<時間旅行>戦前日本の日記

<時間旅行>戦前日本の日記

昭和1

年:東京で浪人生活をスタートした医大を目指す旧制中学の5年生で16歳の少年。#戦前の日記 #1937年8月25日

旧制中学を卒業した16歳の少年。埼玉県在住。現在は医大の予科を目指し浪人中1月14日2月18日3月5日3月17日3月28日4月1日4月6日4月9日4月17日5月14日6月1日7月2日7月11日8月15日の日記と同じ人物。
diary2016.8.25


ーーーー 本日、叔父君卯三郎氏晴れの出征。に今迄にない夥しい多数の歓送者を見、飯能駅頭折柄軍国情緒一段と濃やかなるを感じた。然し、残念乍ら夕刻叔父上、体格検査に不合格。即日帰郷を命ぜられ、再三再四入隊懇願せるもその意入れられず涙を呑んで止むを得ざる帰郷の途に就かれることとなった。 ーーーー


戦前の日本では、満20歳(1943年から満19歳)を迎えた男子は、徴兵検査を受けなければならなかった。だいたい春先に通知が届き、実際の徴兵検査は4月から7月にかけて行われた。その内容は学力や知能に関しての検査はなく、身長、体重、胸囲、視力などが検査された。その他にも、被験者は、丸裸になり色盲、性病、痔瘻なども検査されるため非常に屈辱的であったようだ。 検査を受けた者は最上級の甲から順に、乙、丙、丁、戊のそれぞれにランク分けされ、甲種(場合によっては乙種も)合格した者は翌年の1月に、指定された部隊に入営しなければならなかった。そして、入営日にはまた軍医の身体検査があり、兵役が無理と判断とされると、即日帰郷を命ぜられ除隊となった。 日記を書いた男性の叔父もこの検査で引っ掛かってしまったようだ。 当時は兵役を嫌がり様々な手段を講じて徴兵忌避をする人がいた一方、日本男児の義務、大人の男性の通過儀礼として考える人も多く検査にはねられてしまった者は、当時の女性たちは、甲種合格で徴兵される男性をもてはやす風潮もあり、劣等感を感じざるを得なかったようだ。さらには「今迄にない夥しい多数の歓送者」に送られてしまっただけに、おめおめと帰郷するというのは受け入れがたかったのだろう。「再三再四入隊懇願せる」という行動も頷ける。 ※この日記は昭和11年用の日記帳に書いているが、内容は昭和12年のもの。


【昭和12年の出来事】 1月 スペイン内戦: 4月 東京・札幌間に定期航空路開設 5月 パリ万国博覧会開幕 7月 通州事件。中国北部で日本軍留守部隊や日本人居留民が虐殺される 8月 上海で海軍陸戦隊と中国軍が交戦。第二次上海事変勃発 9月 蒋介石が中国共産党を承認し第二次国共合作が成立 11月 日独伊防共協定成立 12月 日本軍が南京を占領

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