、何も彼も美しく、巴里の街は夢のやうに見えたが、渋い木の実や、骨の多いスープや、黒いビスケツトにバタを塗つたのなぞ貰つて食つたあの露西亜人の人情はとてもなつかしい。それに、さてこれからどうなつて行くのだらう。そんな不安さもあつたせゐか、巴里の安宿に落ち着くと、十日あまり、まるで石のやうに私は眠りつゞけた。そして眠りつゞけて呆んやりと思つた事は、いつも真実なものが埋れ過ぎて、一寸芝居気のあるものか、意張るものか、卑下する者か、こんな者達がどこの国でも馬鹿馬鹿しく特権を得てゐるものだ。プロレタリヤと云ふハイカラ語をつかふ前に、私は長い三等の汽車旅で、あんまり人のいゝ貧乏人を見過ぎて来た。
 さて、これから巴里の生活だ。お天陽様、お見捨てなくだ! 私はまだまだ元気で、どこまで三等の旅を続けるか知れないのだ。
 ところで、おせつかいながら、私は左に、東京から巴里までの三等費用を書いて見よう。


 東京から巴里までーー三百十三円二十九銭也。

 


 十日 下関よりの計算表

 三十銭ーー下関より連絡船まで赤帽代。トランク四個。

 五十銭ーー船ボーイにチツプ。

  四十銭ーー釜山着赤帽代。
  四十五銭ーー安東知人へ電報料。

  十銭ーー新聞、大阪朝日、大阪毎日。

  一円二十五銭ーー安東までの急行券。

  七銭ーー茶。秋風嶺にて。

  十銭ーーモダン日本。

  三十五銭ーー日本弁当。京城にて。

  四十銭ーー食堂にて、林檎と茶。

  五十銭ーー船ボーイにチツプ。

  四十銭ーー釜山着赤帽代。
  四十五銭ーー安東知人へ電報料。

  十銭ーー新聞、大阪朝日、大阪毎日。

  一円二十五銭ーー安東までの急行券。

  七銭ーー茶。秋風嶺にて。

  十銭ーーモダン日本。

  三十五銭ーー日本弁当。京城にて。

  四十銭ーー食堂にて、林檎と茶。

   

 十一日 

七十五銭ーー安東から奉天までの急行券。

 四十銭ーー鶏冠山にて弁当。(これより高くなる)
 十銭ーー茶。


十二日 

一円五十銭ーー奉天より長春まで急行券及び二等に変る。戦時故。

六十銭ーーカツ丼。奉天駅前カフヱにて。
十二銭ーー切手代。
四十銭ーー戦時ヱハガキ二組。
五十銭ーー赤帽に発車まで荷物託す。
六十銭ーー支那人車屋にて城内見物、但し戦時にて途中より帰る。
一円ーー長春夜着、日本人赤帽。(やりすぎた)
五十銭ーー支那人のツウリストビユウローの方へ。
五銭ーー長春駅待合室にて紅茶。
二十銭ーー列車ボーイ茶を持つて来た故。
一円ーー列車内日本人ボーイに。(日本金)
  


 十三日 

四十銭ーーハルピン着、ロシヤ人赤帽代。

一円ーーロシヤ人の自動車にて北満ホテルへ。
   三円ーー朝八時から午後二時までホテル休息料。(朝飯を含む)
   二円ーー女中チツプ。(好きだつたから沢山やる)
   一円ーーホテルのポータへ。
   五十銭ーービユウローの方へ。
   ハルピンにて買物。(大安を日本金に換算して約左の通り)
   七円五十銭ーー紅色毛布。
   六十銭ーー葡萄酒一本。
   四十銭ーー紅茶一缶。
   十二銭ーーアケビの籠。
   七十五銭ーー湯沸し。
   二十八銭ーー匙と肉刺一本づゝ。
   二十銭ーーニユームのコツプ一ツ。
   四十銭ーー瀬戸ひき皿一枚。
   五十銭ーー林檎十個。
   七銭ーーレモン二箇。
   二十五銭ーー洋梨五箇。
   二十銭ーーキヤラメル。
   八十銭ーーソーセージ三色混ぜて。
   六十銭ーー牛缶二箇。(安物買つて損した。)
   二十銭ーーバタ。
   四十銭ーー角砂糖大。
   三十五銭ーーパン五日分。
   外、アルコールランプ必要。

   一円ーーロシヤ人の自動車にて北満ホテルへ。
   三円ーー朝八時から午後二時までホテル休息料。(朝飯を含む)
   二円ーー女中チツプ。(好きだつたから沢山やる)
   一円ーーホテルのポータへ。
   五十銭ーービユウローの方へ。
   ハルピンにて買物。(大安を日本金に換算して約左の通り)
   七円五十銭ーー紅色毛布。
   六十銭ーー葡萄酒一本。
   四十銭ーー紅茶一缶。
   十二銭ーーアケビの籠。
   七十五銭ーー湯沸し。
   二十八銭ーー匙と肉刺一本づゝ。
   二十銭ーーニユームのコツプ一ツ。
   四十銭ーー瀬戸ひき皿一枚。
   五十銭ーー林檎十個。
   七銭ーーレモン二箇。
   二十五銭ーー洋梨五箇。
   二十銭ーーキヤラメル。
   八十銭ーーソーセージ三色混ぜて。
   六十銭ーー牛缶二箇。(安物買つて損した。)
   二十銭ーーバタ。
   四十銭ーー角砂糖大。
   三十五銭ーーパン五日分。
   外、アルコールランプ必要。

 

 十四日 

一円四十銭ーー海拉雨朝九時着。昼食代。
   三円ーーロシヤ人列車ボーイへチツプ。
   一円ーー満洲里昼一時着、赤帽代戦時故。こゝで汽車乗りかへ。
   五円ーーモスコー行列車ボーイへチツプ。(日本金でやる事。普通三円でいゝさうだ)

 

 十五日 

ハラノルにて露貨とかへる。日本金二十円にて、露貨二十ルーブル弱。こゝで役人は、お前のふところに金がいくらあるかと聞く。あまり少なく申告しない方がよい。

 

 十六日

 三ルーブルーー夕食列車食堂にて。(スープにオムレツ、肉にうどん粉)
 一ルーブルーーうどん粉の揚げたの二箇、夜中バイカル辺で売りに来る。うまくなし。


 十八日 

三ルーブルーー夕食、(スープにうどん粉の酸つぱいの、蕎麦の実鶏の骨少々)
六ルーブルーー枕、毛布一枚代。(六円借り賃取られるなら、ハルピンでもう一枚買うのだつた。)
二ルーブルーー林檎四箇。(約二円)


 二十日 モスコー夜九時着。


 二十一日 

三ルーブルーー国境ネゴレロヱ昼着。赤帽代。(三円あまりとは高すぎる。)
50と云ふ銀貨を十二箇ーーポーランドのストロプツヱ夕方着。赤帽私を蔭に呼んでポーランド銀貨皆持ち去る。

 一ドルーー(約二円強)食堂夕飯ポーランド料理(日本風のつきだしスープ、鶏肉、玉子、チキンライス、プリン、茶、レモナード)


 二十二日 

十五フラン(約一円二十銭)ーー列車内にて夕飯フランス料理(スープ、魚の白いの、野菜サラダ、ビフテキ、アイスクリーム、シヨコラ、コロンボミカン、葡萄酒)


 二十三日 

五フラン(約四十銭)ーー巴里夜明着、赤帽代。
十フラン(約八十銭)自動車賃。

 

 


  計 下関から巴里まで約三百七十九円二十五銭。

 

ーー伯林から巴里まで三等の寝台券なしだ。二週間の汽車旅、案外気楽であつた。(昭和六年秋)
               

   ロンドン・ケンシントンにて

 

———————————————————-

< 解説 >

 記録によれば、芙美子が東京を発ったのが昭和6年の11月4日。そこから下関に渡り、関釜連絡船で朝鮮の釜山へと向かった。そこから、鉄道に乗りパリへと向かうためだ。
 以下釜山からパリまでの道のりと日程を記しておこう。

11月10日
釜山 発 9:00
京城 着 19:00
京城 発 19:20

 

11月11日
安東 着 07:15

 

11月12日
安東 発 06:45
奉天 着 13:00
奉天 発 15:36
長春 着 20:30
長春 発 22:45

 

11月13日
哈爾浜 着 07:55
哈爾浜 発 15:00

 

11月14日
満州里 着 12:55
満州里 発 14:15

 

11月20日
モスコー 着 16:27
モスコー 発 22:30

 

11月21日
ストロプツエ 着 14:00
ストロプツエ 発 14:00
ワルソー 着 21:54
ワルソー 発 22:35

 

11月22日
ベルリン 着 09:21
ベルリン 着 09:58
ベルリン 発 10:03
ケルン 着 19:21
ケルン 発 19:43

 

11月23日
パリ 着 06:43

 こんな旅程を辿り芙美子は東京からパリへと辿り着いた。下関から巴里までは14日間、旅費はしめて三百七十九円二十五銭の旅であった。


 

 

 ———————————————————–

 

 

 

02_kodukaicyo

 

 

芙美子が旅行中つけていた小遣い帳。事細かに遣ったお金を記録している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

      *この連載は毎週日曜日の更新となります。次回更新は11/27(日)です。お楽しみに。           

 

                     

 

 


 

                                                                                                 

hayashi00_writer01

林 芙美子

1903年、福岡県門司市生まれ。女学校卒業後、上京。事務員、女工、カフェーの女給など様々な職業を転々としつつ作家を志す。1930年、市井に生きる若い女性の生活を綴った『放浪記』を出版。一躍ベストセラー作家に。鮮烈な筆致で男女の機微を描いた作品は多くの人々に愛された。1957年に死去。代表作は他に『晩菊』、『浮雲』など。

三等旅行記
バックナンバー

その他のCULTURE

ページトップへ戻る

ページトップへ戻る