<時間旅行>戦前日本の日記

<時間旅行>戦前日本の日記

​昭和

1年: 東京で浪人生活をスタートした医大を目指す旧制中学の5年生で16歳の少年。#戦前の日記 #1936年7月2日


埼玉県在住。1月14日2月18日3月5日3月17日3月28日4月1日4月6日4月9日4月17日5月14日6月1日の日記と同じ人物。
diary2016.7.2


ーーーー 今日ハ又雨ダ。入梅季ノ気候ニハ二三日デ全ク閉口ダ。午前五時雨滴ノ音ヲ耳ニシテ幾分不快ナ気分ニ襲ワレ、直チニ起床、床ヲ片付ケ洗面。先ズ準備ヲ今日ハ先ニ済マシ二十分朝食、後ユックリト四十分頃家ヲ出ル。途中一時間三十分程科学ノ勉強ヲシ七時二十分登校。登校後40分間科学及ビ国語ノ勉強ヲス。八時主任ヨリ懇談アリ。今日カラハ愈々昭和十一年度第五学年第一学期ノ本考査週刊ガ始マル。則チ今日ハ一時科学、二時国語正書ノ考査ガアリ何レモ相当良好ナルモノト認ム。三時代数、四時体操跳箱ノ考査。五時英訳デ考査週刊ナル為六時ハナシデアッタ。帰途雨中ヲモ厭ワズ。一時間余リニ亘ッテ国語副書ノ勉強ヲス。午後三時五十分帰家。四時三十分夕食、七時ヨリ物理ノ勉強ヲ始メ時間ノ経過ニ従ッテ益々ピッチヲ上ゲ時計ノ刻ム秒音ト共ニ一頁々々頁数モ増シヤッタ問題ガ整理サレテクル。十一時三十分筆ヲ止メ四十分就寝。 自由欄 永田中将殺害事件ノ相沢三郎中佐ハ三十日上告棄却。直ニ位階剥奪。同中佐ノ死刑確定シ近ク銃殺トノ事。将校ノ死刑ハ空前ナリ。 ーーーー


医大予科を目指して勉強中の男子学生。他日の様子と変わらず真面目に勉強している。しかし、既にご紹介した次の年の3月~4月あたりの日記によればすべて落第し浪人となってしまうのだが。 さて、この日の日記の自由欄にある「永田中将殺害事件」というのは、前年の昭和10年8月12日に、陸軍内部の派閥争いに端を発したもので、皇道派の相沢三郎陸軍中佐が、陸軍省で統制派である永田鉄山軍務局長を、斬殺した事件のことだ。 事件後すぐ憲兵に拘束された相沢は、昭和11年5月7日に軍法会議に於いて死刑判決が下され、上訴するも6月30日棄却され死刑が確定した。自由欄の記述はそのときのニュースを受けてのことだろう。相沢はこの次の日である昭和11年7月3日、代々木衛戍刑務所内で銃殺刑に処された。 この事件により永田統制派と皇道派の派閥抗争は一層激化し、軍部はだんだんと統制が取れなくなっていく。後に皇道派の青年将校たちは、二・二六事件を起こし、永田が筆頭であった統制派は、東條英機が継承し太平洋戦争へ主導していくなど、その後の日本の流れに大きな影響を与えた。


【昭和11年の出来事】 1月 日本がロンドン海軍軍縮会議から脱退  2月 全日本職業野球聯盟設立  2月 二・二六事件勃発し東京市に戒厳令布告(7月まで)  5月 阿部定事件  8月 ベルリンオリンピック開幕  9月 ソ連にてスターリンの粛清が始まる

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