風まかせのカヌー旅
#06
番外編 スターコンパス
パラオ→ングルー→ウォレアイ→イフルック→エラトー→ラモトレック→サタワル→サイパン→グアム
文と写真・林和代
「タックだ!」
夜11時。セサリオの号令で、全員が一斉に動き出す。
右舷でロッドニーが帆に繋がるロープをほどき、キャットウォークに飛び移ったアルビーノがそのロープを手にカヌーの外側をぐるっと回って反対側に走ると、左舷でムライスがロープを引っ張り、縛りつける。
これと同時に、残りのクルーは舵を高く持ち上げてキープ。
するとカヌーは刻々と向きを変え始めた。
この方向転換中、力仕事をさせてもらえぬ私はひとりだけやることがない。
なので、みるみる方角が変わるコンパスをライトで照らしてぼんやり眺めていた。
すると、突然セサリオが言った。
「カッツ、今どこ向いてる?」
へ?
目の前にあるのは現代のコンパス。32個のダイヤ型マークがついている。
セサリオは、それを読んでサタワルのスターコンパスで答えることを要求しているのだ。
確かに私はスターコンパスを覚えたと吹聴していたが、実は南側半分だけで、北側はうろ覚えだった。
そして今、コンパスの針は、苦手な北と東の間あたりを指していた。
「えーっと……」
のろのろと、うろ覚えのスターコンパスを指折り数えているうちに、針はどんどん動いてしまう。
「どこなんだ!? 今度目指すのはウェナーだぞ」
セサリオの突っ込みにいよいよ焦りながら、私は必死でスターコンパスを思い出す。
「えーと、えーと……イグリック?」
小声でそういうと、聞こえないぞ! と重い舵を持ち上げてるノーマンからクレームが飛ぶ。
「うーんと、もうイグリックは過ぎてて……あ、ウェナー! 今ウェナー!」
私が大きな声でそういうと、セサリオがOKを出し、ノーマン達が重い舵をようやく降ろした。
そしてこの時から、タックのたびにコンパスを読み上げる、という私の新たな仕事が誕生した。
ミクロネシアのスターコンパス。東側がその星が昇る方位、西側は沈む方位を示す。
表は、コンパスで使われる星々の日本での呼称。夜空で目立つ有名な星々が多い。
ちなみにマイラップ=アルタイルは彦星で、ムーン=ベガは織り姫。
というわけで今回は、スターナビゲーションの基本、スターコンパスをご紹介しよう。
これがいつ誕生したのかは定かでないが、現代コンパスが発明されるよりずーっと昔からミクロネシアで使われ来た星のコンパスである。ただ、どちらも32分割。これは偶然か必然か、気になるところ。
スターコンパスの原理は、太陽が東から昇って西に沈むのと同じで、その星や星座が、その方位から昇ったり沈んだりする、ということを示す。
北の北極星と、南側の5方位は南十字星の傾き違いが使われているが、それ以外はすべて、ひとつの星が昇る方位と沈む方位が東西でペアになっている。
例えば、マイラップは東から昇り西に沈むため、東はタン(昇る)マイラップ、西はトゥブン(沈む)マイラップと呼ばれる。(タンは省略される事が多い)
マイラップが昇って来た場所が東である、というように方位を見定めるにも使うが、単純に東という方角の名前としてマイラップが使われることの方が断然多い。
どちらも32分割なので、現代コンパスの読むのにスターコンパスはうってつけ。その上「AとBの間」と言う意味のサタワル語、レマッチを使えば、倍の数の方角を表現できて大変便利である。
マイスにある現代コンパスには、東西南北とその中間までは文字で表記されていて、外周には0〜360度の細かい目盛りもある。が、読み上げには大小合わせて32個あるダイヤ型マーク使う。
私が初めてスターコンパスを覚えてみたのは十年前のこと。
サタワル島に滞在中、セサリオの父上マウに覚えなさいと言われたのがきっかけだった。
ひと晩かけて、東のマイラップから南回り(時計回り)で一周言えるようになった私は、得意げにマウに報告。するといきなりその場でテストが始まった。
私は緊張しながらも、なんとか無事に32の星をそらんじた。
それをじっと聞いていたマウは小さくうなずくと、こうおっしゃった。じゃあ次、逆回り。
……また覚えてから参ります。
マウによると、スターコンパスの学習は3ステップあるという。
まずはパフー。東を始点として南回り(時計回り)、北回り(反時計回り)どちらも言えるように暗記する。まさに私がやっていたことだ。
次はアリウム。対角の星をコンビで覚える。タン・トゥムールとトゥブン・ムーンなど。全16組。
そしてアンマス。東西南北のように、十字になる四方の星をセットで覚える。全8セット。
ちなみにこの時、私はアンマスまで覚えたが、残念ながら帰国後すっかり忘れてしまった。
島でスターコンパスを習う時に使われるもの。
パンダナスのマットレスの上に32個のサンゴの小石が円形に配され、
真ん中にカヌーのつもりのヤシの葉の小舟が置かれる。
この授業は普通、ウットと呼ばれるカヌー小屋の中でひっそりと行われる。
そして5年前の航海の時、今度はセサリオがある歌を覚えろと私に命じた。
実はその歌、サタワル周辺の離島で広く知られているもので、後半がスターコンパスの一部、東のマイラップから真南のウェネウェネルップまでを並べた歌詞になっているのだ。
メロディは単純なのですぐに覚えられたが、問題はサタワル語の歌詞。
私はむりやりカタカナ表記にして丸暗記した。
歌で覚えると、さすがの私も案外忘れない。
しかも、ミクロネシア人は歌が大好きなので、どこへいってもセサリオと合唱させられる。
外国人がサタワル語の歌を歌うと異様にウケるため、私も調子に乗って歌いまくる。
おかげで、完全に暗記できたのである。
もともと文字がなかったミクロネシアでは、膨大な知識を歌で伝承して来たというが、まさに実感。
とは言え、歌詞にあるのは南側の星のみ。だから私は北側がうろ覚えだったのだ。
近年セサリオは、北側も覚えさせるべく、この歌に北の星々を無理矢理はめ込んで歌うようになったが、本来マチメヤスが入る箇所にマイネパナファンと言う長い音の星が来てしまい、超早口になってリズムが乱れ、結果なかなか人々に浸透しないのは残念な事である。
タックの号令がかかり、ミヤーノが帆を右舷から左舷に付け替えるべく、キャットウォークでスタンバイ。
冒頭のタックを終えてしばらく経った頃。
真っ正面から北斗七星が昇って来た。
そう、我らが目指すウェナーは北斗七星のこと。
うわあ、本当にウェナーの方角からウェナーが昇って来たーと、私はたいそう感心した。
まあ、私レベルではこんなものだが、マウほどになると、たとえ曇り空でもどこかに1つだけ星が見えれば、脳内コンパスと照合してすべての方角が分かるらしい。
熟知すればするほど、スターコンパスの重要度と活用領域は増して行くようである。
とはいえ、星は夜しか見えない。では昼間はどうするか。彼らはうねりを利用するのだ。
このあたりでは東、北東、北、北西、西の5方向から常にうねりが来ているという。
それを教えてくれと頼んでみると、セサリオは、真っ青に輝く海をぐるりと見渡し、こう言った。
「あっちから来てる、幅が広くて波長が長いうねり、あれが北からのうねりだ。で、むこうの幅が細くて波長が短いやつ、あれが北東からのうねり。わかるか?」
これは案外簡単に見分けがついた。私がうなずくと、彼は続けた。
「北と北東のうねりがぶつかる場所があるだろ? それが北北東だ」
理屈は分かる。しかし、北と北東のうねりがぶつかる、その境目はさっぱりわからない。
「よく見てろ。うねり同士がぶつかってちょこっと波が立つから。ほら! そこ!」
と言われても、やっぱりわからない。だって他にも小さな波がいっぱい立ってるから。
結局境目は見えなかったが、うねりで北と北東が分かるようになっただけでも私にしては上出来だ。
と、悦に入っていると、またタックの号令がかかった。
私はとっさにコンパスを覗き込み、大きな声で読み上げを開始した。
「トゥブルップ!」
するとセサリオがすかさず叫んだ。
「なんだって? どこ読んでんだ?」
そしてなぜかアルビーノやノーマンがゲラゲラ笑い出す。
私がぽかんとしていると、ミヤーノがそばに来て、そっとささやいた。
「カッツ、横からじゃなく、ちゃんと正面からコンパス見なさい、ね?」
よくみると、私の読み上げは90度、ずれていたのであった。
*本連載は月2回(第1週&第3週火曜日)配信予定です。次回もお楽しみに!
*第12回『Festival of pacific arts』公式HPはこちら→https://festpac.visitguam.com/
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林和代(はやし かずよ) 1963年、東京生まれ。ライター。アジアと太平洋の南の島を主なテリトリーとして執筆。この10年は、ミクロネシアの伝統航海カヌーを追いかけている。著書に『1日1000円で遊べる南の島』(双葉社)。 |