<時間旅行>戦前日本の日記

<時間旅行>戦前日本の日記

昭和4

:東京で建築や工業を学ぶ学生。#1929年7月6日 #戦前の日記

20代前半と思われる男性。東京で建築や工業を学ぶ学生をしている。12月24日6月16日と同じ人物。
diary2016.7.6


ーーーー あすは日曜だから今夜遊びに行くとことわって、就職の方を学校へ頼む助力を彼の処へ行って相談して見ることにする。たとえ及第はせずとも彼が何か私に与えてくれれば、共に私の事にほんそうしてくれたら私は彼の級長として位置に助かるのだが……。 あすは成績の方も解ると就職係がそう云ったそうだから、でも就職の方を言出すことによって卒業出来なくなるかと自分で憂慮する。卒業と就職と両方逸するのも又片方逸するのも更に卒業出来て就職を逸したら不憫な自分は永久に就職できないかと自分で疑る。学校にいる打ちに彼に一辺会って置いた方がよかあないかな……。 岩下さんの所から咽喉から出る鼻声の快いさびの強い声が会話からきこえた。虎丸の浪花節をうたいはじめた。それから端唄をうたい、それから俗歌をうたった。私は大塚君らしいと思った。他に大勢いるらしい。○○(?)連が酒を飲んでいるけはいがした。私は十時にねたが十二時頃までねつかれなかった。 ーーーー


 前半部は分かりにくい文章になっているが、要は、日記を書いた男性は、クラスの級長である男性に、・自分の就職を斡旋するように学校に働きかけてほしい・と頼もうとしているのだ。しかし、日記を書いた男性の成績は卒業ギリギリのようで、就職の斡旋なぞを働きかけたことがやぶへびとなり、学校側の不興をかうと卒業出来なくなってしまうかもしれない、とも男性は考えているようだ。 さて、21世紀の現在も就職難で、大学生たちは必死に就職活動をしているが、日記が書かれた頃も、現在以上の就職難であった。 当時は大学卒業者の就職率が約30%ほどしかなく、就職できない大学生を描いた映画、小津安二郎監督の『大学は出たけれど』が公開されるなど、まさに超就職氷河期状態。「大学は出たけれど」というタイトルはそのまま当時の流行語にもなってしまったほどだ。 日記の男性もそんな状況下の中、就職活動に必死だったのだろう。 後半に出て来る「虎丸」はおそらく浪曲の第一人者だった三代目鼈甲斎 虎丸(べっこうさい とらまる)のことだろうか。


【昭和4年の出来事】 2月 東京市で説教強盗妻木松吉が逮捕  2月 大正天皇の第3皇男子・宣仁親王が、徳川喜久子と結婚して高松宮家を創設  4月 寿屋(現サントリー)が初の国産ウイスキーを販売。価格は4円50銭  4月 新宿と片瀬江ノ島を結ぶ小田原急行電鉄江ノ島線が開通  6月 隅田川に厩橋完成  6月 北海道駒ヶ岳が噴火  8月 ドイツの大型飛行船・ツェッペリン伯号が霞ヶ浦海軍航空隊施設に降り立つ  9月 小林多喜二の『蟹工船』が発売  10月  NY証券取引所で株価が大暴落。世界恐慌の引き金に  11月 光州学生事件  12月 東京駅に八重洲口開設

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