ブーツの国の街角で

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 号外(5):外出制限大幅緩和で3ヶ月ぶりにローマ旧市街を歩く

文と写真・田島麻美

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   新型コロウナウイルス感染防止策として3月からイタリア全土で実施されていたロックダウンは5月4日から「フェーズ2」と呼ばれる段階的な規制緩和に入った。その2週間後の5月16日、新たな首相令により5月18日からさらに大幅な外出制限の緩和が発表された。制限緩和の主な内容は、州内に限って許可証を携帯せずとも自由に移動でき、小売店、バール、レストラン、美容院、ショッピングセンターも営業を再開できるというもの。次いで25日からは屋内スポーツ施設や海水浴場、美術館・博物館もオープンした。マスクの着用や施設の定期的な消毒、対人距離の確保、集会の禁止などは引き続き義務付けられていて、商店やレストランなどは予め定められた厳格なルールを守らなければ営業を再開できない。違反者には罰金や営業停止といった厳しい措置が取られるため、営業再開のためには何としてもこのルールをクリアにする必要があるのだが、ロックダウンで貧窮している商店や飲食店の中には準備資金不足で営業を再開できないという店も多い。ウイルスの感染率は低くなってきているが地域ごとの格差は大きく、また10週間にも及ぶ全土ロックダウンがもたらした経済的な打撃の傷跡も日に日に浮き彫りになってきた。リスクと共に活動を再開したローマの街はどうなっているのか。その実態を確かめに、3ヶ月ぶりに旧市街を歩いてみた。(本文中のデータは2020年5月27日現在のもの)
 


 

 

 

州ごとの格差が大きくなっている感染状況

 

 5月18日から発動した新たな首相令により、商店やレストラン、バール、美容院、スポーツ施設や美術館などが活動を再開し、市民も州内であれば自由に移動できるようになった。6月3日からはさらに他の州への移動、欧州内の移動も2週間の隔離なしで可能になる予定だが、これは今後の感染者数の動向を見て決められることになっている(緩和により感染者が上昇した場合は封鎖が続く可能性あり)。移動制限の緩和に際しては、政府が決定した規定と州ごとに決定した規定を遵守する義務があり、活動再開のルールは各州によって差がある。これには、感染者数、死亡者数ともに南北で状況が大きく異なるという背景がある。イタリア全土の総データを見ると、5月27日の18時現在の感染者数は50,966人、完治者は147,101人、死亡者33,070人。24時間以内に新たに確認された感染者は584人で、集中治療患者は505人となっている。今日までにイタリア国内では360万人以上にPCR検査を実施しているが、25日からは保健省とイタリア統計局、赤十字社が共同でさらに大規模な抗体検査を始めた。これはイタリア各地の2千の市町村の市民15万人から匿名で血清サンプルを採取することで、ウイルスの拡散状況や経緯、また性別や年代、行動などによってどのような差があるかを分析することを目的としている。
 外出規制の段階的な緩和が始まって3週間が過ぎたが、その後の新規感染者の増加数は地域によって大きな格差が出てきた。今日現在の過去24時間に確認された新規感染者数はボルツァーノ、マルケ、ウンブリア、ヴァッレ・ダオスタ、バジリカータがゼロであるのに対し、ロンバルディア384人、ピエモンテは73人、エミリア・ロマーニャは16人の新たな感染者が確認されている。16日の首相会見では「6月3日からイタリア全国で移動制限を解除し、さらに許可が出ている欧州各国との間での移動制限も解除する予定」と発表されたが、イタリア国内だけでもこれだけ状況が異なることを考えると、移動制限の一斉解除には不安を抱かざるを得ないのが現状だ。

 

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イタリア国内の27日現在の感染状況(イタリア市民保護局サイトより)。オレンジ色が現在の感染者数、緑色は発生から今日までの完治者の総数、白色は死者の総数、赤色は今日までの感染者の総数。
 


 

 

ツーリストがいないローマ旧市街
 

  
 自由に外を歩けるようになったのは嬉しいが、状況を考えるとやはり不安は残る。とはいえ、このまま家の中で一生を終えるわけにもいかないし、何よりローマの街がどうなっているか気がかりだったので、3ヶ月ぶりに中心街へ繰り出すことにした。平日の10時過ぎ、興味半分で一駅だけメトロに乗ってみると車内はガラガラだった。普段でも混雑していない時間帯ではあるが、それにしても1車両に3人しか乗客がいないというのはちょっと異様な感じがする。シートの半分は着席不可、立っている人も手すりなどに極力触れないよう腕を組んで仁王立ちスタイルだった。
 地下から屋外へ出ると、頭上には真っ青な空が広がっていた。爽やかな初夏の風に心地良く吹かれながら、燦々と輝く太陽の下を歩く。目の前にはチルコ・マッシモと壮大なパラティーノの丘のパノラマが広がり、久しぶりに目にする古代遺跡の勇姿に思わず胸が熱くなった。人気のない道を、3ヶ月ぶりにカメラを手にしながら歩いた。大行列が当たり前だった真実の口の教会前も人っ子ひとり見当たらない。ツーリストがいないローマの街を見るのは初めてのことで、壮大な景色を独り占めして興奮しつつもどこか戸惑っている自分がいることに気づいた。テヴェレ川沿いの遊歩道からゲットーを抜け、パンテオンまでの道中、街角の風景の美しさに何度も立ち止まってシャッターを切った。ロックダウン中、イタリア各地の観光地の自然環境が劇的に改善したというニュースを何度も目にしたが、3ヶ月の思わぬ「休息時間」を得たローマの街も同様に、すっきりと洗い立てのように輝いている。街には自転車やキックスケーターなどエコモービルで移動する市民が確実に増えているように、コロナ禍をきっかけに生き方や価値観を大きく変えた人がたくさんいる。この先、以前のように逆戻りするのではなく、もっと街に優しい生き方、接し方を市民もツーリストも探し求めていくようになって欲しいと祈りながら石畳の街を歩いた。
 

 

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乗客の密集を避けるため人数制限をしているメトロでは、ラッシュ時は駅構内へ入るだけでも行列をしなければならい。感染と行列の両方を回避したい人は、進んでエコモービルを利用し始めた(上)。真っ青な空の下、パラティーノの丘の勇姿が一際美しく映える(下)
 

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ツーリスト不在の旧市街の道路はタクシーよりも自転車が目立つ(上)。マスクと手袋、サングラスでしっかり予防しつつ、仲良く手を繋いで散歩を楽しむ老夫婦(下)。
 

 

 

大変革を余儀なくされたレストランの新しいルール
 


 当初6月3日に予定されていた営業再開を大きく前倒しし、18日から営業再開が可能になったローマの飲食店だが、店内の対人距離の確保や消毒、客同士の感染を予防する設備など、州が定めた厳しい規定をクリアして18日に店を開けられたのは全体の60%に過ぎなかった。その多くはまだシャッターを開けられずにいる。運よく営業再開に漕ぎ着けた店も、10週間という予期せぬ長期休業のツケを埋めるために大車輪で働いている。観光名所の近く、つまり住宅街ではない場所にあるレストランやバールは店を開けても足を運んでくれる客の数が減少してしまったため、打撃はさらに深刻である。パンテオンの前にあるローマ料理の老舗レストランは、私が20年以上前から家族ぐるみで交流を続けている店なのだが、ロックダウンの期間中、彼らの店がどうなっているのか気が気でならなかった。シェフから「18日から店を開ける」という知らせを受けていてもたってもいられなくなり、陣中見舞いを兼ねてランチを食べに行くことにした。
 レストランのテーブルは完全予約制で、入れる人数は以前の半分ほどに限られる。彼らの元気な顔が見られるかちょっと不安な気持ちで予約時間に行ってみると、慣れ親しんだ店の入り口の床には目新しいシールが貼られ、ドアの横には消毒グッズ一式が置かれていた。
「チャオー‼︎」と元気な笑顔を見せてくれたシェフやスタッフとは、ハグとキスではなく、肘と肘を高く上げてぶつける新しいイタリア式挨拶でお互いの無事を喜びあった。店内を見回すと、テーブルは今までの倍以上の長さで対面距離が取られ、隣り合った席と席の間も2m以上の空間が設けられていた。席についてメニューを頼むと、ウェイターは「そこのQRコードをスマホで読み取ってくれ」と言いながら、テーブルに置かれた印刷物を指差した。「これ何?」と訊くと、「メニューだよ。今までのメニューはたくさんの人が手に取るから使えないんだ。だからお客さんがそれぞれ自分のスマホで読み取れるメニューを作ったんだ」とのことだった。なるほど、こんなところにも接触を避けるための工夫があるのかと感心した。それ以外にも、客はマスクや手袋など身につけたものをテーブルの上に置いてはいけない、客が立ったテーブルと椅子はその都度きれいに消毒するなど細かいルールがあるとのことだった。店内での客の行動についての責任は店にある。ちょっとしたルール違反で店が罰金や営業停止を喰らうことになっては大変なので、客の側にもそれ相応の責任ある対応が求められる。暑い厨房でマスクや手袋を付けたまま調理するのは大変だろうが、それでも彼らは店を開けられたことをとても喜んでいて内心ホッとした。
 

 

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店の入り口に設けられた「ウェイティング・スポット」と消毒ジェルスタンド(上)。18日からの営業再開に伴い、レストランやバールはテーブルの間に2m、店内の人と人の間には1mの距離を確保することが条件付けられた。そのため小規模店の中にはまだ営業を再開できてない店も多い(中)。人が触れることを避けるため冊子メニューは使用不可、黒板などにメニューを書くことが推奨されている。QRコードで読み取るメニューを用意している店も多い(下)。
 

 

 

営業形態は変わっても、変わらない美味しさに救われた

 

  QRコードで読み取ったメニューに加え、ウェイターが歌うように読み上げてくれた「本日のスペシャルメニュー」を頭の中で想像しながら悩みに悩んだ末、今が旬の「そら豆とペコリーノ・チーズのパスタ」と大好物の子羊のグリル「アバッキオ・スコッタ・ディート」、そしてシェフが私たちのために特別に用意してくれていた「季節のフルーツのタルト」を注文した。料理を待つ間、スタッフやシェフとこの間のお互いの体験について語り合い、久しぶりのおしゃべりを楽しむ。彼らの店は旧市街のど真ん中にあり、観光客がいなければ営業しても赤字になってしまうということでこれまでデリバリーなどはしてこなかったそうだが、店内で客を受け入れられるようになった今、営業形態も変えざるを得なくなったという。店に入れる客の数が半数以下になった分、テイクアウトやデリバリーで少しでも利益を上げなければならないからだ。これまでは土曜の夜と日曜は定休だったがそれも返上。月曜から土曜までフル回転で客を受け入れ、デリバリーは日曜日も受け付けるという。ツーリストであれローマ市民であれ、とにかく旧市街のど真ん中まで足を運んでもらわなければならない彼らのようなレストランにとって、デリバリーは唯一の解決策。これまでは味と品質の保持を気にしてデリバリーもテイクアウトも一切受け付けなかったのだが、慎重に吟味を重ねて数あるデリバリー会社からようやく納得できる一社と提携し、ローマ市内ならどこへでも店の料理を届けられる体制を作った、と言った。ローマの歴史とともに生きてきた名店の数々が存続の危機に瀕している今、私たち客が唯一できる支援は、「料理を食べること」。というわけで、遠慮なく食べたい物を食べたいだけ注文し、ついでに家でリモートワークに苦しんでいる相棒のためのテイクアウトも頼んだ。
 


 

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この季節にしか味わえないそら豆とペコリーノ・ロマーノ、パンチェッタのタリアテッレ。手打ちパスタのどっしりした歯応えに塩味と風味、甘味が絶妙な美味しさ(上)。ローマ料理の代表・子羊のグリル「アバッキオ・スコッタ・ディート」。これを食べたいが故にここまで足を運んだと言っても過言ではない(下)。
 

 

 3ヶ月間、夢に見続けてきた絶品料理が運ばれてきた時は嬉しくて涙が出そうになった。そら豆とペコリーノ、パンチェッタのタリアテッレはカリッカリのパンチェッタの塩味とペコリーノのまろやかな風味にほんのり甘いそら豆が絶妙なハーモニーを奏で、極上の旬の味を楽しませてくれた。私が20年以上も愛し続けている大好物の子羊のローストは記憶にある以上の美味しさで、食べ終わった後に思わず指をしゃぶってしまった。ところで、この子羊を食べ終わった直後、オーダーしていないカルチョーフィ(アーティチョーク)が運ばれてきた。「頼んでないよ」と言うと、「隣のシニョーレからの贈り物だ」と言われた。実は料理を待つ間、料理業界の人らしき隣のテーブルの見知らぬ男性二人とおしゃべりが弾んだ。男性の一人が「今まで食べたことがないような絶品カルチョーフィ・ロマーノ(ローマ産のアーティチョーク)」について熱弁をふるってくれたので、私は遠い目をして「いつか食べてみたいなぁ」と呟いたのだが、どうやらその幻のカルチョーフィ・ロマーノを差し入れしてくれたらしい。サプライズに大喜びし、ありがたくいただいたカルチョーフィは彼が言ったとおり「これまで食べたことがない美味しさ」だった。なんでもローマ近郊の農家が丹精込めて作っている逸品らしく、火を入れてもしっかり残る歯応え、苦味が少ないまろやかな風味がたまらなく、クセになるような美味しさだった。締めくくりはシェフの特別メニュー・季節のフルーツのタルトでまさに天国に登るような幸せな気分を味わった。
 

 

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隣のテーブルのおっさんが差し入れしてくれた「今まで食べたことがないような絶品カルチョーフィ」。彼の言葉が真実であったことは私が証明する(上)。洋梨とダークチェリー、ブルーベリーのタルト。甘い物が苦手な私にも天国の気分を味わせてくれた(下)。
 

 

 移動制限は解除されたが、ウイルスはまだそこにある。私たちは感染のリスクを頭にたたき込んだ上で新しい生活習慣を受け入れ、一人一人ができる限り、停止していた経済活動を再開させるための支援を続けていくことが必要になってきている。苦境の中でもあの手この手で難関をくぐり抜け、敢然と再開に乗り出した友の店を後にしながら、変化の中にあっても変わらない味があること、その味と店を愛してやまない人たちがいることの嬉しさと幸せを噛みしめた。
 


 

 

 

*この連載は毎月第2・第4木曜日(月2回)の連載となります。次回は2020年6月11日(木)掲載予定です。お楽しみに! 

 

 

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田島麻美 (たじま・あさみ)

千葉県生まれ。大学卒業後、出版社、広告代理店勤務を経て旅をメインとするフリーランスのライター&編集者として独立。2000年9月、単身渡伊。言葉もわからず知り合いもいないローマでのサバイバル生活が始まる。半年だけのつもりで暮らし始めたローマにそのまま居座ること19年、イタリアの生活・食文化、歴史と人に魅せられ今日に至る。国立ローマ・トレ大学マスターコース宗教社会学のディプロマ取得。旅、暮らし、料理をメインテーマに執筆活動を続ける一方、撮影コーディネイター、通訳・翻訳者としても活躍中。著書に『南イタリアに行こう』『ミラノから行く北イタリアの街』『ローマから行くトスカーナと周辺の街』『イタリア中毒』『イタリア人はピッツァ一切れでも盛り上がれる』他。

 

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